第380話儚き命 part1
380.儚き命 part1
ネロの足の修復も無事に終わり、オレは約束通り昼食の少し前に自宅へと戻ってきた。
「ただいまー」
「おかえりなさい」「おかえり、アルド君」
「あれ? アシェラは?」
「アルドのベッドで寝ています。自分の部屋で寝た方が良いって言ってるんですけど、どうせ寝すぎで寝れないからって言って……」
「ハハハ、そうか。まぁ、アシェラにジッとしてろってのは厳しいかもな」
「そうですね。アルド、そろそろお昼ですから、アシェラを呼んできてもらっても良いですか?」
「分かった。お姫様を起こしにいってくるよ」
笑みを浮かべるオリビアを背に、自分の部屋へと向かっていった。
「アシェラ、起きてるか?」
自分の部屋なので、ノックもせずに声をかけながら扉を開けると、アシェラはオレのベッドの中で小さな寝息を立てていた。
どうやら寝すぎではあるものの、暇過ぎて軽く眠ってしまったのだろう。
静かにベッドの隅に腰かけてアシェラの寝顔を見ていると、可愛らしい寝息が聞こえてくる。
あー、こんな安らかな時間、オクタールでの殺伐とした戦いからは考えられなかった。ずっと、こんな瞬間が続けば良いのに……
一人幸せを感じていると、オレの気配が伝わったのか、ゆっくりと目を開けたアシェラは、オレの顔をみてニヘラと笑い甘えるように抱き着いてくる。
「おはよう、お姫様。オリビアが呼んでるぞ。そろそろ お昼を食べようか」
「ボク、お腹減ってない……」
「少しでも食べよう。最悪は飲み物だけでも良いから。な?」
「うん……じゃあ、抱っこして連れてって……」
アシェラは未だに寝ぼけてるのか、普段は言わないような事を耳元で囁かれてしまった。
むふふーん。ここで気張らねば、何のために子供の頃から身体強化を鍛えたと言うのだろうか。
このまま、地の果てにだって抱っこしてやるぜ!
謎の気合いを入れて、アシェラをお姫様抱っこしながら1階の食堂へと下りていく。
その様子を見たオリビアとライラは、驚いた顔で立ち上がった。
「私も!」
「ズルイですよ、2人共!」
何故かオリビアとライラの2人はオレの前に立ち、捨てられた子犬のような目で見つめてくる。
「ちゃ、ちゃんと2人も抱っこするから……じゅ、順番な?」
結局、アシェラを下ろしてから、オリビアとライラを順番に抱っこして、食堂のテーブルの周りを歩かされると言う、意味の分からないことをさせられてしまった。
「お昼からは開拓村ですか?」
こう聞いてくるのはオリビアである。
お姫様抱っこが気に入ったのか、昼食を食べながら上機嫌で午後の予定を聞いてきた。
「ああ。一度、ルーシェさんにアシェラを診せてくるよ。食欲が無いだけらしいけど、早めに診せたいんだ」
「分かりました。夜には帰ってくるのですよね?」
「そのつもりだ。何かあったら、アオにでも伝言を頼むよ」
オレの言葉にアシェラは知らん顔だったが、オリビアとライラは露骨に微妙な顔で口を開いた。
「アルド……精霊様を、そんな小間使いのように使って……良いのですか?」
オリビアの言葉に、ライラは首振り人形のように頷いている。
「良いと思うけどなぁ……だってアオだぞ?」
「使徒であるアルドが良いのであれは、私は何も言いませんが……」
どうやらオリビアとライラは、納得がいって無いようだ。
そんな中でもアシェラは我関せずを貫いて、昼食は摂らずデザートであるストロの実を食べている。
「アシェラ、肉や野菜はキツイか?」
「うん……でも、ストロの実は美味しい」
「そうか、少しでも良いからお腹に入れておいた方が良いからな。じゃあ、食べ終わったら開拓村へ向かおう」
「うん」
それからも3人と他愛ない話をしながら、昼食の時間は過ぎていった。
「じゃあ、行ってきます。夜には戻る予定だから」
「はい、待ってます。アシェラ、無理は絶対にダメですからね!」
「……うん、分かってる」
オリビアがこう言うのには訳がある。恐ろしい事にアシェラは、隠れてドラゴンアーマーを着て行こうとしやがったのだ。
何故 見つからないと思ったのか……結局、厳重に注意して脱がせたものの、半泣きで頼み込まれて手甲だけは許してしまった。
まさか、体調が悪いのに戦闘なんてしないとは思うが……アシェラだからなぁ。
そんな訳で、オリビアに釘を刺されていたのである。
今のアシェラは可愛らしい平民の服に、無骨な手甲を着けての出で立ちだ。なんともアンバランスなのだが、本人は久しぶりの手甲に頬を染めて満足そうだ。
「アシェラ、本当に戦闘はダメだからな。何かあってもオレの後ろに隠れてるんだぞ」
「……分かった」
アシェラの絶対に分かっていない、分かったの返事と共に、開拓村へ向かったのだった。
開拓村へ飛び、掘っ立て小屋から外へ出ると、街の東側では城壁作りが始まっていた。
「本当に城壁を作り始めてるんだな」
「うん……」
アシェラは男達が忙しそうに働く姿を、何処か呆然と見つめながら口を開いた。
「不思議……」
「不思議? 何が?」
「ボクが最初に開拓へ参加した時、ここにはアルドとエルファスが焼いた森が広がってただけだった。そこを少しづつ切り開いて、建物が出来て……どんどん街が出来ていった……しかも、今は城壁まで……アルド……」
「ん? どうした?」
「人って凄いね。ボクは今 心の底からそう感じてる」
「そうだな。これが本来の人のチカラなんだろうな。個のチカラじゃない。沢山の人が集まって、大きな事を成し遂げる。人以外には絶対に出来ない事だ」
「沢山の人が集まって大きな事を成し遂げる……こんなにも大変で、大切な物だったなんて知らなかった。ボクは誰にもここを壊させたりしない。ううん、ここだけじゃない。何処の街もそうやって作られたはず。簡単に壊して良い物じゃない」
「ああ。そのためにも、主を倒さないとな。ブルーリングにサンドラ、オクタールも……主の起こす災厄は大きすぎる。それこそ街の1つぐらい簡単に消えるぐらいに……」
「そうだね……」
アシェラはそう呟くと、明らかに闘気を漲らせていた。いや、だから、それは健康になってからの話であって……
「あ、アシェラ、そろそろルーシェさんの所に行こうか。ひ、久しぶりの帰省だろ? 早く顔を見せてあげよう」
「……うん、分かった」
どうやら誤魔化されてくれるらしい。焚き付けるような事を言ってしまったオレも悪いが、もう少し 自分の体も労ってほしいと思うのは贅沢なんでしょうか?
直ぐに移動を始めたのだが、その後もアシェラは拳をぶつけ合わせて気力を漲らせている……どうやら、誤魔化されてくれては、いなかったみたいだ……絶対に目を合わせないようにしないと……最悪は模擬戦をしようとでも言い出しかねない。
こうして猛獣と化したアシェラを連れながら、助けを求めてルーシェさんの下へと急いだのである。
「ごめんくださーい」
「はーい。ちょっと待ってくださいねー」
オレの呼びかけに長屋の一軒の扉が開き、ルーシェさんが顔を出してくる。
「お久しぶりです、ルーシェさん」
「あらあら、アルド君、お久しぶりね。2人共、取り敢えず入って入って」
久しぶりのルーシェさんは相変わらずであり、日本で実家に帰った時のような雰囲気を醸し出している。
「先触れも無く、急に来てしまい すみません」
「何言ってるの。自分の実家だと思って気楽に来てくれて良いのよ。さあ、そこに座って」
「ありがとうございます」
勧められるまま椅子に座ると、アシェラとルーシェさんは楽しそうに話しながらお茶の準備を始めている。
こうして2人が並んで立つ後ろ姿は、同じ髪色なのもありソックリだ。暗がりだと見分けが付かないかもしれない。
いつもの調子でイタズラなんてして、アシェラと間違えた日には……怒り狂ったハルヴァとアシェラに、追いかけられる未来が見える。
いやいや、思考が逸れた。
「どうぞ、アルド君」
「ありがとうございます」
お茶の用意が終わり、2人が腰を落ち着けたと同時にルーシェさんは興味深そうに口を開いた。
「それで今日はどうしたのかしら?」
「はい。実は…………」
ルーシェさんの問いかけに、ここ数日 アシェラの体調が悪い事を伝えていく。
食欲が無い程度で、基本的には元気である事。以前 ルーシェさんにも使ったソナーを打ったが、異常は見つけられなかった事。ただ、ソナーも完全では無い以上 見落としている可能性もある事。
ここ最近の全てを話し終え、改めてルーシェさんへ聞いてみた。
「アシェラはどこか悪いんでしょうか? やっぱりオレ、心配で……」
「うーん。アルド君の話だと、軽い風邪か疲れか……大した事は無さそうだけど。アシェラ、幾つか質問に答えて頂戴」
「うん」
ルーシェさんの質問は、食欲から寝付きや寝起きの具合、果てはトイレの回数にまで至り、アシェラからの強い希望でオレは席を外す事になってしまった。
夫婦であってもトイレの回数から状態まで聞かれるのは嫌なのだとか。
そんなお願いを断れるわけもなく、今は家の外で所在なさげに近くの岩に腰かけている所である。
「アルド君?」
いきなり声をかけられて振り返ると、そこには久しぶりに見る懐かしい顔があった。
「あ、お久しぶりです、クリスさん」
そう、オレに声をかけてきたのは、グラン家当主であり、ルーシェさんの兄でもあるクリス=フォン=グランその人であった。
久し振りの再会を喜び合い、オレがいない間の事を含め、グラン家が辿った数奇な運命を聞かせてもらっていると、クリスさんは過去の話を口にし始めた。
「アルド君が使徒だったなんてね……ルーシェの治療法を知ったのは、ブルーリングの書物だと言っていたけど……嘘だったんだね?」
「すみません……」
「責めているわけじゃないんだ。ルーシェから聞いたよ。『使徒の叡智』の事。あの時、ルーシェを助けられたのは、この世界でアルド君、君だけだった……そんな奇跡に立ち会えて感謝してるんだ。勿論 ルーシェの命を救ってくれた事にも……」
「いえ……そんな事は……」
言い淀むオレを見て、クリスさんは意を決したように口を開いた。
「使徒様にこんな頼み事をして良いのか分からないが……アルド君、どうだろう? その叡智を分けてもらう事は出来ないだろうか? この世界では人の命は軽い。軽すぎる……あまりにも簡単に消えていってしまう……医術のレベルが上がれば、そんな人を少しでも減らせるはずなんだ。『使徒の叡智』が精霊様の恩寵と言うなら、広める事こそが精霊様の意思のはず。頼めないだろうか?」
クリスさんの真剣な顔を見て、オレの心には「とうとうきたか……」と諦めに似た感情が湧きだしてくる。
これまで生きてきて、極力 科学を広めないように気を使ってきたのは確かだ。しかし、エアコン魔法に輸血魔法、ルーシェさんを救う際に話した医学の知識……過去には何度もその禁を破ってきたのも事実なのである。
クリスさんの頼みは、そんなオレの脇の甘さに対する1つの答えなのだろう。
しかし、オレは科学を悪戯に広めるつもりは無い……無秩序に広めれば、恐らくは想像を絶する混乱が起こるに違いないからだ。
どう言って断ろうか……オレは頭の痛い問題を前に、心の中で特大の溜息を吐くのだった。
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