ep 6. 光輝の目
三分二ラウンドのスパーリングで次の対戦相手を想定した練習。
会長の森が日本タイトルマッチを控えた宮田に課したメニューは呉羽なしでは実現しないものだった。
呉羽は対戦相手の実戦を動画で見ることである程度同じ動きを再現することができる。
インファイト、アウトファイト、カウンターを得意とする選手など、動きや癖まで再現するので、呉羽のおかげで本番は余裕で勝利したと言う選手がいるほどだ。
今までも対戦が控えたボクサーたちの相手を幾度となくしてきた。
宮田はパワー系のインファイターだ。対戦相手の現チャンピオンもインファイターだが、テクニックでカウンターを当てることができる宮田とはタイプが異なる選手だった。
呉羽は動画を何度か見て、その動きを記憶に叩き込んだ。そして、わずか三分のシャドーで身体に染み込ませた。
宮田の猛攻を受け止めてゴングが鳴り、二ラウンドのスパーリングは終了した。
時計は午後二時を指していた。呉羽が仕事を終えるまであと一時間ほど。
「くそっ、ケーオーできなかった!」
「いい動きだったよ。ただ、攻め急ぎ過ぎてる。カウンターが得意な相手には少しばかり強引だった」
宮田はひたすら連打を繰り返したために息を上げて苦しそうに肩を上下する。対照的に呉羽は深呼吸で息を整えて平然と立っている。
「カウンターなんて怖くねえよ。俺のパワーでねじ伏せてやる」
「宮田。阿藤の指摘は間違ってない。あまり調子に乗ってると次の試合痛い目見るぞ。阿藤の指導があったからここまで来たんだろう」
宮田の傲慢な態度に黙っていられなくなった森が不機嫌に言葉を発した。
「阿藤さんなんてプロにすらなれなかったんだから、俺より弱いに決まってるでしょ」
「宮田!」
「会長、抑えてください。気にしてませんから」
呉羽が森の怒りを収めると、宮田に対してそれ以上の追及はなかった。筋肉が硬くならないように軽くミット打ちをしようと提案すると、宮田は黙って構える。
「失礼します」
声がしてジムの玄関を見ると、少しだけ開いた扉から女性が顔を覗かせてこちらの様子を伺っていた。
ジムに女性が訪れることは珍しい。
「何か用っすか?」
その女性が美人だったことから宮田はリングを降りて駆け寄った。宮田は平気で浮気をするという噂を聞いたことがあるが、その真偽は置いておいても女癖がよくないことは確からしい。
「まあ、中へどうぞ」
「ありがとうございます」
宮田が扉を全開にして女性を室内へ招き入れると、彼女はモデルのようなスタイルをした綺麗な人だった。
宮田は足元から頭頂部まで視線を這わせると、気持ち悪い笑みを浮かべて椅子を用意した。
「あの、私ボクシングの体験をしてみたくて、女でも問題ないでしょうか?」
「もちろん。なんなら俺が教えますよ!」
森ボクシングジムはプロの選手が所属しており練習生や趣味としてボクシングをしたい人も入会しているが、現在女性はいない。
会員募集の張り紙をジムの外壁に貼ってあるので、それを見て入って来たのだろう。
過去に女性が所属していたこともあったので、性別を理由に体験や入会を断ることはない。
トレーナーとはいえ、会員を増やしてジムの収益を上げることも仕事のうちだ。
「宮田、お前はとりあえず軽く流せ。阿藤、そちらの女性の対応を頼む」
「いや、会長。やっぱりプロが教えた方がこの人のためにもなる・・・」
「聞こえなかったか。流せと言ったんだ」
森の鋭い眼光に刺された宮田は舌打ちをして女性から離れ、サンドバッグを打ちはじめた。その音には明らかな怒りが含まれていた。
呉羽は女性のもとに急いで歩き、体験に際しての注意などを説明した。怪我のリスクもゼロではない。のちにトラブルにならないように細心の注意が必要だ。
体験申し込み用紙に名前や連絡先を記入してもらい、怪我のリスクなどを記載した同意書にサインをすることで申し込みは完了した。
名前は
だが、女性向けのジムなどたくさんあるはずなのに、なぜ彼女はボクシングジムを選んだのだろう。
「じゃあ、軽くミット打ちやってみましょうか。やり方は教えますので」
「あの、ひとつ伺ってもよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょう?」
「スパーリングをしてもらえないでしょうか? 本気で」
「はい?」
琴鈴の目は輝いていた。
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