第13話 2004年 それはあいのため

 ×××は、自分が自由を失ったことを悟った。


 いつかは勘付かれる――それは想定内だ。この国で誰にも見つからず、何の痕跡も残さずに人を消すことなど不可能だ。×××は自分の頭の良さを知っていた。一人か二人なら、真剣に取り組めば、失踪に見せかけられたかもしれない。せめて自分が成人していれば、もっと選択肢も増えたはずだ。×××は自分が未成年であることを呪った。

 餌にした人間は用心深く選んだ。

 女子高生の身体を買っていた中年男性。

 身体を売った女子高生。

 どちらも人に知られたくない理由があり、こっそりと人目を避けて行動していた。罠を仕掛けて追い込んでやれば、勝手に自らの痕跡を消してのこのこと飛び込んできてくれた。怪物がぺろりと平らげることで、死体は消えてなくなった。所持品も服も区別なく怪物は呑んだ。

 これからは、そう都合よくいかない。

 どんなに用心深く策を弄したとしても、餌になる人間を調達しようとすれば、必ず邪魔が入るだろう。


 あと1回ならどうにかなるかもしれない。


 問題はその後だ。怪しまれ、疑われ、最後にはきっとたどり着かれてしまう。ノーマークであった時ならともかく、既に嫌疑を受けている状態で警察の目を誤魔化すことは彼女にはできない。保身を考えるならもう何もすべきではない。怪物は×××に躾けられた通り、隠し場所から動かずに静かに衰えるだろう。


 ――怪物に狩りを覚えさせ、自立して生きるよう仕込もうか?


 不可能だ。怪物はそれほど器用には振る舞えない。

 あのように大きく育った今では、人目に触れない山奥に閉じ込めておくより他にない。人喰いワニが都市の下水道に棲んでいるという都市伝説はいつ聞いたのだったか。日に当たらないため真っ白な皮膚をしているらしい。群れとなってたまに足を踏み入れたものを喰うらしい。馬鹿馬鹿しい、あんなものはただの都市伝説だ。本当に大きな生き物が、都市に潜むことなどありえない。

十人に見られたとして、九人は追いかけて殺せたとしても、きっと一人は逃がしてしまう。

 そうなればいつかは必ず見つかる。

 狩り立てられて、引きずり出される。


 ――餌を与える後継者を探し、全てを託そうか?


 現実的ではない。ネットを使い、候補者を選定し、どのような人間か確かめるところまではできるかもしれない。優秀な後継者を探し当てることも、賭けにはなるが、可能性はある。しかし、問題は時間だ。猶予があまりにもない。怪物はじきに飢えるだろう。それでもしばらくは言いつけを守って我慢するだろうが、長くはもたない。飢えた怪物が動き出してしまう前に、餌になる人間と後継者となる人間をほぼ並行して探し出すのは非常に難しい。

 どのような手段を用いても、最終的に運に頼るしかない要素が多すぎた。

 焦りと苛立ちで心が煮える。

 怪物を守る手段は確実なものでなければならない――あの子を運任せに放り出すことなどしたくない。綿でくるみこむように大切にしてやりたいのだ。怪物はもうすっかり大きくなって、肉体的には彼女の庇護を必要としないどころか、触手のひと撫でで×××の首の骨を折ることができる。どんな野生動物より強いだろう。それでも彼女にとっては、彼は守るべき生き物だった。卵から孵して大事に育てたかわいい我が子に違いなかった。

 怪物の牙から唾液がしたたり落ちる。

 どうしても犠牲が一人要る。

 放り出すことなどしたくない。

 しないのではない、できないのでもない、ただ純粋にしたくない。だってこんなにもかわいいのだ。黒くぬめる触手。大きな顔。牙のある口。蜘蛛のように丸い胴体は、栄養を溜め込んでふくらんでいる。審美眼的にうつくしくはない。それでもこの子は本当にかわいい。

 どうしてかって、そんなことは当然、


「ずっとあなたを守るからね」


 自分の愛はこれだ、と×××は思った。

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