第9話 2022年 彼女から得られるもの

 金山晶子は優秀な編集者だ。

 頭の回転が早く、その気になればすぐに人を打ち解けさせる愛嬌もある。顔が広くて友人が多い。きちんとはしているがあか抜けないスーツ姿でにこにこしている50代前半の太めのおばさんだが、その眼光は、よく見ると鋭い。

 青柳さくらを「いい取材先があるよ」と紹介してくれたのも彼女だ。

「『読む人がびっくりするような結末』かあ。いいねえ、強烈じゃあないの」

 彼女は夫と小さな出版社を切り盛りして、派手なヒットはないが安定して運営している。大衆受けはしないがマニアックなファンを持つ作家の著作を限られた愛好家のために丁寧な装丁で出すなど、小さな所帯らしい身軽さを生かしてきちんと利益も出しているらしい。

 そして、私にとって肝心なのは、金山が自前で本を出すことができる、いわば決定権を握っている編集者だということだ。

「で? 小宮山ちゃんの小説は、いいもんになりそうなわけ?」

「おかげさまで。自信ありますよ」

「年齢的にもちょうどいいよね。若すぎず、年すぎず、あぶらがのったころだよ、小宮山ちゃん。話題性のある作品で知名度上げてさ、今の仕事と並行して好きなもの書けるじゃん。もうちょっと年齢上がると、編集からも気軽に使ってもらえなくなっちゃうからねえ」

 こちらを持ち上げるようなことをいいながら、決定的なことはなかなか言わない。「うちで出版するよ」と確約してくれさえすれば――と、つい虫のいいことを考えずにはいられない。

「でもね、変な人なんですよ、あの青柳さんって」

 カシューナッツを口に放り込みながら、私はつい愚痴っぽくなる。

「外見はすごくまともだし、いいとこの奥さんって感じなんですけど。たまに目つきがやばくて。なんか怖くて…」

「そう? あんなの、世間知らずの奥さんじゃん」

「話が通じないって感じがしませんか? そもそも、何を考えているのかわからなくて。私にとっては言うのもなんですけど、あの人、どうしてこんなふうに時間をとってくれるのかなって。別に何も得しないじゃないですか」


 そして、あの、幽霊を見ているような目つきだ。

 完璧に礼儀正しい態度でこちらの話を聞いているのに、黒目だけがなめくじのようにうごめき、いつのまにか私の隣を見ている――


「会う場所も毎回向こうが指定してくるんですけど、昼間なのにすっごい静かな喫茶店とかで。そんな場所であの人がじっとこっちの目を見てくると、なんだかぞっとしちゃうんです」

 ふうん、と金山はごく自然な様子で相槌を打つ。視線はテーブルの上のだし巻き卵だけを見ている。

「あの人ね、青柳さん。周囲の話なんかいろいろ集めてくれたんじゃない?」

「――ええ、いろいろ聞けました」

「でしょ? あの人、実家はあのへんじゃちょっと有名な土地持ちだし、お父さんは地方議員をやってたこともあるいわゆる名士さんだよ。彼女が話を聞きたいって言ったら、大抵の人は断れないはず。地元で商売してる人なんかはなおさらだろうね」

 金山はこちらを見てにっこりと笑い、「小宮山ちゃん、ここが頑張りどころだよ。不気味とかさ、言ってる場合じゃないよ」と穏やかに言う。私のジョッキを持つ右手が冷や汗でぬめる。

 出版は斜陽産業となって久しい――資金繰りにショートして廃業する出版社、仕事を次に繋げられずいつのまにか見なくなるライターは何度も見てきた。圧倒的に金が不足しているこのご時世、夫婦二人の出版社を維持している女が、無名のライター志望にただ仕事をさせようとするはずがなかった。

 私がこのネタをうまくまとめられなかったら、彼女はあっさりと見切りをつけて、何もかもを取り上げるだろう。青柳さくらと彼女のもつ情報は、そっくり金山が引き上げることだろう。そのくらいは最初から覚悟の上だ。

 だけど、絶対に書き上げたい。

 私の書いた小説で、多くの注目を集めたい。題材はこの上ないはずなのだ。実際の未解決事件。何人もの人間が死んだ。容疑者として挙げられたのが大人しそうな女子高生で、しかも捜査の中途で失踪してしまったという物語性もあり、今もネット上ではある種の都市伝説として語り継がれている。古い事件だが、まだ鮮度は失われていない。

 考察され、読み返され、いつまでも記憶に残るような――

「あの世間知らずの奥さまをうまくおだててさ、十年前の事件の真相、小説に書いて暴いちゃってよ」

 金山は魅力的な微笑みを浮かべ、私のグラスに自分のをこつんとぶつけて、思い切りよく一息であおる。私は深く頷いて、同じように酒を飲みほした。

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