第20話
二十
カナダ グレーター・バンクーバー 六時二十二分
昔は嫌いだった髭剃りも今じゃ人生の楽しみの一つだ。水を加えて混ぜると泡が発生するシェービングクリームも髭が剃れる時の音も保湿液の匂いも若さの象徴だ。トビーはWe are the championsを鼻唄で歌いながらシェービングクリームを泡立てた。零から壱が生まれるように泡が増えていく。それが終わると蛇口を開けて温水を出した。温水を両手で掬い顔全体に染み込ませた。トビーは毛穴が広がっていくのを感じた。シェービングクリームを取り顎全体に広げて髭剃りを取り出した。そしてどんどんと髭を剃っていった。この音が良いんだ、と鼻歌をやめ今剃っている部分に集中した。
過去の面影を残さず剃られたその顎に保湿液を染み込ませた。鼻で大きく息を吸い込み匂いを堪能した。
スーツを整えネクタイを締め左の内ポケットに銀色の磨かれたロケットを入れた。玄関を出ると目の前の森とその奥のゴルフ場が目に入った。
『行ってきます』
トビーは目を閉じて集中した。周りの空間を切り取りそのボールを空へ投げる様子を想像する。
気が付くとトビーは空を飛んでいた。耳も痛くない。眼下を街と自然が交互に通り過ぎていく。順調に空を飛んでいきアメリカに入った。
中国 腊水村 七時三十五分
ぶくぶくと太ったその身体は惰眠を貪った証拠だと周りから言われ続けたが李 洋洋は気にしなかった。そもそも気にできなかった。
(ママ。水ちょうだい)
手話を使って呼びかけた。年老いた老婆は痛めた足腰を庇いながらせっせと冷蔵庫に向かって行った。白く年代物のため冷蔵庫はガタがきておりモーターの回転音をいつ何時と放っておりうるさかった。ペットボトル水を取り出し蓋を開けようとしたが歳のせいで力が出ず、開かなかった。
ドンッ!
震えた手で包丁を取り出しペットボトルに突き刺した。切り口から少量の水が噴き出す。コップを取り出して水の受け口にする。切り口を大きくしていきコップを水で満たしていく。水でいっぱいになったコップを溢さないように洋洋のもとへ歩いていく。
(遅い)
眉を顰めながらコップを奪い取り喉に流し込んだ。
(今日出掛けるから車出して)
洋洋を抱き抱えた。建物が軋むような音が身体から出ている気がする。自分の倍以上の重さの物が寄っかかりながら歩くのは困難だったが長年の経験で楽な方法を見つけていた。車の鍵を取り玄関を出る。この村では珍しい車は洋洋によって生み出された。
十八年前
洋洋はこの村では一番の美貌の持ち主と言われていた。この村の男どもがこぞって婚姻を申し込んできた。中には市街地から洋洋目当てで来る男もいたほどだ。しかし洋洋からすれば小さい頃からの恒例だったので鬱陶しく感じていた。アジア人は歳をとるごとに美しさを失っていくのが普通だが洋洋は逆だった。小学生の頃は行く先々で人々を笑顔にしてきた。アクティブな少女ならではの弾けるような笑顔と傷ひとつない美しい真っ白な肌は同級生にとっても憧れの存在だった。誰に対しても分け隔てなく接して、しかし踏み込みすぎず苛めのいの字もなかった。
その日もいつも通り仕事を終えて帰路に着いたところだった。街灯もほとんどない道だったのでお化けが出そうで内心怯えていた。少し歩いていると二十メートル程前から酒に酔ったであろう足のおぼつかない男性が二人歩いてきた。気にせず歩いていると片方の男性がもう片方の男性に何やら話しかけた。話を聞いた男性は怪しさ満点の笑顔を見せ込み上げてくる笑いを抑えるのに必死だった。気持ち悪いと思いながらも酔っているだけだからと心を落ち着けようとした。もう少しですれ違う、とそんな時いきなり二人が飛びかかってきた。いきなりの事で声が出なかった。血走った四つの目が暗闇に浮かぶのを見て、不意に蒸らし習った蒼頡を思い出した。荒い息遣いが顔のすぐそこで発せられているので全てが顔にかかった。男性二人に四肢を押さえつけられているので全く身動きが取れなかった。四つの目が自分の身体を舐め回すかのように見るのを肌で感じた。
!
男性の手が服の中に入ってくる。不快で仕方なかった。恐怖のあまり目を閉じてしまった。しかし人間は一つ感覚を奪われると他のもので補おうとしてしまう。そのため感覚が鋭くなってしまい余計不快感が増してしまった。男どもは洋洋の豊満な胸を鷲掴みにしその柔らかさに声を上げた。
『いつまでやってんだ。代われ!』
押さえつけているだけの男が文句を言った。
『お前は自分のを扱いてろ』
男はそう言い放ち服を脱がし始めた。日本製のブラジャーを見て舌打ちをした。
『この金持ちが!』
力強く握った拳を洋洋の頬に振り下ろした。口の中に血の味が滲んだ。
『お前、何してんだよ』
もう一人の男がスカートを脱がしているのを見て怒鳴った。
『もう待ちきれねえんだよ』
自分の倍程の男どもの行為によって涙が溢れてきた。
『嫌!』
挙げ句の果てに一糸纏わぬ姿にされた。
そこからは覚えていなかった。目が覚めると辺りは明るくなっていた。近くの地面には数滴の乾いた血の跡や精液の跡が残っていて、昨夜の出来事を物語っていた。身体はベトベトで口の中も苦みが広がっていた。それを見ていると急に込み上げてくるものがあった。涙や悔しさ、胃の中の物を全て吐き出した。昨夜の記憶を消そうと持たれていた壁に頭を打ちつけた。精液により固まりボサボサになった髪をそのままに、服を着て放心状態のまま家の戸を叩いた。
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