第2話

⒉ しょんぼりさまー


それから私たちは数体の怪物をやっつけた。おおむね週に一度くらいのペースでやってきた。姿は思い出したくもない。マリカちゃんはあれから一回もアクセプターをよこせと言わなかったし、クラスの子もすごいすごいと言うだけだった。先生もパパも褒めてくれたけど、それだけだった。ファルザリオンだけが私を心配してくれた。ファルザリオンは今でも私たちを受け入れるのに、戸惑いというか罪悪感があるみたいだった。だから私もファルザリオンのために自分の意思でメルティングフェーズしなくてはならない。わかっていたことだ。私がやらなければいけないことなんだ。それに無理って言ったらハルナちゃんが殴るし。

ファルザリオンは胸を貫かれたり、背中を焼かれたり、膝を摺りつぶされたりした。あの宮本君でさえ何度も悲鳴をあげた。いや、私が叫ぶのにかき消されていただけで、ハルナちゃんも宮本君も叫んでいたらしい。私だけじゃないんだ、それはそうか、と思ったけど、泣いても叫んでも誰も助けてくれないことがはっきりしたようで怖くなった。ファルザリオンはどんなにボコボコにされてもアクセプターに入れば元に戻ったし、私たちも傷一つ負わなかった。もしかして、だから誰も心配してくれないのかもしれない。

プールの授業が始まるようになって、最初はアクセプターを教室に置いていたけど、不安になってプールサイドに置かせてもらった。宮本君が、

「防水だから、アクセプターつけたまま泳いでも大丈夫だよ。お風呂に沈めて確かめた」

と言った。でも本人は、泳ぎにくいじゃん、と外して平泳ぎをしている。私はアクセプターをつけてもつけなくてもどうせ泳げない。というか、お風呂に沈めるなんて、動かなくなったらどうするつもりだったんだ。溺れかけながらなんとかプールの端まで(長い方じゃなくて短い方ね)たどり着いた。

「よく頑張ったな、マキ。さっきより長い時間足をつかなかったぞ」

とアクセプターから声がすると、クラスのみんなも、僕はどうだった。ああ、フォームがよくなっていたぞ。私は。もう少しゆっくり息継ぎするといい。俺は。あと少しで泳ぎ切れたな、えらいぞ。とワイワイ騒ぎ出す。倉科先生がホイッスルを鳴らす。

「こら、ファルザリオン。授業中に騒がないように」

「す、すまない」

クラスのみんなが笑う。あのファルザリオンが逆に注意されてしゅんとしている。私もくすくすと笑う。みんなはそれくらいで喜んじゃうかもしれないけど、私はファルザリオンのもっとおかしなことを知っている。ファルザリオンはミートパイもブッポウソウもアレクサンドリア図書館も知らなかったし、夜のしょうもないメロドラマを私と一緒に見て、なんて悲しいすれ違いなんだ、と悲しそうな声を出していたし、きゅうりとゴーヤの区別ができないし。ファルザリオンは知らないことはすぐに辞書やインターネットで調べたがった。頼まれて自転車で少し遠くの図書館まで行かされて、よくわからない本をめくらされたことがあった。どういうことを調べたのか何度か聞いたことがあるが、ファルザリオンが精一杯わかりやすく説明してもちんぷんかんぷんだった。宮本君ならわかるかもしれないと思ったが、宮本君はファルザリオンの話を聞いても、

「機械工学は専門外だからわからない」

と言って首を振った。専門ってなんだよ。それにしても笑っちゃうのが、

「チン毛とは何か知りたい。辞書かインターネットを見せてくれ」

と真剣な声で聞いてきたことだ。おち、大人の男の人の股に生える毛だと説明すると、

「なるほど。私の体は金属だから、そのようなものはないというわけか。いや、アクセプターにいる私には肉体すらないのでは。そうか、この状態を私はアクセプターにいる、と思っているのか……それに私に生殖器官はないし、私が男であるとも大人であるとも思ったことはないが、そもそも」

と真面目に悩みだした。私の様子を見て、ファルザリオンは照れ隠しなのか本当に理解できないのか、

「む、どうした、どこかおかしかったか」

とますます深刻そうな声を出すのだった。こういうファルザリオンをクラスのみんなも倉科先生もパパも、ハルナちゃんや宮本君すら知らないのだと思うと、少し優越感がある。けど、先生に注意された後も男子たちにこそこそ話しかけられ、静かにするよう言っているファルザリオンを見たら、なんだかむかむかしてきて、アクセプターを取り上げ装着してしまう。大っぴらに文句を言うと、おしゃべりしていたことが先生にばれてしまうから、みんな恨めしそうな目をするだけだ。と、その時私が泳ぐ番が来てしまう。どうしよう。

「マキー、そのまま泳いじゃいなさいよ」

プールサイドの向こう側でハルナちゃんが呼びかけた。そうだ、楽しそうに馬鹿な男子たちとおしゃべりするファルザリオンなんていやだもん。私はずぶんとプールに入る。先生とファルザリオンが何か言ったきがしたが、気にせず顔を水につけ、プールサイドを足で蹴る。足で蹴る?これはずっとできていなかったことだった。姿勢をまっすぐにして水中を突っ切り足を交互に動かす。鼻から空気を漏らしながらゆっくりと浮上し、手を動かそうとしたところで指先がプールサイドに触れた。

「あ、あれ。できちゃった」

「どうしたのよ急に。できるなら最初からやりなさいよ」

「よくやったな、マキ」

ハルナちゃんや他のクラスメイトもびっくりしていたけど、一番驚いているのは私だ。さっきまでは、半分くらいで思いっきり水が鼻に入ってきて足を動かせば沈んでいくし、スタートだって何回も空振りしたり全然進まなかったりで散々だったのだ。それが今では、どうしてこんな簡単なことができなかったんだろうとさえ思っている。アクセプターに泳げるようになる機能なんてついていないだろう。ファルザリオンが応援してくれたおかげだろうか。次の自分の番ではアクセプターを外して泳いだけど(なぜなら先生に外しなさいと怒られたから)やっぱり簡単に泳ぐことができた。ハルナちゃんが

「不条理だわっ」

とアクセプターをつけてバタフライに挑戦していたけど、あまり上手くいっていなかった。宮本君はアクセプターをつけなかったし、泳ぎも変わっているようには見えなかった。私は初めて泳げない子用のCレーンからBレーンに昇格した。

 学校から帰ってきて、私はご機嫌に鼻歌を歌いながら自転車を出した。そういえばあの泳げるようになったときの、急にがこっと動かし方がわかっちゃう感覚は自転車に乗れるようになったときの感覚に近いかもしれない。プールでは寒かったけど、自転車をずっと漕いでいると少し汗ばむ。息を切らしかけた頃に、ようやく目当ての駄菓子屋にたどり着いた。私は駄菓子屋なんてショッピングモールかマンガの中にしかないと思っていたから、初めて図書館の帰り道で発見した時は興奮した。しかも本物のおばあちゃんが店番をしているし、買い物をしてもレシートが出てこないのだ。

「あら、マキちゃんいらっしゃい」

私は適当にお辞儀をしてお菓子を物色する。私がこの場所が好きなのは、丁度、学区と学区の間あたりにある上に団地からも遠くて、ほとんど誰も来なかったからだ。なのに、ファルザリオンのせいですっかりおばあちゃんに顔と名前を憶えられてしまった。アクセプターはよく目立つ。私は奮発して三十円のお菓子を二つと五十円のお菓子を一つ買った。ファルザリオンはそんなに買うと夕食が食べられなくなると小言を言ったけど、私はB レーンだからそういうのは受け流せる度量があるのだ。私はうきうきで買うと、駄菓子屋の前のベンチで食べ始める。このベンチはおばあちゃんから死角になっているから助かった。

「お、久しぶり。ご馳走だね」

「ネクロだ。久しぶり」

いつの間にか目の前に背の高い制服の女子が立っている。お菓子に夢中で気がつかなかった。

「ネクロ?初めまして私は」

「ファルザリオン、だよね」

「え、どうして知っているの」

「まあ、有名だからね」

と言ってくすくす笑うと、アイスを買って私の横に座った。やはり中学三年生ともなると大金持ちだ。アイスならスーパーで買った方が安いのに。

「しかし、あのマンガはてっきりフィクションなんだと思っていたが」

「いや、そうだよ。マックスマカーブルのネクロに似ているから、あだ名がネクロ」

「私、女子なんだけどなぁ」

と言って鼻を掻く。性別も年齢も違うし、そもそもただの中学生で死神でもなかったけど、ネクロはどこかネクロに似ていた。話し方なのかな。

「懐かしいなぁ、今旦那が仲間になったあたり?」

「え、奥さんにいじめられている夫婦は出てきたけど、仲間になるの。何で知ってるの」

「それは、あれが本当にあった話だからだよ」

ネクロがかじったアイスを私に向ける。

「嘘っ」

「嘘だよ。本当はマックスマカーブルって、オペラが元ネタだって有名なんだよ。興味があったら調べてみたらいい。」

ネクロは時々こうした意味のない嘘を吐いた。実は学区外の町は存在せず、見える部分だけごまかしているとか、私は未来から来た宇宙人だとか、給食の牛乳は白い絵の具を溶かしたものだとか、団地のお化けの正体はホームレスだとか(これはあとで本当だと知った)、プリンに醤油をかけるとウニ味だとか。もうだまされないぞ、と思うんだけど、ネクロがいつも真顔でさも常識であるかのように堂々と話し出すから信じてしまう。それに本当のこととネクロの考えたことをごちゃ混ぜにして話すのだ。いつものネクロのやり方を考えると、マックスマカーブルが実話をもとにしているというのが嘘で、元ネタがあるというのが本当なのだろう。

「美術館のライブラリにCDあったから聞いてみたら。対訳付きだし」

これも本当か疑わしかったが、調べてすぐにわかるような嘘は吐かないだろう。美術館はパパと行ったことがあったが、知っている絵が一枚もなくてつまらなかった。と言っても知っている絵なんて、モナリザとひまわりとルーベンスのネロとパトラッシュが死ぬ前に見たやつと、なんか時計がスライスチーズみたいに溶けているやつと我が子を食らうサトゥルヌスくらいだ。あの絵は本当に怖い。知っている絵だけど、美術館に本物がなくてよかった。いつ見たのかはもう忘れてしまったが、しばらくは一人でトイレに行けなくなった記憶が残っている。

「そのオペラのお話って怖くない?」

「全然。でも小三にはちょっと早いかも」

馬鹿にされた気がして少しムッとする。ネクロがスマホを操作して、何かを私に見せる。

「って、やっぱり怖いやつじゃん」

画面に映ったのは、舞台いっぱいになるほど巨大なしゃがんだ人間だった。しかもその人間に骸骨が投影されている。ネクロが手で口を覆って笑って、ファルザリオンも笑った。ひどい。

「敵と戦うより怖くないと思うけどなぁ」

「どっちも怖いの。何で私が。いつまでやんなきゃいけないんだろう」

「いつまでって、そりゃ四年生までだよ。一年は越えないね」

「それはどういう意味なのだ」

「意味っていうか、そういうものだから。だって三年三組なのは一年だけでしょ」

ネクロがさも当然のように言う。またいつもの冗談だろうか。ファルザリオンは無邪気に、よかったな、あと少しの辛抱だと言っている。ゆっくり味わっていたのに、お菓子はもうなくなってしまった。

「そろそろ帰るね」

私は自転車にまたがる。もしかしたらネクロから逃げたかったのかもしれない。嬉しいことを聞いたはずなのにどうして楽しくないんだろう。ファルザリオンは戦いについて、特にそれ以上何も言わなかった。食物は摂取できないから、味覚というものに興味があると言った。私は甘いを説明しようとしたけど、何も伝えることができなかった。ファルザリオンは無理なのが初めからわかっていたように、甘いは甘いだよ、という私のめちゃくちゃな説明を優しく聞いてくれたので、余計にもどかしくなった。あと、その日の夕食はやっぱり残して、パパとファルザリオンに怒られた。

 私は足をくじいたので休み時間の鬼ごっこやドッヂボールには参加できず、教室に残っていた。通学中転んでしまったのだ。ファルザリオンは何もないところで転ぶとは、と驚いていた。同じ班のみんなは、遅刻するからと言ってさっさと行ってしまった。ランドセルくらい持ってくれてもいいのに。足を引きずりながら保健室まで何とかたどり着いた。とても痛かったけど、もうこの程度の痛みで泣いたりはしない。教室には本を読む宮本君と自由帳に何かを書いているキョウコちゃんが残っている。宮本君は先生からも外に出て遊ぶように言われていたけど、何だかんだ理屈をこねて断固拒否した。キョウコちゃんは理由は知らないがマリカちゃんに嫌われていて、それであまりクラス全体の遊びには加わらなかった。私も本当はこうして教室に残っていたかったけど、先生に注意されるしハルナちゃんに連行されるし、参加するしかなかった。鬼ごっこなら校庭の隅に隠れていればいつか終わるからよかったけど、ドッヂボールなら最悪だ。痛いし怖いし疲れるし。クラスの七割はドッヂボールなんてやりたくないのに、誰も残りの三割に逆らえないのだ。その三割すら、ドッヂボールのたびに、あいつは本当はアウトだったのにとかあいつわざと強くぶつけてきたとか文句を言いだすから教室の空気がピリピリする。誰も得しないのになぜやらないといけないんだろう。

教室に取り残された私は何もすることがなく、座ったままぼんやりしていた。全然興味ないが仕方がない、と学級文庫から何か持ってこようとするとキョウコちゃんが顔をあげる。

「あれ、ありっち外いかないの」

「うん、足くじいちゃって。何書いてたの」

よかった、話しかけてくれた。これで一人にならずに済む、

「うーんいろいろ」

と自由帳をパラパラめくってみせる。迷路やオリジナルの漢字、暗号のような文字列、マンガのキャラクター、算数の授業の板書などが書かれていた。

「わー上手。かわいいー」

実際、同年代の女子よりは上手な絵ではあった。しかし私は足が治るまでの会話相手を失いたくなかった。最悪ファルザリオンと話し続けることになる。

「君がこんなに上手とは知らなかった」

とファルザリオンが付け加える。キョウコちゃんは気をよくして、何を書いたのか熱心に説明しだす。こうやって一人で盛り上がるからマリカちゃんに嫌われるのに。私は愛想よく相槌を打つ。反応に困ってもファルザリオンが何かしら返事してくれた。

「で、これがマジクロのアンナで、フリルが大変だったんだけど、腰がう、上手く書けて、下のがなかハラのキョンシー先生ね、ってこれはちょっとマイナーだからわからないか、フフッごめん。んでこっちはマクマカのネクロ」

「あーマックスマカーブル面白いよね、ネクロかっこいいー」

「えーありっちも読んでたの。やばい、クラスに読んでる人がいたなんて驚きなんですけど」

たぶん他の人も読んでいる。ただエッチなシーンが多いから読んでいないふりをしているだけだ。私もそうだってが、今はいちいち隠すのが面倒な気がしていた。

「え、そんなに人気なんだ、マックスマカーブル」

宮本君が口を挟む。聞き耳立てていたのか。

「宮本君も読んでるの」

「まあね、ネットで有名なんだよ。すごくとんがった少女マンガだって」

「気持ち悪」

キョウコちゃんがすっと言い放つ。いや、私もちょっと思ったけど。

「キョウコ、人の趣味を馬鹿にするのはよくない」

「あー、はいはい。ごめん」

「別にファルザリオンは気にしなくていいよ。まあ、事実だし」

そう言って宮本君はまた背を向けて読書に戻ってしまった。宮本君の感想は気になったからずけずけと言うキョウコちゃんにかちんときたけど、私の言いたいことを代弁してくれてスカッともした。マリカちゃんでさえ、宮本君にはここまではっきり言わない。宮本君、キレたらナイフとか振り回しそうだし。キョウコちゃんの自作解題の間、あのクールな宮本君が顔を真っ赤にして泣きながらナイフを振り回すところを想像してニコニコしていた。いや、宮本君だったらマシンガンだって作れそうだ。迷彩ジャケットにマシンガンや手榴弾を装備して教室に乗り込んできた宮本君が、ファルザリオンの説得も振り切って乱射してしまうのだ。そして私は机の下で震えることしかできない。

「……だと思わない?」

「うん。そうだね」

正直聞いていなかったが、ファルザリオンが相手してくれたので助かった。

「僕はそうは思わない」

宮本君がこちらを向いて、ぱたんと本を閉じる。

「読み終わったら、もう一度読み直せばいいんだよ。読み終えたら終わりではない。ずいぶんと浅い感受性だね」

キョウコちゃんが口をパクパクさせているとチャイムが鳴った。私は、んじゃ、と自分の席に戻る。何の話をしていたのかしらないが、宮本君は案外キモイと言われたのを根に持っていたらしい。面倒くさいなぁ。やっぱり宮本君を怒らせるのはやめた方がよさそうだ。学校に爆弾しかけるかもしれない。

 「だからそのために私たちって戦ってると思うのよね」

給食中、ハルナちゃんがおもむろに口を開いた。

「む、それはだな」

「そんなわけないじゃん。馬鹿なんじゃないの」

近くにいたマリカちゃんが口を挟む。

「うるさいなあ。マジで信じてるわけないでしょ、世界の終わりなんて」

「どうだか。有野さんも信じちゃってる系?お子様ね」

「あ、あの、私はそんなに」

世界の終わりというのは最近流行っている噂話だ。この手の話は苦手だから詳しくは知らないけど、隕石かなんかの落下が何かで予言されているらしい。みんなも別に信じているわけじゃない。この前流行った巨大地震だってはずれちゃったし。

「でも、この噂が流行ってすぐファルザリオンが来たでしょ。偶然じゃないと思うのよね」

「はぁー?そんなのあんたが予言を知ったのが最近ってだけでしょ。ほんと馬鹿なんだから」

「何だと。というかその口ぶり、信じちゃってるのはマリカの方じゃないの。ほんとガキね」

「誰がガキだって」

マリカちゃんグループの子たちが二人をいさめる。私は何も言えないし、宮本君は無関心だし助かった。二人が騒いで他の子も一瞬、こっちを見たけど、すぐにおしゃべりに戻った。赤坂君グループなんてyoutuberのやっていたらしいしりとりゲーム(ルールは知らない)に夢中でこっちを見てさえいなかった。

「噂だとはいえ、実に興味深い」

とファルザリオンが二人を仲裁するが、マリカちゃんグループのヨナちゃんが、

「だよね、面白いよね」

と目を輝かせて旧約聖書がどうとか古代なんとか文明がどうとか言いだした。私は怖くて耳をふさいでいると、宮本君が、その引用は正しくないとか最新の研究ではどうとか注釈しだした。実は宮本君は信じているのだろうか。だったら少しかわいらしい。何を言っているのかわからないが、すっかり二人の世界に入ってしまって、マリカちゃんもハルナちゃんも口を挟まずそのまま黙って給食を食べだした。ある意味仲裁は成功したらしい。その瞬間、

「罰ゲーム」

と大声で赤坂君が叫んで、牛乳を太っている方の山本君にぶっかけた。山本君の机ががたっと動く。

「熱っ」

と山本君が驚いて、たぶん手に味噌汁がかかったんだと思う、手を振り上げると山本君の生姜焼きが吹き飛び、エリちゃんに直撃した。胸元がべちゃべちゃになったエリちゃんが、

「何すんだよ」

と怒って席を立つ。エリちゃんグループのみんなも山本君を睨みつける。

「ご、ごめ」

と山本君が近寄ると、

「謝りなさいよこのデブ」

エリちゃんが山本君を突き飛ばす。他の子もそうだ、謝れ、と言い出すと同時に、山本君がバランスを崩し、給食の配膳机に頭を思い切りぶつけてうずくまり、その上に余っていた熱々の味噌汁が降り注いだ。山本君の悲鳴で教室が沈まる。

「お前が悪いんだよ。これでおあい」

とエリちゃんが言う前に山本君がクラウチングスタートみたいにエリちゃんに飛び掛かった。エリちゃんも倒れてもつれ、洋服が味噌汁まみれになる。山本君がビービー泣きながらエリちゃんの髪の毛を引っ張る。ぐわんぐわんとエリちゃんは振り回されて、泣きながらポカポカと山本君を殴りだした。

「あーあ泣いちゃった」

と赤坂君がからかうと、だいたいあんたのせいでしょ、いつもうるさいんだよ、臭いし、キモイし、食べ物を粗末にするな、謝れ、謝れ、謝れ、とエリちゃんグループの子たちが取り囲んでキックしだした。

「こら、全員やめなさい」

と先生は言うガ、泣きながらうずくまって女子にリンチされている赤坂君と味噌汁と生姜焼きと牛乳で汚れながら取っ組み合うエリちゃんと山本君を指さして、ハルナちゃんとマリカちゃんが肩を組んでげひゃひゃひゃと笑った。ファルザリオンの君たち、落ち着くんだという声にかぶさるように、馬場君が机をバンっと叩いて、

「みなさん静かにしてください」

と叫ぶ。机を叩いた衝撃で牛乳瓶がくるくると揺れ、床に落ちて砕け散る。それからはめちゃくちゃだった。あー先生、馬場君が瓶割りました。いけないんだ。山本君が唸り声をあげて配膳用のご飯の容器を投げつける。エリちゃんにぶつかり、よろけて加藤君と衝突する。なんだよ汚いな、やめろや。エリちゃんが加藤君の味噌汁を加藤君にぶっかける。このころには先生の声もファルザリオンの声も誰も聞いていない。食器が飛び交う。ゲロを吐く。泣く。叫ぶ。笑う(主に二名)。殴り、引っ張り、服をちぎる。喚く。煽る。逃げる。悲鳴。怒声。宮本君は頬杖をついてあくびをしながらページをめくっている。ヨナちゃんが宮本君の肩越しに近づく。

「宮本君、何読んでいるの」

「ディッシュの人類皆殺し」

みんな怖いし、宮本君は何もしてくれないし、私も泣き出した。

「あひゃひゃひゃ、あ、有野さんがなんで泣くんだよ。どういう、フフ、心境の変化なんだよ馬鹿じゃない」

「こら、馬鹿って言うなマリカ、ヒヒヒ、マキ鼻水垂れて、ごめん、すげー馬鹿面だわ。あーはっははああ」

校内放送があと五分で給食の時間が終わることを伝える。

 その時、教室が揺れて、全員の動きが止まる。私は顔をあげる。目の前に長い嘴のついたガスマスクのような顔が立っている。どうやらやらなきゃいけないようだ。みんな、頑張って、とクラスの人たちが応援する。エリちゃんと山本君も胸倉を掴みあいながら、ファイト、と言った。

「メルティングフェーズ」

私たちが叫ぶ。正直、この教室から抜け出せて少しほっとしていた。

 怪物は全身真っ赤。腕にはコウモリか翼竜みたいに膜がついていた。まっすぐこちらを見ているが、もうこれだけで叫んだりはしない。

「とりあえず牽制よ。ファルバレット」

肩から金属の塊を数発打ち出す。怪物に当たって跳ね返り、そのまま地面を抉る。どうやら効き目は薄いらしい。とその時、怪物がジャンプした。膝も曲げなかったからさっぱり予測できなかった。

「着地が隙になる。ファルソード」

「ファルソード」

しかし怪物は落下しない。それどころか少しずつ浮いて、

「ありえない」

と宮本君がこぼす。怪物は宙に浮かんでいた。

「空を飛ぶならその羽くらい使いなさいよ」

怪物は空中で直立していた。バグったゲーム画面みたいだ。怪物のお腹がバカっと開く、短い悲鳴をあげて回避すると、元いた場所が燃え上がる。あのお腹から火の玉を吐いているらしい。

「これなら。ファルレーザー」

「ファルレーザー」

肘を怪物に向けて光を放つ。しかし怪物はゆらゆらと逃げ、こちらも走り回っているせいで当たらない。いや、さっきのは当たったように見えたけど、と思った瞬間、ファルザリオンがすっころぶ。頭から胸にびたんと打ち付ける痛みが走る。そして、足を掴まれた感覚。

「何なのだ。一体」

そして火の玉が私にぶつかる。ファルレーザーもファルソードもぶつけたけど無意味だった。熱さよりも痛みが勝っていたが思わず

「ああああああ熱いいいい」

と泣き叫ぶ。ハルナちゃんがわかってるんだよ馬鹿と怒鳴りつける。怪物が急に落下してきて、お腹の上に飛び乗る。これも痛かったけど、それどころではない。とっさに左腕で顔を殴りつける。怪物の動きが止まった。もしかして、これで。そして怪物の嘴が三つにパカッと開き、左腕が飲み込まれる。

「な、なんなのこれやだ」

慌てて引き抜こうとするが動かない。指先がつぶれる。

「ぎ、ぐがあああ」

ファルザリオンの悲鳴にかき消されていたが、私たちも叫ぶ。指先だけではない。少しずつ私の腕が先から潰されて行っている。ファルソードで出鱈目に怪物の体を切りつける。でもまったく手ごたえがない。

「うぐっ。まずい。ファルサンダー」

「ファルサンダー」

ファルザリオンを中心に青白いバチバチが飛び交う。しかし怪物は一切反応せず、腕をぎりぎりと潰している。それどころか、体ごと引き込まれている。どうしよう、痛みで何も考えられない。

「とりあえず、逃げるが勝ちよ。ファルソードで切りなさい」

「し、しかしファルソードでは倒すことなど」

「私たちの腕切って逃げるの」

「や、やあだやだやだ」

「うるさいんだよ。ああああああ」

ハルナちゃんが思いっ切り叫んでファルソードを左腕に振り下ろす。バチンと音がして、私の肉が、骨が、割断される。

「んぎいいい痛いいあああ」

「食われるより一瞬でしょうが。我慢しろ」

「くっ。しかしどうすれば……ファル」

「あ」

私は何が起こったのか一瞬わからなかった。カプセルに映る画面の右が暗い。そして目の違和感。違和感?これは

「うごぁぁあああああ」

ファルザリオンが右目を押さえる。痛い。これは、何。目を開けられない。怪物がかまわず体当たりする。左の太ももにがつんと貫かれた感触が走る。

「ちくしょうが!ファルサンダー」

「フ……ダ……」

再びバチバチと轟音を立てる。しかし止まらない。怪物が胸を触っている。そしてべりべりとあばら骨が抜き出される感覚。私は半狂乱になってレバーを動かす。

「ファルミサイルゥゥ」

しかしファルザリオンは何も答えない。首の中央がずれる感覚がした。目の前が光っている。これはメルティングフェーズの時のような。光が強まり、何も見えなくなって、私は高いところから落ちているような感覚を受けた。背中に鈍い衝撃が伝わった気がして、周りが真っ暗になった。

 知っている天井だった。高く吹き抜けたアーチ状の天井の下に鉄骨が張り巡らされ、バレーボールがいくつか挟まっている。

「お、目ぇ覚めた」

倉科先生?それにクラスのみんな。知らない男の人が視界の隅に入る。ゆっくりと上体を起こす。もしかしてさっきの戦いは夢だったんじゃないかと思ったが、背中がひどく痛む。私がいたのは学校の体育館だった。でも様子が変だ。知らない人たちが段ボールやブルーシートでブースを作っている。外はまだ明るい。お泊り会ではなさそうだ。

「えっと、これって何なの」

「それは直接見た方が早い」

宮本君が私に手を差し出す。後ろでハルナちゃんが腕を組んで不機嫌そうに立っていた。

体育館から出る。その時、私の足がもう痛まないのに気が付いた。どういうことだろう。校庭にはもう誰もいない。ただガタガタになった地面や遊具だけが何かがあったことを示していた。正門まで歩いていく。帰るつもりだろおうか。そして私は宮本君とハルナちゃんが何を見せたかったのか理解した。校門の先がまっすぐ何もなくなっている。家もお店も全部なぎ倒されている。炎が上がっているところもある。そしてその先に大きな影が揺れるのが見える。

「あの時、もうファルザリオンは動けなかった。だからアクセプターに戻して逃げるしかなかったんだ」

「んで、私たちが消えたのを見たら、のしのし歩きだしてこのザマってわけ。飛べるんだから飛びなさいよ」

ハルナちゃんが舌打ちをして小石を蹴り上げる。宮本君は目を閉じると右目がらつーっと涙を零した。

「ファルザリオンは、ファルザリオンは無事なの」

私はアクセプターに話しかける。しかし何も答えない。アクセプターをぶんぶんと振り回す。ハルナちゃんと宮本君のアクセプターにも反応はない。

「落ち着いて。今はアクセプターで回復中なんだ。回復に集中しているから、今は会話もできない」

「いつまで、待てばいいの」

「たぶん十二時には終わる」

「十二時って、お昼まで、ってあれ、給食が十二時五十分からで、そっから戦って、あれ」

「馬鹿ね。今は夜よ。二十時四十三分」

「でも、」

「そう、日が暮れないんだ。きっとあの怪物の仕業に違いない」

「今はとりあえず私たちも休むの優先よ。どうしようもないんだから」

「でも、でも、何もできなくって、それで」

「収穫はあったよ。わかったのは怪物はみんなファルザリオンを食べようとすること。ファルザリオンがいなければ学校の外へ歩き出すこと。怪物がいると日が暮れないこと。怪物は宙に浮くこと。怪物には触れる部分と触れない部分があったこと」

「でも、でも、でも」

「うっさい」

ハルナちゃんが私の頭を殴る。痛みはたいしたことない。だけど私は我慢できず鼻をすする。

「泣くな。どっちにしろ、私たちがやるしかないのよ。戦うしかないの。それだけの話だろうが。でもだってうるさい」

「……神田の言う通りだよ。今は休もう。十一時半には怪物の方にもう一度向かう。いいね」

絶対にいやだった。でもハルナちゃんが正しいのだ。私たちがやるしかない。たとえ勝てなくても、決まっていることなのだ。体育館にはみんなの目が怖かったから戻らなかった。だって町を壊したのは私たちみたいなものだもん。多目的室にもらった段ボールを敷いて横になる。学校はあんなに人がいるのにいつもより静かに感じた。こんな状況で眠る気になんてなれない。宮本君は背を向けて動かなかったけど、ハルナちゃんはずっと寝返りを打っている。もしもファルザリオンが目覚めなかったらどうしよう、それに怪物でパパが死んじゃったら、と考えていたらまた涙が出てくる。ハルナちゃんに怒られないように必死に声を殺す。すすり泣く声に時計の音が覆いかぶさる。こんなに時計の音って大きかっただろうか。ハルナちゃんは何も言わなかった。遠くでサイレンの音が聞こえた気がした。

 十一時半少し前に、私たちは倉科先生の車に乗った。いつもはとっくに寝ている時間だが、目がギンギンしている。ハルナちゃんが助手席に真っ先に座って、宮本君と私が後ろに乗る。人の車に乗るのは苦手だ。倉科先生の臭いが社内に閉じ込められて気分が悪くなる。先生はいつもの調子で、頑張れよ、と話しかけていたが、とても明るく話す気分にはなれない。いくつか信号が止まって、警察官が交通整理している。そして煙とサイレン。少しずつ怪物の姿が大きくなる。煙が揺れる。その時、赤い影が怪物にぶつかる。怪物がのけぞり、膝から上だけで起き上がろうとすると、赤い影が怪物の上に飛び乗った。

「出たなシュミラク星人。プロヴィデンスカイザーが相手だ」

巨人が叫ぶ。赤いファルザリオン?金属でできた巨体は少し似ているかもしれないが、赤い巨体はファルザリオンよりもずんぐりとしていて、頭の横に大砲のようなものがついていた。

「こ、ここは一体」

「ファルザリオン!」

私は自分のアクセプターを抱きしめる。よかったちゃんと生きていたんだ。

「あーあれはたぶん金米小学校の子だな。もうすぐ学区外だから」

「僕たちは一度怪物に負けて、今は再び怪物に向かっているところだよ」

「起きたならさっさとやるわよ」

「じゃあ、みんな頑張れよ」

「メルティングフェーズ」

ファルザリオンが立ち上がる。ファルザリオンから見た町はひどい有様だった。学校から一直線に町がなぎ倒されている。ところどころに逃げ惑う人が見えた。

「お前ら、川浮小のやつらだろ。怪物取り逃がしたな」

怪物を踏みつけながら赤い巨人が話しかける。

「すまない、だが」

「その怪物は触れないことがあるんだ。気を付けて」

「おうよ。プロヴィデンスアイ」

赤い巨人の二つの目が重なって一つになる。あたりを見渡すと、急に肩の大砲が百八十度回転して背後に砲撃する。赤いビームのようなものがしばらく進み、空中で止まる。止まった時点でビームが火花のようなものがあがり、町に飛び散って炎が巻き起こる。

「そこにいたのか。ファルレーザー」

「ファルレーザー」

元に戻った左腕を構えて、こちらも発射する。ビームと一緒の地点で一瞬光が途切れ、すぐに後ろに突き抜ける。

「やったか」

とその時、赤い巨人が足元からすくわれたようにひっくり返る。

「やべっ、プロヴィデンスハンマー」

胸から大きな塊が飛んでいき、怪物にぶつかる。私たちもとっさに走って、ファルソードで切りつける。確かに今度は何かにぶつかった手ごたえがあった。が、ファルソードがぶつかってすぐ、刀が宙を切る。

「あいつ、影と本物を部分的に入れ替えながら戦ってるみたいだぜ。やっかいだ」

「どうしよう、火を吐くつもりだよっ」

怪物がいつの間にか背後に回り込みゆっくりと浮かび上がる。赤い巨人がコンパスをとりだし、空中に円を描くと、中央に巨大な一つ目が現れる。目の上に火の玉がぶつかって、どうにか町への被害は防いだ。でも、

「このままじゃ埒が明かないわね」

「どうしよう、ファルザリオン。どうしよう」

「わかっているはずだよ」

「ああ、そうだな」

宮本君が、赤い巨人が続く。何、わからないよ。私はペダルを踏み、赤いメダルを手に取る。メダルには燃える目が刻まれていた。

「ファルスフィア」

空中の目に向かって光の環を放つ。輪は巨大になり、ファルザリオンと赤い巨人を中心として回転し始める。

「コラプスフェーズ」

私たちはメダルをアクセプターにはめ込み、叫ぶ。

「や、やだ、何言ったの、私。何が起きて」

混乱していると、赤い巨人がバラバラになった。悲鳴をあげる。しかし、やられたわけではなさそうだ。まるであらかじめ分解することが決められていたようにブロック状に割断される。ブロックの一つがファルザリオンの背中にくっつく。そして、背中に何かが埋め込まれる感覚。その時、私の足が開いた。開いたというのはそのままの意味だ。私の脛から太ももががぱっと切り開かれた感覚がして、骨がむき出しになる。痛みはない。それが余計に気持ち悪い。

「何なのだ、これは」

ファルザリオンも困惑の声をあげる。切り開かれた足にギプスのように赤いブロックが覆いかぶさる。そして、私の腰が分かたれた。

「な、何なのこれ、やだ、気持ち悪い。私が裂けちゃう。やだ」

私の腰にまた何かが埋め込まれる感覚がした。やだ気持ち悪い。私はファルザリオンにつぎはぎされた赤い部分にも感覚が通じているのに気が付いた。やだ、私がバラバラになって壊れちゃう。私の体中が分解され、切り開かれ、ねじれ、別の何かが侵入してくる。やだ、怖い、気持ち悪い。ファルスフィアが消え去り、私たちが叫ぶ。

「合体!カイザーファルザリオン」

空中の目がバリンと砕ける。私は落ちてきた火の玉を殴りつけて跳ね返す。

「カイザーアイ」

宮本君が叫ぶ。ファルザリオンの前にゴーグルのようなものが下りてくる。そして、赤い巨人が言っていたことを理解する。二つの影が、ゆらゆら動いている。そのどちらの怪物も本物で偽物だった。火の玉を吐くとき、その一部だけ本物であると示した。

「攻撃してくる方が本物ってことだな」

赤い巨人の声が聞こえる。

「だったら、カイザーウィング」

背中に熱気を感じると、こちらも宙に浮かび上がり、そのまま怪物に掴みかかる。逃げられたらどうしようと思ったがちゃんとぶつかった。しかし、肩に鋭い痛みが走る。裂けた嘴が右肩を覆っていた。

「ぐ、今だ」

噛みつかれたままファルザリオンはどんどん高度をあげる。少しずつ速度が上がり、体が押しつぶされそうになる。町がどんどん小さく消えて見えなくなっていく。数分間上昇し続けて、速度が落ちた。体がふわっと軽くなる。まさか宇宙にまで来たのだろうか。しかし、周りにはまだ変わらず青空が広がっていた。だけど足元にも地球が見える。ここまで高いと怖いとさえ思わない。

「カイザーハンマー」

再び胸からハンマーを打ち出し、ぶつける。そのまま宙に浮いたハンマーを手に取り殴りつけると、怪物の嘴が離れた。

「カイザーバレット」

すかさず弾丸を打ち付けるが当たらない。また虚像と入れ替わったようだ。

「偽物は本物の近くにしかいられないみたいね」

カイザーアイはまた二つの影がここにあることを示していた。そして右足に痛みが走る。

「ぐあっ。これは」

右足に杭のようなものが刺さっている。きっとこれにさっきもやられたんだ。カイザーウィングを動かしてジグザグに逃げる。何度か杭が横をかすめた。

「いや、待て」

「そうか、この杭は実体」

赤い巨人と宮本君が二人で納得して立ち止まる。

「馬鹿っ説明しなさいよ」

立ち止まった私に無数の杭が突き刺さる。

「ぐあああああ、く、カイザーサンダー」

青空に光の渦が巻き起こる。と同時にカイザーサンダーの範囲外にいた怪物が動きを止める。

「怪物はあの二つの影だけじゃない。この杭も怪物そのものなんだ。さっきから消えたり現れたりするのと同じ原理で実体を打ち出し、攻撃している」

「そしてこれだけ実体を集めれば」

「なるほど、ていうか簡単じゃん。本物だろうが偽物だろうが倒せばいいんでしょ。ファルスフィア」

光の輪が私たちも、怪物も包み込む。怪物の反応は本物と偽物が急速に点滅するように入れ替わっている。私たちは唸り声をあげてカイザーサンダーを身にまとったまま怪物に殴りかかる。怪物の右肩に直撃を食らわせるが、怪物も私のお腹に蹴りを入れる。だけどもうこんなの全然痛くない。そのまま足を掴んで膝にハンマーを振り下ろす。何も音はしない。しかし確かにひしゃげさせ、砕いた感覚があった。怪物の手刀が私の首に当たる。

「カイザーリング」

痛みをこらえて私は叫ぶ。光のアーチが怪物にぶつかって拘束する。光から足も伸びるが突き刺さる場所はここにはない。私は光の足を鷲掴みにしてこちらに引き寄せる。

「カイザーソード」

ハンマーを投げ捨て、カイザーソードで虫の標本みたいに串刺しにする。そして肩の大砲の砲門を怪物に直接突き刺す。

「カイザークラッシュ」

怪物も杭もまだびくびくと蠢いている。怪物から少しずつ赤いビームが体を切り裂くように漏れている。怪物の腕がカイザーリングを引きちぎるがもう遅い。腕がカイザーソードを引き抜こうと触れた瞬間、怪物の体が裂けていく。同時に体に突き刺さっていた何かが抜ける感覚がした。静かに、赤と青の光をまき散らしながら、青空の中で怪物が爆散した。

 「どうやら何とか勝てたようだ。ありがとう、君は」

「俺は金米小学校三年三組の三倉コウキ。プロヴィデンスカイザーのコウキだ」

「ありがとう助かったわって、どこよここ」

気が付けばあたりが一面真っ暗になっていた。写真で見ていた宇宙そっくりだ。

「何って宇宙だよ」

宮本君がそっけなく答え、エレベーターが動き始めたような感覚がして、一瞬お尻が椅子から浮いた。

「とにかくさっさと帰ろうぜ。眠いし腹減った」

まずいやっぱり落ちている。地球がどんどん迫ってきている。

「や、やだやだやだ落ちちゃう。死んじゃう怖い。ファルザリオン助けて」

「ごめん、三倉コウキ君。こいつってこんな奴なの。私は川浮小三年三組の神田ハルナ、こっちの男子が宮本ユウ、んでうるさいのが有野マキで、慰めているおっさん声がファルザリオン」

「えーお前たちの巨人ってしゃべるのか。すげー」

「そのプロヴィデンスカイザーというのも面白い。少しファルザリオンとも似ているみたいだけど」

三人は何かのんきに話し出したけど、私はそれどころではなかった。私の悲鳴が夜の町に響くころには、町の火事は収まっていた。私たちは連絡先を交換すると(私は放心状態だったから直接はしていない。ごめん)各々家に帰った。パパは私の気もしらないでグーグー寝ていた。蹴っ飛ばそうと思ったがそんな気力もない。私はシャワーも浴びず背中から布団に倒れこむ。次に目を覚ましたのはもう夕方だった。

 次の日曜日に私たちは会うことになった。学区から離れた少し大きなスーパーのフードコートだ。ハルナちゃんの家の前で待ち合わせして、一緒に自転車で向かった。もうすぐ夏休みだ。蒸し暑く、もうセミの鳴き声が聞こえる。

 フードコートではもう宮本君が座って待っていた。本を読んでいる子供なんて周りに一人しかいないからすぐにわかる。

「早いわね。あのコウキってやつはまだなの」

「みたいだね」

フードコートはこの前あんなに町がめちゃくちゃになったのを感じさせないほどにぎわっていた。学校はそのあと休校になった。家が壊れたクラスメイトもいる。私のせいなのに、まあ、しょうがないよね、と言って責めもしないみんなが辛かった。

「……これからどんどん敵も強くなっていくのかな」

「知らないわよ。どうせ全部倒すんだから一緒よ」

私たちはしばらく今後のこと、主に夏休みの宿題について話していたが、なかなかあの赤い巨人の人は来ない。

「あーごめん、ごめん。寝坊した」

「あんた、四十分も過ぎてるんだけど。てか、あんたが指定した時間でしょうが」

「いやーほんとごめん」

赤い巨人の人がへらへらしながら椅子に座る。

「じゃあ、俺は三倉コウキ。プロヴィデンスカイザーを動かしてる」

「えっと、この前は挨拶できなくてごめんなさい。私は有野マキ。こっちがファルザリオン」

「よろしく」

「えーなんでその腕のやつから白いやつの声がすんだ」

三倉君が身を乗り出してベタベタとアクセプターを触る。

「あんたのプロヴィデンスカイザーって普段はどこにあるのよ」

「学校の地下。えーすげーおもしれー」

「あらためてお礼を言わせてくれ。コウキ。しかし、」

「いーよいーよ。シュミラク星人を取り逃がしたんだろ。まあ、あれ強かったししょうがないよ」

「シュミラク星人って」

宮本君が尋ねる。

「そりゃ学校を襲ってくる怪物だろ。戦ったじゃん。人型なのは珍しかったけど」

「ゴドナーじゃなくて?それに私たちの学校だと毎回あんな感じよ」

「え?そうなの。でも学区を越えようとしただろ。食べようとしたし」

「君のシュミラク星人というのも、巨人を食べようとして、いなければ学校から出て行ってしまうということかな」

「そーそー」

「だからシュミラク星人ってなんなのよ」

ハルナちゃんは遅刻のせいでいつもよりイライラしているらしい。三倉君を思いっ切りにらみつけるが、全然気にする様子はない。

「だから、シュミラク星からの侵略者だって」

「誰から聞いたのかな」

「知らね」

「いつから、どうやって戦い始めたんだよ」

「始めたのは小三になってすぐくらい?なんか声がして戦えって。そしたらなんかっ操縦席にいて、戦えたし、あーこういうもんねって感じでみたいな」

「なるほど。僕たちとだいたい同じみたいだね」

「まー同じ三年三組同士苦労するぜ。まったく」

三倉君がリュックから水筒を取り出し、キャップを開ける。が、口につける前にハルナちゃんが腕を掴んで止める。

「プロヴィデンスカイザーってなんなのよ」

「それ言ったらファルザリオンってなんだよ。しゃべるし腕にいるし、意味不明」

「私もそれが聞きたかったのだ。あのプロヴィデンスカイザーというもの。私の背中のくぼみに丁度当てはまる突起があった。私が、プロヴィデンスカイザーが、あらかじめ二つで一つになることが予定されていたように動いた。あれは何だ」

「だから俺が聞きてえよ。学区を越えちゃうことは初めてじゃないけど、俺も二回やっちゃったし、合体なんて聞いたことねえよ」

ハルナちゃんの腕を振り切ってぐびぐびと飲みだす。口の端から麦茶が垂れる。

「違う小学校は本来かかわらない。なのになぜ合体が仕込まれていたのか」

「でもまあ、そういうもんだからじゃねぇの。カイザーファルザリオンかっこよかったし、強かったし」

「あんたの言うことも一理なくはないわね。倒すために合体した。それだけでしょ」

「実はネクロコメットに対抗するためだったりして」

「何だそれは」

「噂だけど、何かが各地の小学校を襲ってるらしいんだよ。それがネクロコメット。ネクロコメットと戦うために三年三組があって、鍛えるためにシュミラク星人が来るなら納得だろ」

「それは全部茶番ということか」

ファルザリオンが珍しく声を張り上げた。

「だから知らないって。どうせ四年生までには上に行くんだから、考えたって仕方ねぇよ」

「上とはどこだ。何のために戦っているんだ」

「あの、ごめんね、三倉君。ファルザリオンって記憶喪失みたいなの」

「あーなるほど。大変だね」

上と言われても上だとしか言いようがない。ファルザリオンは相変わらず変なことばかり気にする。

「やっぱ世界の終わりと戦うためなのよ。全部」

「え、お前世界の終わりなんて信じてんのかよ。ガキだなー」

「うっさい」

と言ってハルナちゃんが三倉君をひっぱたく。なに殴るんだよ。たとえ話でしょ。マジで言ってただろうが。言ってません。言った。言ってません。言った。だいたいネクロコメットだって噂じゃん。やられた奴を知ってんだよ。誰よ。名前は知らねぇけど。ほらやっぱり噂じゃん。などと口喧嘩しだした。ファルザリオンが止めに入るが二人とも聞かない。私と宮本君は顔を見合わせて苦笑いした。

 なんだかんだ、三倉君とその日は遊ぶことになった。公園で鬼ごっこをし、お昼になると三倉君の家で焼きそばを食べさせてもらった。同じ団地だけど、三倉君の住んでいる金米荘は私たちの住んでいる川浮荘より少し新しいようだ。エレベーターの鏡もピカピカだった。三倉君はお母さんと妹の三人家族らしい。私にはお母さんも兄弟もいないから少しうらやましい。焼きそばを食べ終えると、三倉君のお母さんは居間から出ていき、私たちは妹のユウコちゃんも加えてテレビゲームで遊んだ。ハルナちゃんはともかく、宮本君がここまで付き合うなんて驚いた。きっと、帰って本読みたいから、と断ると思った。何か情報を探ろうと考えているのだろうか。三倉君の操るキャラをボコボコにして、楽勝だったねと鼻を膨らませている宮本君の様子を見ると、単に遊びたかっただけらしい。

「あーあゲームならバトルも楽しいのになぁ」

カチャカチャとコントローラーを動かしながらハルナちゃんが呟いた。

「神田いっつもゲーム感覚じゃん」

宮本君がボソッと言うとハルナちゃんが宮本君の足を蹴る。

「こら、ハルナ。暴力はいけないといつも言っているだろう」

「相変わらずうっさいなって」

ハルナちゃんのキャラが宮本君に総攻撃を受ける。宮本君が歯を見せず口角を片方上げた。

「ちょっとあんた強すぎでしょ。ずるよずる」

「悪いね」

宮本君が目にも止まらないコントローラー捌きを見せる。すごいけどちょっとキモイ。

「だーっマキ!あいつをくすぐって動きを止めるのよっ」

「ダメだよずるだよ」

「命令よ。やりなさい」

ダメだ。命令されちゃえば仕方ない。

「ごめんね、宮本君」

そう言って脇の下をくすぐり始める。ファルザリオンと宮本君が怒るけど、これは仕方のないことなの。ごめんね。三倉君がボコボコにされた恨みを晴らすため、宮本君を羽交い締めにして私に加勢する。

「おっしゃ、あんたらナイスよ」

「だはは、お、お前ら、絶対許さないからなヒヒ、この、や、やめ」

宮本君が笑い転げて身をよじり逃れようとするが、押さえつけられて動けない。ギリギリコントローラーは握っていたが、画面もまともに見ることができない。さらに途中でユウコちゃんまで面白がって宮本君の足裏をくすぐりだした。後ろから抱き着く格好になっていた三倉君が足を延ばして宮本君の太ももをホールドする。

「あ、あはは、こ、こんなことして勝ってひひーひひひ、楽しのかっ」

「当然、三倍嬉しいわ」

しばらくしてハルナちゃんが宮本君のキャラを倒した。あのくすぐり攻撃でこれほど耐えるなんて、本当にハンデで丁度良かったかもしれない。

「あーはっはっは。完全勝利よ。ご苦労皆の衆」

「お前たちだなぁ」

宮本君が目を細めて口を尖らせる。

「いやーごめんごめんってな」

と三倉君が宮本君のシャツの下に手を潜り込ませてお腹を撫でると、ひゃうっと変な声を上げて、三倉君の手をはたいた。宮本君は笑いまくったせいで、耳まで真っ赤になっていた。

 次はファルザリオンも参加できるゲームにしよう、ということになって(あとどう考えても宮本君の圧勝だったから)、テレビゲームはやめてボードゲームを始めた。三倉君がファルザリオンにルールを説明する。説明書にも一通り目を通すと、ありがとう、だいたいわかた、と言った。

「あんたファルザリオンとあんま遊んでないわけ」

ハルナちゃんがサイコロを振って駒を進めた。じゃんけんもなしで当然のように一番を取った。ホビーアニメの主人公じゃないんだから。

「テレビ見たり映画見たり本読んだりしてるよ。ゲームはあんまりしないけど」

私たちは顔を見合わせて、ユウコちゃんに次の番を渡した。

「ファルザリオンは何かないの。やりたいこととか」

宮本君が尋ねる。私はファルザリオンの代わりにサイコロを振って駒を動かす。

「……私のやりたいこと……そんなものないのかもしれない」

「えっファルザリオン、散々あれ調べてとか言ったじゃん。図書館言ったし、パソコンいじったりテレビも予約したし」

「あ、いや。すまない。感謝している。しかし、私に自分の意思や嗜好なんてものがあるのだろうかと思ってしまって」

「はぁーなんじゃそりゃ」

「私は意識、と言っていいのかわからないが、それが生じた時にはもう戦っていた。体内に君たちを入れて。それにプロヴィデンスカイザー。出会ったのは偶然のはずなのに、私の体は適応してみせた。だから、もしかしてすべて仕組まれていたのではないか、私の意識のようなものもすべて嘘なのではないかと」

「んあー?よくわかんねぇけど大変だな」

「それはほら、我思う故に何とかでいいじゃないの」

三倉君がサイコロを振り、宮本君があとに続く。ファルザリオンは何か小難しいことを言っていてよくわからない。私たちがポカンとしているのを見て宮本君が

「ようするにファルザリオンは自分の存在も今までの戦いも全部仕組まれたものじゃないかって言いたいんだよね」

「え?私たち、あれに選ばれたんだから仕組まれてるのもそりゃそうじゃないの」

「えっと、それすらそう思わされているんじゃないかってことなのかも」

「どっちだっていいわ。結局はやるかやられるかでしょ」

「それにほら、人間の行動だって遺伝子とかにプログラムされているらしいし、同じようなものじゃないかな」

「わかんねぇけど、次は神田の番だぜ」

「ちょっと待って。私まだやってないから」

笑い声が起きる。遅れてファルザリオンの笑い声も聞こえた。みんなはあまり気にしていないようだけど、ファルザリオンの不安は少しわかる気がする。だってサイコロを振ろうと考えるのも出るサイコロの目もあらかじめ決まっちゃってるかもしれないってことでしょ。そんなの怖すぎる。サイコロを手の中で転がして、床に投げる。くるくると回って、止まる。一のぞろ目だった。

「よかったわね。ぞろ目だからもっかい振れるわよ」

 それからしばらくして、夏休みになった。ゴドナーが来るかもしれないから旅行とかはやめようとファルザリオンは行ったけど、ハルナちゃんの猛反発で誰かが町に残っていれば大丈夫という方向で妥協することになった。

「いざとなったら近所の三年三組と協力すればいいのよ」

「しかし」

「まあ、僕は旅行の予定とかないから。出かけるときは連絡する」

私も町から離れるのは不安だった。校庭はすぐに整備されたけど、町はまだ瓦礫だらけだ。クラスの人も一人転校してしまった。たぶん家がなくなっちゃったんだと思う。夏休みになってからもう十日は経つけど、未だにゴドナーは現れない。もしかしてカイザーファルザリオン倒した怪物が最後だったのだろうか。なら今いるここが上なのだろうか。何かが変わった意識はない。でも最初よりは少し勇敢になれた気がする。

 その日は宿題を持って図書館に向かった。ついでにファルザリオンの読むものと私の読書感想文用の本を借りないと。

 図書館は冷房がガンガン利いていて助かったけど、少しすると汗が急に冷やされて寒くなってくる。こんなんじゃ肩の出た服を着るんじゃなかった。外国文学のコーナーで宮本君におすすめされたドン・キホーテを探す。宮本君が言うには、子供向けの抄訳(抄訳って何?

)じゃなくて全訳じゃないとダメらしい。端っこから順に見ていく。と、ぼんやりとしていて誰かにぶつかってしまった。

「あ、すみません」

「あれ、マキとファルザリオンじゃん」

「ネクロ。久しぶり」

私服だったから気が付かなかった。リュックを背負ったネクロが数冊本を抱えていた。

「ネクロも図書館行くんだ」

「私も一応受験生だぜ。勉強しに来たの。あと息抜きに。そっちは遊びに来たの」

ネクロがニヤッとして本を掲げて見せる。

「勉強もしに来たよ。あ、ドン・キホーテってどこにあるかわかる?読書感想文に使うの」

「スペイン文学はこっちじゃないよ」

ネクロがスタスタと歩いて行ってしまう。ついてこいということだろうか。慌てて追いかける。この図書館は大きくてたくさん本があるけど、そのせいですぐに迷子になってしまう。ファルザリオンがナビゲーションしてくれなかったら、何度も閉じ込められていたと思う。ネクロが棚の端っこで立ち止まり、上から順番に目を動かす。ネクロの抱えている本に目をやる。シャム双子の謎。ボリバル侯爵。不在の騎士。

「あった」

と言ってネクロが分厚い四冊の本を棚から取り出す。受け取るとずしりと重みを感じて、正直もう読む気が失せてしまった。

「ドン・キホーテってこんな長かったんだね。知らなかった」

「マキ、別に他のにしてもいいんだぞ」

ファルザリオンが心配するので、つい意地になってこれがいい、と言ってしまう。

「ありがとう、ネクロ。じゃあ、次はファルザリオンの読みたいやつだね」

「何読みたいの」

「歴史?みたいな?」

「ああ、この町に限らず、三年三組について興味があってだな」

「ネクロの時はどうだったの」

「何が」

「三年生の時。あ、三組じゃなかった?」

「いや、三年三組だったけど、それが何か」

「戦ったでしょ」

「何と」

「それは知らないが、三年三組だったなら」

「え?いじわるな継母とかPTAの横暴とか宇宙人とか?」

「そういうの。巨人に乗って」

「なんじゃそりゃ」

ネクロが肩をすくめてみせる。ごまかしているのだろうか。ネクロは首を傾げて肩の間接をバキバキ鳴らすと、また歩き出した。

「よくわかんないけど、二人とも戦ってるんだ」

「そうだよ。ファルザリオンの中で。なかったの、そういうの」

「あーなるほどね。思い出したらあった気がしてきたわ。ファルザリオンって。あまり覚えてないけど」

「私を知っているのか」

「ファルザリオンでしょ」

「もっと前の、君が小さかった頃の私を」

「うーん、やっぱ気のせいだったかな。正直何年も前のことなんて覚えてないし。あ、あそこ、あの棚」

私たちがお礼を言うと、ネクロはじゃあ勉強してくるね、と言って立ち去った。この棚にも難しそうな本がずらりと並んでいる。それにドン・キホーテが思いのほか多かったからあと二冊しか借りられない。

「マキ、そこの浮川町のあゆみを取ってくれ」

ファルザリオンに言われて目次を見せる。その中から災害や学校制度についての記述をパラパラ探す。何度もファルザリオンの調べものに付き合わされているうちに、かなり慣れてしまった。特に怪物との闘いを示す記録はない。

「ありがとう。次は都市災害の推移を取ってくれ」

本を棚に戻し、また同じように調べだす。これにも目ぼしい記述はない。十冊程度同様に調べる。しかし結果は同じだった。私が見落としているのかもと思ったが、ファルザリオンはそんなミスしないだろう。もしかして戦うようになったのってごく最近なのだろうか。

「マキ、新聞を調べよう。あのプロヴィデンスカイザーと戦った時の状況が記事になっているかもしれない」

私はまたぐるぐると回って新聞のコーナーを探す。パパは新聞を取っていない。ネットニュースとテレビのニュースは私も見るけど、町が破壊されてしまったニュースは見た記憶がない。地方のニュースだからそんなものだろうと思っていたけど。数分階段を往復したり端から歩いたりしてようやくたどり着く。パラパラとめくってあの日の翌日の新聞を探す。あった。一面じゃないけど、確かに町の記事があった。ゴドナーがファルザリオンを倒し、学校から出て町に被害が出たが、隣の小学校の協力で再び倒されたことが書かれている。

「私の名もゴドナーの名も知られていたのか」

「そうみたいだね。コピーする?」

「いや、大丈夫だ。それより、一学期で戦った日の翌日の新聞も見てくれ」

「えー、日付覚えてないんだけど」

仕方がなく三か月分の新聞を順に見ていく。もしかしたら他の小学校のことも記事になっているかもしれない。その予想は当たっていた。どれも小さな記事だったが、町や小学校が破壊されてしまった記事がいくつかあった。もっともほとんどは怪物や巨人の名前も書いていなかった。

「これより前は見せてくださいって言わないとだけど、どうする」

「いや、今日は大丈夫だ。ありがとう。さて、宿題をすぐに終わらせるぞ」

「面倒くさいなぁ」

ドン・キホーテの貸し出しの手続きをしたあと、ファルザリオンにせかされて自習ブースに向かう。学生の中に混じってネクロが勉強している。私も持ってきた宿題を開く。かっこの中の文字を埋めながら、一つの考えが浮かんだ。破壊された小学校の記事、町の瓦礫、ファルザリオン、ネクロコメット、世界の終わり。エアコンに直接当たってしまって鳥肌が立つ。こんなこと言ったらみんなに馬鹿にされてしまう。だけど、ファルザリオンが悩んでいる通りに、私たちのところにファルザリオンが来たのは何か意味があるんじゃないか、そう思った。

 夏休みが半分すぎた。その間、宿題を終わらせたりクラスの子と遊びに行ったりパパと出かけたりしたけど、一度も怪物は現れなかった。ファルザリオンが、もしかしたらゴドナーは私を倒すために現れていたのかもしれないと言った。ならこのまま戦わなければ戦わずに済むのだろうか。ドン・キホーテは難しいし長いし、一冊目の途中で飽きてしまった。なのでネットであらすじを調べて感想をでっち上げる。ファルザリオンは怒ったけど、読みたくないものは仕方がない。だけどファルザリオンが先生にもパパにも報告すると言うから、しぶしぶ原稿用紙の文字を消した。おかげで紙はよれるし消しきれないで黒くなるし、最悪だった。もう一度図書館に行く。私が知っている作家は夏目漱石くらいだったので、それを読むことにした。借りる前に一応目を通したが、言葉遣いは古いけどこれなら何とか読めそうだ。私は一通り読み終えると、うっすらと残ったドン・キホーテを読んで、のタイトルの上に、道草を読んで、と書き重ねた。

 登校日。もうすぐ夏休みが終わってしまうと思うと憂鬱だった。教室に入ると相変わらず宮本君は本を読んでいる。挨拶するとドン・キホーテ読んだ?と聞いたので、難しくてわからなかったから読むのやめたと正直に伝えると、そう、と言って読書に戻った。

「しかし、一か月以上何もないなんてラッキーだったわね」

ハルナちゃんが汗をぬぐう。

「もしかしてあれが本当に最後の敵だったのかな」

「そうだといいんだが」

先生がやってきて宿題を回収する。赤坂君がやってなくて怒られる。先生に怒られる。みんなが笑う。あの日常が戻ってきたように感じた。そして同時に、怪物、痛みも思い出す。残りの夏休みは家でだらだらして終わった。


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