第14話  3人の女と女の子

 あの二人、前も見覚えがあるなあ。小峠美晴はコーヒーを口に運びながら思った。

 

 美晴の趣味はカフェめぐりだ。それもコーヒー一杯が千円以上するような、裕福なマダムが買い物帰りに立ち寄るような店が好きだ。

 少ない給料をやりくりし、月に2回ほどのペースでゆっくりと時間を過ごす。値段が高い店は静かなところが多い。うるさく喋るような団体客や学生の団体がめったにいないからだろう。客の年齢層もかなり高く、特に美晴のシフト休みである水曜日と木曜日の昼間は、常連らしき老人や中年の婦人が1人かせいぜい2~3人で物静かに過ごしている。

 

 美晴の目に留まったのは、2人の女だった。

 

 2人とも若くはない。

 1人は自分と同年代の30代前半、もう1人は若作りだが40代くらいだろう。自分と同年代くらいの方は、堅い勤めでもしているのか、スーツ仕立てのジャケットとスカートを着て、メイクやバッグも遊びのないものを選んでいる。若作りの方はくたびれたカットソーとパンツで、少しくたびれた印象だった。


「――あなた、そこで……でしょう?」


 特に声を荒げているというわけではないのだが、不穏なものを感じた。

 美晴は音をたてないようにコーヒーをすすり、背後の会話に耳をすました。

 若い方が怒っている。

 年上は戸惑っている。

 若い方が会社勤めをしていて、年上がその外注先である個人事業主、という感じだろうか。例えば、編集者とイラストレーターとか。お願いしたイラスト、どうなっているんですか、これじゃあ間に合いません。すみません、でも何度も描き直しがあるものですから。でも締め切りは締め切りですから。とにかく早くしてください――というような流れなのだろうか。

 美晴はコーヒーをすすりながら苦笑いをした。聞き耳を立てるのは、彼女のひそかな道楽だ。

 母親に買い物も頼まれているし、そろそろ店を出なければ。仕事の資料も目を通しておかなければならない。

 最後に二人の顔を見てみたい、と思った。

 わざとゆっくりとレジに向かう。二人のテーブルのすぐ横を通る――


「――日記?」

「彼女は私に言い残したんです。誰にも見つからない秘密の場所を。すべてを書いてそこに置いていくと。…顔色が変わりましたよ。興味があるでしょう。」

「そんなものが本当にあるなら、警察が見つけていないわけがないですよ。急にこんな、わけのわからないことばかり――」

「あなたの名前が書いてあったら、もう言い逃れはできないものね」


 ――何の話だろう?

 ここまでわけのわからない会話はあまり聞いたことがない。清算待ちの列に並び、「ちょっと忘れ物をしました」という顔を作って2人のテーブルを振り返った。


 

 ********************



 お会計は1,600円です、というウェイトレスの声で我に返る。

「あのう、あの席――」

 何か? と首を傾げたウェイトレスが、美晴の示す方向を見ようとする。

「いえ、いいんです。何でもないです」

 そそくさと支払いを済ませ、逃げるように店を出た。

 ――見間違えだ、きっと。

 夏の日差しが照り付ける。汗すら蒸発しそうな暑さだというのに、背筋からぞわぞわと寒気がする。


 かっちりした服の女には表情がなかった。

 怒りに満ちていた口調が噓のようだった。

 若作りの女はひどくおびえた顔をしていた。

 先ほどの声にはまだ意気地があったが、今や相手の目すら見ていなかった。

 

 振り返ったほんの一瞬だったが、美晴は確かに見た。

 他の誰にも見えてはいないようだった。

 女たちのすぐ横に、煙の塊のようなものが浮かんでいた。


 向こうが透けて見えるほど淡く、ぼんやりとしたかたちの、制服を着た高校生くらいの女の子に見えた。


 見間違いだ。光の具合か何かで――。この年で幽霊も何もない。頭がおかしくなったと思われてしまう。少し、疲れているのかもしれない。


忘れてしまおう、と彼女は思った。

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