第381話儚き命 part2
381.儚き命 part2
クリスさんから頼まれ事をされたのだが、主を倒すだけでも手一杯の今、この世界の発展のために秩序立って『科学』を広めるなど、そんな時間的余裕があるはずも無く。
どうやって断ろうかを考えていると、後ろから少し怒りの含んだ声が響いてくる。
「クリス兄様、そこまでです。それは私達ごときが口出しして良い物ではありません。アルド君、ごめんなさいね。兄も悪気があって言ってるわけでは無いの」
アシェラへの質問を終えたのだろう。何時の間にかルーシェさんがオレの後ろに立ち、クリスさんの話を強引に止めてくれた。
「ルーシェ、アルド君の『使途の叡智』はこの世界の人、全てに恩恵をもたらすはずだ」
「クリス兄様……何度も言いますが、それは使徒であるアルド君と精霊様が決める事です。過ぎたチカラは自らの身さえ滅ぼしかねません」
「お前は人には『使途の叡智』は早すぎる、扱いきれない、そう言いたいのか?」
「はい。私の治療でさえ、ソナーと輸血魔法、2つの未知の技術が必要だったと聞いています。それさえも『使途の叡智』の中ではほんの一部……兄様はそんな知識をどうやって広めるおつもりですか?」
「そ、それは……」
「アルド君に全ての事を押し付けて? それとも兄様やグラン家が全ての責任を負うとおっしゃるのですか? 「使徒様から叡智を授かった。グラン家の名の下に公平に分け与える」と言って無秩序に広めるつもりなのですか?」
「……」
「兄様、アルド君には世界を救う使命があります。それは想像を絶するほど困難な物のはず。せめて雑事は私達自身の手で一歩一歩前に進めないと……いつか、使徒様は全てを放り投げて逃げ出してしまいます。そうよね? アルド君」
「え、あ、それは……」
クリスさんはルーシェさんからの叱責を受け、一時の熱から醒めたようにバツの悪い顔でオレを見つめてくる。
「……そうだな、確かにルーシェの言う通りだ。久しぶりにアルド君を見て、少し興奮してしまったらしい。アルド君、今言った事は忘れてくれ。無理を言った事、改めて謝罪する。申し訳なかった」
「止めてください。クリスさんの気持ちも分かります。ただ、この知識は安易に広めるつもりは無いんです……申し訳ありません」
謝罪してもらっても、この場には何とも言えない空気が流れている。そんな空気をぶった切るように、一転ルーシェさんは嬉しそうな顔で口を開いた。
「暗い話はここまでにして、とびきり明るい話があるの。クリス兄様の意見も聞かせて貰いたいので、どうぞ中へ。アルド君も、さぁ入って入って。アシェラが待ってるわ」
そう言って嬉しそうなルーシェさんに、オレとクリスさんは家の中へ押し込まれてしまったのであった。
家の中ではアシェラが頬を染めて、恥ずかしそうにオレをチラチラと見つめてくる。
アシェラにこんな態度を取られたのは久し振りだ。
もう、ずっと昔、まるで初めてのキスをした後のような……何故かこっちまで恥ずかしくなってくる。
そんな付き合い始めのカップルのようなオレ達をよそに、ルーシェさんはどんどん話を進めていく。
「クリス兄様、アシェラを診てほしいのです」
「アシェラを? 何処か悪いのか?」
「大した事は無いんです。最近、食欲が無いらしくて……兄様の見立てを教えて下さい」
「分かった。アシェラは使徒であるアルド君の妻だ。回復魔法の大家、グラン家当主として診させてもらおう」
そう言って3人は奥の部屋へと入っていく。
またしてもオレ1人だけ残されてしまった……クリスさんにも診せないといけないほど、アシェラは悪いのか?
でもルーシェさんの態度は、そんな気配は微塵も無かった。しかも、とびきり明るい話と言っていたはずだ。
どう言う事だ? まるで、良い病気でもあるかのように……分からない。
そんな焦れた時間を過ごしていると、奥の部屋から嬉しそうなルーシェさんと、苦笑いを浮かべたクリスさんが出てきた。
「アシェラは?」
オレの問いに、クリスさんは何も返さず肩を竦めるだけである。反対にルーシェさんが、嬉しそうに口を開いた。
「アシェラは奥よ。行ってあげて」
「はい……」
2人の態度から推測するに、アシェラの病気は大した事は無さそうに思える……しかし、とびきり明るい話とは……
不安と混乱の中、促されるまま奥の部屋に入ると、恥ずかしそうなアシェラがゆっくりと口を開いた。
「アルド……ボク、赤ちゃんが出来たみたい」
は? 赤ちゃん? アカチャン? カアチャン? 違う違う、それは氷結さんの事だ……赤ちゃん……こども……
え? オレ、父親になるの? マジ? え? ど、ど、どうしよ! ひっひっふー、それはラマーズ法だ!
オレが慌てふためいている姿を見て、アシェラは少し不安そうに口を開いた。
「アルド……嬉しくない?」
「そんな事は絶対に無い!! 嬉しいに決まってるだろ! い、いきなりで……ど、どうしたら良いのか……オレ、どうすれば良いんだ? あ! お腹! 冷やしたらいけないんだろ?!」
軽いパニックになったオレを見て、アシェラは小さく笑っている。
「もう直ぐ夏。冷やそうと思っても無理」
「あ、そうか……あ、お湯がいるんだっけ?」
「アルド、落ち着いて。生まれるのはずっと先」
「そ、そうだよな……じゃあ、オレは何をすれば良いんだ?」
「何もしなくていい。ボクの隣に座って」
アシェラに促されるまま椅子に座ると、少しだけ冷静になれた。
「アルド、ボクとっても嬉しい。アルドとの子……きっとサナリスみたいな可愛い子が生まれてくる」
「あ、ああ……そうだ、そうだよ。オレとアシェラの子だ。とびっきり元気で可愛い子が生まれてくるぞ!」
ああ……少しずつ実感が湧いてくる。オレ、父親になるんだ……
父親……何だか体の底からワクワクが溢れてくる!! うぉぉぉぉぉーー! 叫びながら、走り出したくなってくる!!
「アシェラ、ありがとう! 本当にありがとう。オレ、今まで生きてきて……こんなに嬉しい事は無い!! 大好きだ!」
「うん、ボクも。アルド、愛してる!」
そのままアシェラをそっと抱き締めた。優しく、優しくだ……強く抱き締めて、マイベイビーに何かあってはいけない!
あぁ、男の子かな? でも女の子も良いなぁ。ぶっちゃけ、元気でさえあれば、どっちでも良い!
子供が出来た事がこんなに嬉しいなんて……世界には愛が満ち溢れている。今なら、この世界の全ての人を愛せそうだ!
オレこんなに幸せで良いんだろうか? 「実はドッキリでした」って言われたら3日は泣く自信があるぞ!
「アシェラ……オレ、誓うよ。絶対に世界を守ってみせる! この子のために、世界を終わらせたりしない!」
「うん。この子を産んだらボクも手伝う。アルドと一緒に世界を救う!」
「ああ。但し、生まれるまでは気を付けてくれよ? 妊婦の激しい運動は本当にマズイんだからな?」
「……分かった。でも、これからの戦い……ボクは付いて行けなくなっちゃった。アルドが心配……」
「そこは皆と相談しよう。地図が一段落すればライラにも頼めるし、ルイスやネロ、カズイさんだって手伝ってくれるはずだ」
「うん……でもオクタールの主みたいな相手が出てきたら……」
「その時は……最悪マナスポットを壊すか……アオが言ったように数年放置するか……方法が無いわけじゃない。それに、皆もどんどん強くなってる。母さんに頼まれた専用魔法の開発もするつもりだ。アシェラが戻るまでは皆と一緒に頑張ってみるよ。だから心配しないで、今はこの子だけを見守っててほしいんだ」
「分かった……」
当面の話が終わり改めてアシェラを見つめると、愛おしさが溢れてくる。オレの子供を産んでくれるんだ……溢れ出す愛おしさのまま、いつしかお互いを慈しむように、抱き締め合っていた。
そんな甘い空間の中 慌ただしく扉を開ける音が響く……オレ達の甘い時間を邪魔するのは誰だ! 少し訝し気に目を向けると、そこには自宅に帰ってきたであろうハルヴァが、呆けた顔で立っていた。
「あ、アシェラ……お、お前……に、に、妊娠したってのは本当か?」
アシェラはオレとの逢瀬を邪魔された事に、不満そうな顔をしながら ぶっきらぼうに口を開いた。
「お父さん、入る時はノックして」
「あ……そ、そうだな、スマン。そ、それで本当に妊娠したのか?」
「うん。お母さんとクリスさんに診てもらった」
「そうか……そうか……子供が……」
「1年もしない内に、お父さんはお爺ちゃんになる」
「お、オレがお爺ちゃん……」
アシェラの「お爺ちゃん」と言う言葉を聞いて、ハルヴァはアホ面を晒してフリーズしてしまった。きっとさっきのオレもこんな顔だったのだろう……なんて間抜けな顔なんだ。
改めて全員が落ち着いてから、詳しい話を聞かせてもらう事が出来た。
今回のつわりが始まった時期から逆算して、恐らく予定日は年明けになるようだ。
ルーシェさんからの話では、妊娠した日は1~2ヶ月前らしい。と言う事はオクタールへ旅発つ前となる。
あー、もしかして3交代で搾り取られた日かー。なるほど。こうやって思い返すと、何とも感慨深い物があるなぁ。
そこからは、これからの予定等 具体的な話を聞かせてもらえた。
食事から普段の生活、気を付けないといけない事。果ては夜の生活まで、事細かく指示を受けていく。
嫁の母親に夜の生活を話すとか……どんな罰ゲームなのかと!
アシェラは恥ずかしそうに黙って、オレとルーシェさんの会話を隣で聞いている。
勿論 この席には ただの脳筋騎士であるハルヴァは同席していない。
ヤツは隣の部屋で、1人 悶々と待っているはずだ。
こうして、一通りの説明が終わると、既に日は沈みかけ、辺りは暗くなり始めていた。
アシェラは、他にもオレには聞かれたくない女性特有の諸々があるらしく、今日は実家に泊まっていくそうだ。
一応 オレも誘われたのだが、この長屋はお世辞にも広いわけではなく。丁重に辞退させてもらった。
そして当面 必要な諸々を、明日の朝からブルーリングへ飛んで買い揃える事で話は纏まったのである。
しかし、やはり諸々を買うに当たっても、オレと一緒だと恥ずかしい物もあるそうで、結局 明日はルーシェさん、ハルヴァと一緒に回る事になった。
ハルヴァの荷物持ちが決定した瞬間である。
うーん……オレは何もしなくても良いのだろうか……もしかして、頼り無いと思われてるんだろうか……出来れば一緒に回りたいんだけどなぁ。
しかし、ルーシェさんとの話を小耳に挟んだ所、「早めに下着や布なんかを買いに行く」と聞いて、自宅で大人しくしている事を決めた。
服屋で女性物の下着売り場に連れて行かれるとか……もぅ、あの悪夢は体験したくない。謹んで、その大役はハルヴァに譲りたいと思う。
「アシェラ、くれぐれも体に気を付けてくれよ? 頼んだからな。絶対だぞ」
「分かった。アルドは心配性」
「そうは言うけど……妊娠初期は安静が必要なはずだ。本当に気を付けてくれよ」
「そんなに心配しなくても大丈夫。お父さんとお母さんもいる」
「そうか……そうだよな。分かった。じゃあ、行くよ」
「うん、明日には帰るってオリビアとライラに伝えておいて」
「ああ、妊娠の事もしっかり伝えておくよ」
こうしてアシェラと別れ、1人 開拓村を歩いていく。考えるのは、やはり生まれてくる子供の事。
オレ、父親になるんだ……
辺りには、仕事帰りの者や露店で少し早めの一杯を始めている者の姿が見える。
そして遠くには、広大な敷地と魔の森が、暗くなり始めた空の下、広がっていた。
「頑張ろう!」
誰に言うでも無い一人言が、自然と口から零れたのであった。
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