第6話 その力には神が宿る

「えーっと……、もちろん逃げるッスよね?」

「あ、当たり前じゃない……。こんなデカいの、相手してらんないでしょ……」


 冷や汗をにじませるカエデとケンシロウ。ぱくぱくと口は動くが、その足は凍りついたように動かない。あまりの恐怖に二人とも体が硬直してしまっているのだ。ユウもバケモノのあまりの大きさに開いた口が塞がらない始末。

 逃げなければ死ぬ。頭ではわかっていても体は動かない。幸い〝地に住まう者ゲーノモス〟はまだこちらに気づいていない様子。

 今彼らの目の前に見える洞窟のような空間は恐らく〝地に住まう者ゲーノモス〟の口。ゆっくりと呼吸をするたびに風が吹き、四人の髪の毛を揺らす。それが四人を正気に戻した。


「おい、俺が合図したら後ろに向かって走れよ……」


 ルイは呼吸を整え、冷静を保つ。カエデたちが〝地に住まう者ゲーノモス〟の口に釘付けになっている間もルイはずっと〝地に住まう者ゲーノモス〟の『眼』を見ていた。

 心の中で時間を計る。焦る気持ちを抑え、ただひたすらにを待つ。

 〝地に住まう者ゲーノモス〟の瞼がゆっくりと下りていく。そして完全に閉じ切った瞬間、ルイが叫んだ。


「今だ! みんな走れ!」


 ルイの掛け声でカエデたちは一斉に振り返って走り出した。脇目も降らず走る四人だが、一体どこまで走ればいいのかわからない。森の入り口まで走っていれば体力が持たないことは明白だった。


「ちょっと、どこまで走ればいいのよ!」


 ルイは走りながら辺りに視線を巡らす。すると五百メートルほど離れたところに割と大きな洞穴があるのが見えた。


「あそこに逃げ込むぞ!」


 ルイの指示に従い、カエデたちは洞穴の中に逃げ込んだ。とりあえずほっと一息ついた四人だったが、すぐにケンシロウがあることに気づいた。


「この奥から……しますよ。血の匂い。それだけじゃない。これは……人間の匂いッス」


 奥。四人は暗闇をじっと見つめる。ユウが一歩、また一歩と踏み出した。カエデが右手に雷を纏い、洞穴の中を照らした。四人の足音が静かに響く。

 先頭を歩いていたユウの足が止まった。その先をカエデが照らす。


「……っ!」


 目の前の光景に四人は言葉を詰まらせた。一人、二人ではない。十は超えているであろう人間の死体が無残な姿で転がっていた。


「これ……情報にあった人間の捜索隊じゃない……?」


 震えるカエデの隣でユウは一人一人じっと見つめる。そしてゆっくりと口を開いた。


「いません……。私の父親はこの中にはいません」


 三人は肩を落とす。喜ぶべきなのだろうか。しかし、ユウの父親の居場所がわからないという事実は変わらない。


「ってことは、うちらがここにいる理由はもうないわね。さっさと出て──」


『グオォォォォ!!』


 カエデの声をかき消すような〝地に住まう者ゲーノモス〟の叫びに、全員が洞穴の入り口の方を向いた。大きな振動とともに〝地に住まう者ゲーノモス〟がゆっくりとこちらに向かってきていた。

 洞穴の大きさからして〝地に住まう者ゲーノモス〟の頭は入るだろう。逃げようにもここは行き止まり。これより奥はない。


「もしかして……ここってバケモノの食糧庫だったり、しないッスか……?」

「かもしれんな。ここに保管しておいてゆっくり食べるとか」

「ちょっ! その中にいるうちらも食べられちゃうじゃない!」


 迫りくる〝地に住まう者ゲーノモス〟の頭を見つめながらルイは考える。この危機的状況から脱する方法を。

 ルイはケンシロウに自分のリュックを任せると、刀を一本抜いて構える。そして狐面で顔を隠すと、三人に指示を出した。


「これより撤収する! 各自、自分の命を優先し、森の入り口まで逃げることだけを考えろ!」


 先にルイが走り出し、洞穴の中に入ろうとしていた〝地に住まう者ゲーノモス〟の鼻先に刀を突き刺した。


『ガオォォォォ!!』


 〝地に住まう者ゲーノモス〟が痛みにひるんで頭を引っ込める。その隙に全員が洞穴から逃げ出すことができた。

 だがルイが攻撃したことにより、〝地に住まう者ゲーノモス〟は完全にこちらに意識が向いてしまった。鼻先に突き刺さった刀を抜いたルイは、流れるように〝地に住まう者ゲーノモス〟の眼を蹴って逃げた。


「ったく、硬ぇ皮膚だな。大切な刀が折れちまう」


 へらへらと笑いながら森の入り口まで逃げようとしたルイ。その時だった。ルイの体に何かがぶつかり、ルイの全身は木の幹に強く打ちつけられた。全身に痛みが走り、ルイはその場で蹲る。ルイを吹き飛ばしたのは〝地に住まう者ゲーノモス〟だった。

 それを見たカエデがルイに駆け寄ろうとするとケンシロウが止めに入った。


「カエデちゃんダメッス!」

「でも!」


 ケンシロウはカエデの手を掴んで離さない。


「自分の命を優先するッス! ルイの命令ッスよ!」


 カエデが戻ればカエデの命も危なくなる。ケンシロウは〝地に住まう者ゲーノモス〟を睨みつけながら汗をにじませる。


「体がデカいだけのノロマかと思っていたけど、どうやらとんだ筋違いだったみたいッスね。あの大きさであの速さじゃあ、ひとたまりもないッス」


 ルイはゆっくりと体を起こし、木の幹にもたれる。


「げほっ、ごほっ……二本折れたか……」


 痛む脇腹を押さえながらへらっと笑ってみせる。〝地に住まう者ゲーノモス〟は完全にこちらに気が向いている。このままカエデたちが逃げれればルイにはこれ以上望むものはない。

 そんなルイの視界にはカエデの姿が映っていた。定まらない焦点でぼやけてはいるが、心配そうに見つめていることはすぐにわかった。あのカエデがこんな状態の自分を置いて素直に逃げるはずがない。

 ルイは端からわかっていたようにフンと鼻を鳴らす。そして全身に力を入れ、ゆっくりと立ち上がった。


「かっこ悪いとこ、見せらんないよなぁ!」


 自分を鼓舞するかのように叫んだルイは刀を握りしめながら〝地に住まう者ゲーノモス〟に向かっていく。そしてその太い右足を斬りつけた。痛みを感じた〝地に住まう者ゲーノモス〟は怒りから地面を踏み鳴らす。それを避けながらルイは叫んだ。


「カエデ!」


 変幻自在に動きながらルイはカエデをしっかりと見つめる。


「ユウを守りながら逃げろ!!」


 カエデははっと振り返る。そこにはおびえながら二人を待つ、ユウの姿があった。ここに二人残っていたらユウは逃げられない。そうすればユウも危険にさらしてしまう。あの動きからしてルイが自力で逃げることは可能だ。それなら……。

 カエデはユウの手を取って逃げ出した。ケンシロウもルイを心配そうに見つめながらカエデたちの後を追って逃げる。

 三人が逃げるのを見届けたルイは〝地に住まう者ゲーノモス〟の正面に立った。大きく息を吐き、額から流れる血を拭う。


「さあ、出番だぜヤコ」


 そう呟くと、頭につけた狐面が淡く光りだした。


『ほぉ、あいつと戦うというのか?』


 ルイの肩に現れたのは一匹の狐。黄金色の尻尾を揺らしながら、黄色い瞳で敵をじっと見据える。すぅっとルイの体に溶け込むと、ルイの瞳が黄色がかった。そしてにいっと笑う。


『ワタシに任せろ』


 ルイは刀を鞘に納めると手ぶらで〝地に住まう者ゲーノモス〟に向かって走り出した。


『神力・烈火の斬撃』


 右手で虚空を斬るルイ。するとその手から炎が一直線に飛び出し、〝地に住まう者ゲーノモス〟に直撃する。


『グガァァァァ!』


 〝地に住まう者ゲーノモス〟は巨体を震わせ、自分の体についた炎を消す。


「肉でも持って帰るか? ヤコ。それとも生命石ヴァイタラピスにするか?」

『黙っておれ! 気が散るだろ! 戦ってんのはこのワタシだぞ!』


 たった一人で会話しているルイ。〝地に住まう者ゲーノモス〟がルイを踏みつぶそうと足を振り下ろす。


『神力・雷の大剣』


 〝地に住まう者ゲーノモス〟の足を雷でできた大剣が貫いた。


『ふうむ、やはりこいつを倒すのはやめた方が良さそうだな』

「やっぱり? くそー、高い値で取引できるのになぁ」


 とはいえ、興奮状態の〝地に住まう者ゲーノモス〟をこのまま放置しておくわけにもいかない。手を出してしまった以上、やるとこまでやらなきゃいけないことはわかっていた。


『神力・水禍の鉄砲』


 ルイの両手のひらから水が勢いよく噴射し、ルイを宙へ浮き上がらせる。

 ようやく森の入り口まで逃げた三人はその姿を目視した。


「ルイさんは水属性の術使いなんですね」


 感心するユウの手を握りながら、カエデはルイに違和感を覚える。何かが、何かが違うと。心の中で必死に答えを探していた。

 自分の姿が見えていることも知らず、ルイは自在に技を繰り出していく。


『神力・森の咆哮』


 水で宙に浮いたまま、ルイは口から出した音で空気を振動させる。それは斬撃となって〝地に住まう者ゲーノモス〟に降り注いだ。

 遠くから見ていたカエデはその光景に驚きを隠せない。


「水属性の術にあんな技ないわ。あれは木属性の技よ」

「ルイさんは水と木、両方持っているってことですか?」

「普通一種類の技しか持たないはずだけど……」


 二人の会話を聞きながらケンシロウは険しい表情でルイを見つめる。そして誰にも聞こえない声で小さく呟いた。


「あのバカ……」


 斬撃を受けた〝地に住まう者ゲーノモス〟は全身から血を噴き出し、動きを止めた。


「よし、今だ!」


 〝地に住まう者ゲーノモス〟の動きを封じ狙いを定めやすくなったところで、ルイはポケットから小瓶を取り出し投げつける。それはカラスからもらったものだった。〝地に住まう者ゲーノモス〟の足元に落ちた小瓶が割れ、中に入っていた浅緑色の液体が気化し、〝地に住まう者ゲーノモス〟の体内をめぐる。〝地に住まう者ゲーノモス〟の息が次第に弱々しくなっていき、ついにはその場に座り込んで眠ってしまった。

 小瓶の中に入っていたのは捕縛用の睡眠導入剤。大型獣用の強力なもので、人が一瞬でも吸い込んだら一生の眠りについてしまうほど。

 この気化した特注の睡眠導入剤は酸素より重いため、地面に広がる。それを吸い込まないためにルイは水で上に逃げたのだ。


『さて、今回はこの辺で逃げるぞ。あいつが起きる前に』


 ルイは噴射している水の向きを変え、睡眠導入剤から離れた位置に着地した。


『それじゃあワタシの手助けはここまでだ。あやつらに気づかれる前にワタシは引っ込むとするか』


 ルイの体から抜け出したヤコは狐面の中へと潜る。ルイは力が抜け、膝から崩れ落ちた。アドレナリンがきれ、全身がズキズキと痛み始める。


「早く行かなきゃ、みんな心配するよな……」


 脇腹を押さえながら立ち上がり、森の入り口に向かってゆっくりと歩き出した。

 日が落ち始めた頃、ようやく森の入り口に着いたルイの姿を見て三人はぎょっとした。脇腹を押さえ、額から血を流し、満身創痍の状態で現れたのだからだ。

 ふらふらの状態のルイを急いで病院に運び、治療を受けさせた。安静にしていた方がいいとのことで、ルイは一週間ほど入院することに。残った三人は警察から事件性がないかどうか話を聞かれたが、不法侵入しているためありのまま話すわけにもいかず、適当に嘘をついてなんとか解放された。

 とりあえずそれぞれ家に帰り、ルイの体調が戻るのを待った。ルイは反動からか丸一日眠り続けた。そして──


「ん……」

「あ、目が覚めたみたいですよ」

「ほんとだ。おはよう、ルイ」


 ルイは重たい瞼をゆっくりと開く。ぼーっとした頭で状況を理解すると、のぞき込むカエデとユウに向けてへらっと笑ってみせた。


「おはよう」


 起き上がろうとするルイの額をカエデが優しくたたき、ルイはゆっくりベッドに倒れた。


「まだ寝てなさいよ。いつも通りを装ったってまだ本調子じゃないのバレバレなんだから。うち、先生呼んでくるわね」


 病室から出ていったカエデを目で追うルイ。さすがずっと一緒にいるだけあって嘘はなかなかつけない。そう思いながらユウを見ると、バツの悪そうな顔をしていた。


「自分のせいで、とか思ってんだろ」

「あ、えっと……」


 言葉を詰まらせるユウにルイは続けた。


「残る判断をしたのは俺だ。逃げ切れなかったのは俺だ。お前のせいじゃない」


 ベッドの隣にある机の上には狐面とルイのリュックが置いてあった。恐らく中身は全てそのまま残っているだろうと思い、そのリュックに手を伸ばした。


「それよりユウ。あんたに聞きたいことがある」

「はい、なんでしょう」


 リュックを漁っていたルイは手を止め、ユウを睨みつける。


「お前が妖怪の世界ここに来た目的はなんだ」

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