第5話 2004年 おいしいものは食べられない

 ×××は怪物の卵を拾った。

 それを拾いさえしなければ、彼女は平凡な人間として平凡な人生を歩み、穏やかに生を終えていたかもしれない。しかし拾ってしまったからには、元には決して戻らない。


「ねえ、ゆゆ、なんか最近つきあい悪くない?」

 ×××はきょとんとした表情を作り、何の化粧もしていない素朴なまつげでぱちぱちとまばたきをして見せた。

「別に、何も――」

「でもさ、ほんと付き合い悪いじゃん。この前も、その前も、ずっと早く帰っちゃったじゃん。今日だって、うちが呼ばなきゃすぐに帰っちゃうところだったでしょ。前は待っててくれたのに。なんで? なんか急ぎの用事とかあるの?」

「えっと…、成績ちょっと下がっちゃって、勉強しないと親に怒られるから、」

「はあ? なにそれ。成績なんて別にいいじゃん、赤点とるほど馬鹿ってわけじゃないんでしょ?」

 全国チェーンのコーヒーショップは学校帰りの学生やノートパソコンを叩く社会人で込み合っている。×××とテーブルを挟んで向かい合う同級生は、普段よりも大きく低い声で喋り、口角を僅かに下げ、笑い声を一切挟まなかった。この子は不機嫌なのだ、と×××は思う。怒っている。そして少し怯えている。虚勢を張っている。

「――もしかして、この前の話のこと、気にしてるの?」

 限定販売のリップグロスを手に入れたという話だろうか、それともマッチングアプリで知り合った中年男性と援助交際(彼女の言うところの、エンコー)をしているという話だろうか。

「エンコーっていったって、すごい軽いやつだし、別に変なことするわけじゃないし。ゆゆの写真ちょっと見せちゃったんだけど、「こういう真面目な子がいい」ってすっごい気に入られちゃってさあ。ちょっと断れないんだよね。わかるでしょ?」

 そういえば、いつのまにか援助交際相手(中年男性)が紹介する相手(中年男性の友人の中年男性)と会ってほしい――という話になっていた気がする。聞き流していたのでよく覚えていない。

「ちょっとご飯行くだけで1万もらえるんだよ。うまくいけば服とか買わせられるし。なんにも危ないことないからさ。うちのこと助けてよ。ね?」

 ×××は、いいよ、と頷く。

 同級生の目が輝く。

「ありがと! ゆゆってほんとに優しいよね、ほんと助かるー!」


 怪物に餌が必要だ、と×××は思った。

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