第3話 2022年 潮騒の街 ②
――銀行員みたいな女だ、と思った。
かっちりとまとめた額を出すボブヘア。オフィスメイクというのだろうか、一部の隙もなく、しかし全く派手ではない化粧。アクセサリーの類は耳に小さなゴールドのピアス。真夏だというのに紺色のパンプスをはいていた。年齢は二十八歳のはずだが、三十代後半くらいには見える。
自分も、念のためにジャケットを羽織ってきてよかった。
こういうタイプは自分がきちんとしているぶん、他人にもそれなりに厳しい場合が多い。機嫌を損ねるリスクは少しでも減らしておくべきだった。
「あなたと私とで、あの事件をもう一度考え直してみたいの。
十年前の連続失踪事件――柚野優希子と、彼女の怪物の話を」
大仰に言ってにっこりと微笑む。
ピンクベージュの口紅をしっかりと塗った唇が弧を引く。
まっとうすぎる服装ではあるが、中身はちょっとやばめの人なのかもしれない。 電話で話した時から気にはなっていたのだ。アナウンサーみたいな抑揚のある口調、大げさで不自然な言葉の選び方。私が言うべきことではないが、私のような得体のしれない女にわざわざ時間を割こうという時点で、あまりまともではないという気はする。少なくとも、私が逆の立場であれば絶対に会わない。
「どうしたの、もしかしてお嫌かしら?」
慌てて顔を上げると、銀行員女は薄ら笑いを浮かべたまま、私がついさっき渡した名刺をもてあそんでいた。
株式会社スタディ・サポート
編集部 小宮山 春子
名刺にそう書かれている通り、私はメディア関係の仕事をしている。
とはいえ雑誌編集者などではなく、殺人事件の取材をするような者ではない。契約社員として雇われているのは主に高校のガイドブックやパンフレットを作る小さな出版社で、編集者という名の雑用係だ。
そして――夢見がちだと笑われそうだが、作家志望者でもある。
この取材は完全に私的な、とある文学賞に応募するための小説を書くためのものだ。
私にとって利はあるが、彼女にとっては何もない。取材費を支払う余裕などないのだ。せいぜいが持参した菓子折り――三千円のマカロンアソートセットを奮発した――くらいのものだ。話を続けられるかどうかは、彼女の気まぐれにかかっている。本来なら、彼女の指定で訪れたこの喫茶店の払いももつつもりだったが、大きなポットにたっぷりと入ったハーブティの料金は既に支払われてしまっていた。どうやら馴染みの店らしい。こちらのカップの中身が減ってくると、銀行女はかいがいしく継ぎ足してくれる。
「すみません、ちょっとびっくりしてしまって」
「あなたの質問に答えていればいいというのなら、ええ、そうします。こんな専業主婦の話なんて退屈でしょう? あなたは編集者なんて立派なお仕事をされてて、未来の作家さんなんですものね。きっと毎日お忙しいんでしょうねえ」
にこにこしながら畳みかけるように言う。
こいつは厄介だぞ、と頭の中で警報が鳴る。
仕事がらみでたまに会う中学生の保護者――モンスターペアレント気味のやばい保護者と同じ匂いがする。私は腹にぐっと力をこめ、仕事で鍛えた卑屈な笑顔を顔に貼り付けた。
「そんなふうに仰らないでくださいよ、篠崎さん! すみません、私もちょっと緊張してまして。何しろこんなふうにお話していただけるなんて思っていなかったものですから。しかもお知り合いから情報を集めてきてくださったなんて、なんだか――もうね、感動してしまって。すみません、本当にびっくりしてたんですよ」
ぺらぺらととにかく喋り、相手に考える暇を与えないようにする。
この女は、過去に起きた連続失踪事件と、どうやら関わりがあったらしい。
絶対に機嫌は損ねたくない。私はこの取材に、この小説に賭けている。
「そうかしら? 私にとっては確かに大きな出来事でしたけど、もう十年も前のことでしょう。興味を持つ人なんて、そんなにいるのかしら」
正確には、十年前ではなく十一年前だ。
ここ一帯でほぼ同時期に、八人の人間が姿を消した。
最も多かったのが当時近隣でも進学校として有名だった私立西野学園高校の生徒で、学年もクラスも異なる五人の生徒が忽然と消えている。他に三人の成人も失踪しているが、うち2名は西野学園高校生徒の保護者だった。もう1名の成人である四十代男性は、失踪した生徒といわゆる援助交際の関係にあったとされている。
一連の事件の中心には、間違いなくこの西野学園高校があった。
そして、銀行女は事件当初、この高校の在校生だった。
「確かに時間は経ちましたが、未だに謎の部分が多い事件ですから、世間の関心は高いです。もし万が一、新事実が見つかりでもしたら、必ず大きなニュースになります」
「それをあなたが書くわけね?」
「――あなたにご協力いただけるなら」
耳をすますと微かに波の音が聞こえる。
銀行員女はにっこりと微笑み、「条件があります」とささやいた。まるで恋人に向けるような満面の笑顔に、なぜだか私はぞっとした。
「あなたが書く小説を、私にも会うたびに読ませてほしいの」
それがあなたに協力する条件です、と笑い顔のままきっぱりと言った。
遠くの空でカモメが鳴いていた。
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