ep 9. 偶然の再会

 「ただいま! 遅くなってごめん!」



 呉羽が帰宅したのは午後四時のことだった。


 シャワーを浴びて急いで帰って来たが、走ったために結局汗をかいた。リビングのソファでただ座っていただけのアリアがこちらを見ている。



 「おかえりなさい」


 「ちゃんとご飯食べた?」


 「いえ、何も」


 「食欲ない?」


 「温め方がわからなくて」



 まさか電子レンジの使い方を知らないとは思わなかった。


 だが、アリアは記憶喪失なのだ。もっと気を使うべきだったと今更後悔する。



 「そうか。ごめん、教えておけばよかった」


 「大丈夫ですよ。昨日の夜たくさん食べましたから」



 昨日の夜はカフェルポスでパスタを食べたが、あの量がたくさんと表現されることもあるのだな。小さい子供でもほとんど食べきれる量だ。


 容姿から察するに少食なようだが、成長期にあたる年齢なら最低限栄養のあるものを食べさせるべきだろう。



 「買い物ついでに夜ご飯はどこかで食べようか」


 「わかりました」



 しかし、ここでひとつ問題が発生した。


 アリアは白いワンピースとカフェでアルバイトしている娘に借りたアウターしか持っていない。


 まず外出するための服がない。呉羽の部屋着のまま外出するのはどうしても目立ってしまう。


 ここにきてそこまで思考が及ばなかった自らを恥じた。


 呉羽が女性でも着れそうな服を探すも、普段からジャージなどの動きやすい服しか着ないからそんなおしゃれなものがあるはずもなく。



 「困ったな・・・」



 そのとき、インターホンが鳴った。この部屋を訪ねるのはセールスか宗教の勧誘くらいのものだが、呉羽は居留守を使うのも幾分申し訳なく玄関の扉を開けた。



 「あれ?」



 目の前に立っていたのは、唐霧琴鈴。先ほどまでボクシングジムでスパーリングをしていた相手だった。



 「こんな偶然あるんですね。今日隣に引っ越して来たので、ご挨拶に」



 そうだ。最近隣に住んでいた人が退居したらしかった。挨拶くらいしかしなかったが、近頃会わないし物音も聴こえなくなった。


 都会にいれば隣近所との繋がりなど希薄なものだ。それが集合住宅ならことさら。



 「本当に偶然ですね。よろしくお願いします」


 「そうだ。ご迷惑じゃなければこのあと食事でもどうですか? ジムの入会悩んでて、話を聞かせてもらえると助かるんですけど」


 「すみません。これから出掛けるんですよ」


 「彼女さんとですかね。だったら、私が食事に誘ったら駄目ですね」


 「違います。親戚の子供を預かっていて、生活用品の買い物に・・・。そうだ!」



 突然大声を出した呉羽に驚いて、琴鈴は後ろに仰け反った。



 「ああ、ごめんなさい。実はその親戚の子供がですね。日本に慣れていなくて、服とか必要なものとか買い揃えるんですけど、アドバイスをもらえませんか? 恥ずかしながらこの歳まで彼女がいたこともなくて、ファッションセンスが疎くて・・・」


 「その女の子は海外の出身なんですか?」


 「ええ、イギリス・・・じゃない。アメリカだっけ? あれ?」



 思いつきで伝えた設定を呉羽が忘れてしまった。これくらいの間違いならごまかせるはず。



 「私でいいならご一緒させてもらいます」


 「よかった。それで、えーっと服を貸してもらえませんか?」


 「服?」


 「ええ、事情があって一着しか持ってないんですけど、それが日本では浮いてしまって目立つので・・・」


 「そういうことですか。わかりました。適当に持って来ますね」


 「助かります」



 渡りに船とはこのとこか。


 変わった女性だと思っていたが、話していると常識的で、とても綺麗な女性だった。手伝ってもらう分今日の夕食は奢らせてもらおう。


 すぐに琴鈴は服を持って来て部屋に入った。



 「アリアちゃん? 私は琴鈴っていうの。よろしくね。お出掛けするからこの服使って」


 「わかりました」



 アリアは琴鈴から服を受け取ると寝室へと向かった。記憶喪失の状態で渡された服を正しく着用できるのだろうか。



 「アリアちゃん、お人形さんみたいに可愛い娘ですね」


 「そうなんですよ。俺と血の繋がりが本当にあるのか、って思ってます」



 血の繋がりなどないが、呉羽は冗談を言って笑った。


 ただ服を替えるだけのはずが寝室でドタバタと音がしており、呉羽は確認したい気持ちを抑えて着替えが終わるまで待った。


 扉が開いて出て来たアリアは、ロングスカートにデニムのアウターを羽織った街中でよく見る若い女性のファッションをしていた。


 呉羽にそれが良いかどうかはわからないが、アリアなら何を着ても似合うし少なくとも周囲から浮くようなことはなさそうだ。


 少しばかりサイズが大きいが、これなら大きな違和感はない。顔立ちが整っているために異性の視線は集めるかもしれないが。



 「可愛い娘が着ると同じアイテムとは思えませんね。もうその服似合ってるからアリアちゃんにあげる」


 「ありがとうございます」



 褒められて頬を赤く染めて照れるアリアを見て、人間としての感情が備わっていることに呉羽は安心した。



 「それじゃあ、行きましょうか」



 三人は部屋をあとにして、ショッピングモールに向かった。

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