第13話
十三
茨城県 土浦市 八時三十二分
よれよれの寝巻きを纏いながら伊藤は部屋の隅でコンビニの菓子パンを貪っている。オレンジ色に光る電球で照らされている部屋は薄暗く、カーテンは閉め切っていて外界の光は一つも入ってこない。テーブルに置かれているスマートフォンは一時間に約一回の間隔でバイブレーションの通知が鳴る。
伊藤は夢を見る。
自分のせいでたくさんの人が死んだ。被害が出た。
なるべくのことはしたんだ。
助けられる人は全員救ったと思う。
残った包み紙を丸めて、まとめられた幾つものビニール袋の中の封が開いている袋に投げ込んだ。喉奥に込み上げてくるものを飲み込んでスマートフォンを手に取った。明るさは部屋に合わせて最小になっているがブルーライトが目の奥を突き刺す。日時の下にLINEの通知がいくつもある。全て花澤だ。通知の一番上をクリックするとLINEの画面に飛んだ。約一時間に一回の伊藤を心配する言葉と一日に一回の不在着信が青を背景に表示されている。心配させているんだなと伊藤の心は沼にまた数センチ沈んだ。
幾つもの仕事が山積みになっているのを見て花澤は気が滅入っていた。キーボード横に置いてあるスマートフォンを横目に作業に復帰した。
十時三十七分
伊藤はゆっくりと目を開けた。久しぶりに悪夢を見ずに寝ることができたからか少しだけ肩が軽くなっている。相変わらずの趣味のスマートフォンを手に取ると花澤からのメッセージが目に入った。自分を心配する言葉たちの中に長文のメッセージがまばらに表示されている。新しいものだと二日前だ。
セブン-イレブン足立青井駅前店に立て籠もり強盗だって。足立区なら伊藤はすぐに行けるんじゃないか?もし、行けたら行ってみてくれ。ヒーローになれるぞ。
追伸
あれはお前のせいじゃ無い。
あんまり無理すんなよ。
お前のせいじゃ無い。
何度もこの言葉が送られている。
違うんだ。
あの時、調査しに行こうなんて言わなければ。
少し体調が悪くなってきた。少し寝ようにも寝過ぎて布団に潜り込む気力すら起きない。部屋に閉じ籠りすぎたのが原因かもな。数日ぶりの外出を決心……しようとしたが足が動かない。何かが身体からかけた気がする。それも一つじゃ無い。
LINEを開きトークに唯一表示された花澤のアイコンをタップし、受話器のマークをタップした。音声通話を押すと呼出画面に移動した。リズミカルな木琴の音が暗い部屋にこだまする。ワンコールもしない間に花澤が出た。
「もしもし。伊藤か?やっと連絡してくれたか」
心拍数が上がっているのがマイク越しでもわかるぐらいだ。
「少し家から出たいから、い、家に来てくれないかな」
「よし。わかった。今すぐいくから。マッハでな」
十七分後
ピンポーン
今までこの家で聞こえたことのないインターホンの音が玄関から聞こえた。ふらついた足取りで足元のゴミを避けて玄関へ向かった。久しく握らなかったドアノブはひんやりと冷たかった。重いその扉を開くと懐かしい顔が伊藤を出迎えた。
「外に出かけたいなんていつぶりだよ」
仕事帰りなのかスーツ姿だった。
「ちょっと肩を貸してくれ。上手く歩けなくて」
微かに潤んだ瞳を輝かせ、首を縦に振った。
「よし。手貸せ」
手を肩に回して伊藤の身体を支えて歩き出した。
「なんで出かけることにしたんだ?」
伊藤でも不思議に思っていることを花澤は聞いた。
「自分でもよくわからない。ただ、お前も頑張ってるんだなって」
スーツ姿を見てLINEの文章を思い出した。
「あぁ、そうさ。頑張ってるさ。お前の仕事を皆んなで分担してるんだからさ」
おちゃらけながら言う。
「そうだ、こんな時に言うのもなんだけど、スーツの案考えてみたんだ」
喉を酸っぱいものが通る。それを飲み込みながらどんな案があるのかを聞いた。
「十個ぐらい考えてみた」
伊藤を近くの塀に立てかけると、背負っているバッグの中からノートを取り出した。
「いや、待ってくれ。お前辛いだろ。ベンチに座ろう」
新川がすぐそばを流れる公園へ移動し、備え付けの木製ベンチに座った。そして、手に持っていたノートを開き伊藤に見せた。立ち絵のキャクターデザイン画の様にヒーロースーツが十三ページにわたって描かれている。花澤は絵が上手なことをすっかり忘れていた。十三個の内八個が赤を基調としたデザインとなっている。これはアメコミ好きの花澤ならではのデザインだなと伊藤は思った。
クマの付いた目元を伊藤に気づかれない様に花澤はチラリと見た。
「でもさあ」
危うく見ていたことがバレそうになったので慌てて目線を逸らした。
「これ作れるの?」
「作れるか作れないかじゃないんだよ」
急に熱くなり始めた。
「浪漫だよ。お前は今、ヒーローになれるんだよ。だとしたらヒーロースーツは必然的に必要になるんだよ。例え作れないとしても。だろ?」
「ん〜。そうなのかな。でも……あの」
伊藤の話を遮り、花澤は訴えた。
「違う。あれはお前のせいじゃ無い、だってお前何もやってないんだろ。あれはただの偶然だよ!」
伊藤の正面に膝立ちになる。
「お前が責任を感じることなんて微塵もないんだよ。お願いだよ。伊藤。いい加減元のお前に戻ってくれ」
いつのまにか伊藤の腕を掴んでいたことに気がついた。
「あっ、ごめん」
急いで手を離すと自分が掴んでいたところを優しく撫でた。
「これだけは言わせてくれ。本当にお前が心配なんだよ」
視界がぼやけていく。伊藤の頬に少量の水の筋ができている。
「本当に辛かったと思ってる。でもお前は今少しその責任という殻から手を出してるんだ。数日前なんて俺のLINEを無視してばっかだったけど、今じゃどうだ。外に出て面と向かって話ができてる。だから、大丈夫だ」
伊藤は咽び泣いている。花澤も目元を真っ赤にして泣いている。男同士が夜の公園で向かい合って泣いているのは、側から見たら奇妙でしか無いと思う。でも今はそんなのお構いなしに自分の感情を爆発させた。
「もし、まだ責任を感じて償いたいと思うなら閉じこもってばっかじゃなくて人を助ければいいじゃんか。これから失われるかもしれない命をさ」
伊藤は嗚咽を漏らしながら泣いている。
「そうだよな。閉じこもってちゃ何も出来ない。変わらない。でも、力が使えるか分からない。さっきだって歩くのも精一杯だったし。それに怖いんだよ。もし自分の周りでまた人が死んだりしたら、もう……耐えられない」
「その時は俺が支えてやるから。絶対に」
川からの風が伊藤と花澤の頬を撫でた。瞳に溜まった涙を服で拭って立ち上がった。月が眩しいぐらいに輝いている。
川からの風が一段と強くなり、ベンチに置いてあるノートが開かれた。パラパラと風がページをめくっていく。風が止み、ページが進むのも止まった。そしてあるページを開いた。
真っ白のページに真っ黒の人の絵が描かれている。その人の足元には
『パパ』
と、書かれている。
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