菖蒲と桔梗
ここは、まさか人がいるとも考えつかないであろう、いまはもう使われていない
それを知っていた
馬房には
さながら絹の海だ。
紙を広げて筆を走らせるに、少しばかり苦労する大きさの
王宮の室にくらべて質がおちるこの室を照らすのが、ただひとつの大きな
いささかこの室には大きいと思える、
躘は、ちぐはぐな家具たちで構成されたこの室を、いたく気に入っていた。
「それにしても、なぜおまえのような高貴な出身のやつが、こんな薄汚れたところを好むわけだ?」
不機嫌そうに几に肘をつき、やわらかい光をはなつ灯籠をながめ、
躘も、仙の視線を追い、海月をかたどった紙灯籠を見る。
「そうか?」躘は紙の
「どういう感覚してんだよ、一体……」
あきれる仙に、気にする様子もない躘。
躘は、背にしていた棚に紙をしまうと、肘を几につき、身をのりだす。
「進展はあったか?」
仙は、返事のかわりに片眉をあげる。
仙は
この話題のたびにしばしば討論になるが、仙は皇族として烏に潜入しているのではない。
正真正銘の賊徒である。
皇族であることには間違いないが、彼は
仙は外を警戒するかのように目線を
「実はな……」
几のうえへと声をおとすように、唇のすきまから
――王宮で占いをするものが、黒幕とかかわっているとの伝達がはいった。
「王宮で占いをするもの? 占い師とはちがうのか?」
躘が指摘すると、仙は痛いところをつかれたように顔をゆがめる。
「
仙は一瞬言うのを迷うかのように視線をさまよわせたが、すぐに口をひらく。
「紫色の目だとか」
躘は仙の話に真剣に耳をかたむけていたが、その言葉に、はじかれたように顔をあげた。
紫色の目。
知っているし見たことがあるし、なんなら美しくてみとれてしまうほど綺麗な目だ。
躘は思う。でも――。
「……それって」
「珍しいよな。この大陸には数少ないっていうし」
躘の不安をあおるのような仙の言葉に、躘の顔がこわばる。
「姉さんだとか、言わないよな」
躘が言うと、仙は躘をみつめたあと、ため息をつく。
どういう反応かと躘がじっと見ていると、仙はふっと笑った。
「……ばかみてぇな顔すんな」
「……どういう意味?」
躘が聞きかえすと、仙はふたたびふっと笑い躘の肩へ手を置いた。
「お前が
よかったと躘は安堵の息をはく。
だがふと勘づく。
「なんで、姉さんじゃないって分かった?」
「……あぁ」
仙はたまゆら真顔だったが、ふとなるほどな、とうなづく。
「巫覡と会ったんだよ、この前」
どこから流れてきたのか、深いお香のかおりがつんと鼻をつく。
仙はぐっと顔をしかめ、鼻をおおうように手をそえる。
「さっき、お前の想い人に会った。……目の色がちがった」
仙は、色のちがいを識別できる。
一見すれば色のちがいが分からないような似ている色でも、ちがうものを見ぬくことができる。
仙はつづける。
「想い人は、赤みがかった紫。でも、巫覡は、ほぼ青に近い紫。あれじゃあただの青だ」
仙は、ふたたび灯籠に目を向ける。
「だから安心しろ」
だんだんと、お香のかおりが近づいてきているようで、顔をしかめた。
「くっさいなぁ……お香か?」
仙はそう言い、広がる闇をにらむようにしてあたりを見わたす。
ぱたぱたと手であおぐようにしてお香のかおりを散らした躘は、目をつぶった。
宮中を静かに、だが確実に蝕んでいる闇を消すためには、彼女の力が必要不可欠だ。
明日、沙華姉さんに会いにいこう。心で思う。
そして、話をしよう。沙華姉さんと、わたくしとで。
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