第308話闇の日の妻達 part2

308.闇の日の妻達 part2






私が魔族の精霊グリムと話をして2日が過ぎ、私が開けた壁の大穴を見た執事のローランドは、直ぐに大工を手配してくれた。

次の日のうちには治してもらえたのだが、何故か私が大工から恐れを含んだ目で見られてしまったのは、最初の玄関の破壊も私のせいだと思われたのだろうか……


弁解するにも精霊の事を明かせないので説明の仕方が非常に難しい……面倒なので甘んじて私のせいだと受け入れようと思う……

大きな溜息を吐き、家の掃除に取りかかると、アルドの部屋の机の上に直筆のノートが置かれているのを見つけてしまった。


アルドのノート……いけない事だとは分かっていたが”アルドを少しでも感じられる”そう思ってしまった私に”見ない”と言う選択肢など取れるはずも無かった。

罪悪感を感じながらも見るノートは日記などの類では無く、ひたすらに数字と意味の分からない数式、更に細かな注釈と説明が書いてある。


私はこのノートを見て、これこそが以前にライラが話していた使徒の叡智なのだとピンときた。

直ぐに、このノートを見せればライラは立ち直ってくれるだろうか……そんな思いが浮かぶが、私が勝手にして良い物では無い事を思い出す。


「アルドの私物を盗み見て、更にライラに渡すなど……私が勝手にして良いわけが無いのに……」


しかし、ライラがただ泣いて暮らすなどアルドが望むとはどうしても思えないのだ。

こんな時にアシェラと相談出来たら……心の底から願うが、彼女は未だに悲しみの淵から出てくる気配は無い。


意外な事にライラよりアシェラの方が重症なほどで、未だに立ち直る様子さえ見えないのだ。

思えば学園生活以外の時間は、アシェラの横にはいつもアルドがいたはずである。今は自分の半身が無くなってしまったように感じているのかもしれない。


判断に困った私は、いつものようにお義母様へ相談する事しか出来なかった。






「そう、それじゃあ早速ライラに見せましょうか」

「え?良いのですか?」


「別に減る物じゃないし、アルも元々ライラに見せるつもりだった物でしょ? だったら今、見せても問題無いと思うわ。いえ、むしろ今だからこそ見せるべきね」

「……そうですか」


お義母様の言う事は私も納得できる……しかし、こうも簡単にアルドの私物を勝手にしても良いのだろうか……分からない。

未だ判断に迷う私を尻目にお義母様はどんどん話を進めていく……本当に相談して良かったのだろうか。


「さあ、行くわよ」

「……はい」


自宅に着くとお義母様はまるで自分の家のように手慣れた様子でアルドの部屋へと入っていく。


「これね。どれどれ……方程式? 意味が分からないわね……ここは飛ばしてっと……固体、液体、気体……これ、まさかエアコン魔法の時の……こっちは燃焼? 酸素……何これ……え? ちょっと待って……」


私が少し見ても何が書いてあるのか分からなかったのだが、お義母様はノートを食い入るように読んでいる。


「お、お義母様、何が書いてあるか分かるのですか?」

「え? うーん、今は殆ど分からないわね。ただ……」


「ただ?」

「これは書きかけみたいだけど、順番に体系化して学べばこの世界の有り様が理解できるかもしれないわね……」


「え? せ、世界の有り様ですか?」

「ええ、ここに書いてある固体、液体、気体って言葉。これにはどんな物質も温度によって状態を変化させるって書いてあるわ」


「温度で状態を変化? すみません、お義母様のおっしゃる意味が分かりません」

「これが本当なら人の体も温度が上がれば気体、空気になるって事よ」


「空気……」

「オリビアはピンと来ないみたいだけど、私は見た事があるわ。魔物が蒸発する所を……」


「魔物が蒸発ですか……」

「ええ、アルやエルの使うコンデンスレイ。あの光に当たった瞬間、魔物は赤い霧になって辺りを燃やし尽くす燃料になるの。何故そうなるのか分からなかったけど……そう、温度が……」


お義母様の言う事の半分も理解が出来ないが、このノートはやはりライラが言う”使徒の叡智”を纏めた物なのだろう。

間違った形で世に出れば、恐ろしい事になりそうな気がする……決してこんなに無造作に置いておいて良い物では無い。


「お義母様、このノートは絶対に世に出してはいけませんよね?」

「そうね。このノートの価値に気が付ける者がいるかは分からないけど、万が一があるわ。ライラにもこの事は言い聞かせないと」


「分かりました」

「因みに、もう無いわよね?」


「え? あ、そうか……どうなんでしょう。私はアルドの部屋を掃除して見つけただけなので……」

「あの子は賢いのにどこか抜けてるから。でも他にあると面倒ね……出来ればメイドにも見せたく無いわ。しょうがないわね、オリビア、悪いけど家探しするわよ。手伝って頂戴」


「はい、お義母様」


こうしてお義母様と一緒にアルドの部屋を家探しする事になってしまったのだった。






アルドの部屋を探して結局、あれから2冊のノートが出てきた。最初の書きかけの物を入れると全部で3冊のノートが出てきた事となる。

中身を見るとやはり数式や意味の分からない事が書いてあった……Nニュートンって何? 重力加速度って……


お義母様も流石に、殆どの内容が分からないらしく難しい顔をしている。


「じゃあ、これを持ってライラの所に行きましょうか」

「分かりました、お義母様」


こうして一抹の不安を抱きながらも、領主館にある仮りのライラの部屋へと向かった。


「ライラ、ラフィーナよ」


お義母様がライラの部屋をノックしながら扉越しに声をかけるが返事は無い。


「ライラ、いるんでしょ? 開けないなら勝手に入るわよ」


尚も返事の無いライラに業を煮やしたお義母様は、メイドから預かった鍵を使って乱暴に扉を開けた。


「ライラ……」


ライラは私達が部屋に入っても興味が無さそうに、床に座りながら左手の指輪を見続けている。

髪はボサボサで生気は無く、凛と立っていた紫の少女としての姿など今はどこにも無い。


この姿を見ていると、放っておけばこのまま死んでしまうような気さえしてくる。

そんなライラをお義母様は一度だけ泣きそうな目で見た後に、一転、強い口調で語りかけた。


「ライラ、私はアナタに言ったわよね、『もし隊長がアルより年下だったとしたら私は応援してましたよ』って」


お義母様の言葉に、俯いたままのライラは少しだけ身じろぎをして反応をした……え? 隊長って何?


「でも今のアナタにはアルを任せられない。このままいつまでもそうしているつもりなら、アルが戻り次第どんな手を使っても結婚を破棄させるわ」


やっとライラは顔を上げるが、眼に生気は無く焦点もあっていない。


「私は本気よ。隊長なら分かるでしょ?」

「……いや。やっとアルド君に認めてもらったの……絶対にいや」


「じゃあ、しっかりと立って下さい。アナタは魔法師団第2小隊長にまでなった女傑でしょうが!私を!氷結の魔女を顎で使ったのは誰ですか!」


あのー、お義母様……ライラと何を話しているのでしょうか? 小隊長? 女傑? 私だけ置いてきぼりなんですが……

私の困惑を無視して2人の話は進んで行く。


「……私だって立ち上がって、自分のやるべき事をやりたいわよ……でもアルド君がいない。やるべき事も分からない……私にどうしろって言うのよ……」

「じゃあ、やるべき事が分かればしっかりと自分の足で立てるんですか?」


「ラフィーナ、アナタがそれを教えてくれるって言うの?」

「ええ。かつてリュート伯爵家で、神童の名をほしいままにした隊長に相応しい仕事があります」


ライラが訝しげにお義母様を見ている……何故リュート伯爵家の名がここで……本気でこの2人の関係が全く分からないんですが……

お義母様が懐から3冊のノートを取り出して口を開いた。


「使徒の叡智よ!」


ライラは驚きに目を見開いてお義母様……いえ、ノートを凝視している。


「これは書きかけだけど、恐らくはアルが隊長に向けて書いた物ね。私には難しくて何が書いてあるか分からないけれど、アルの教えを直接受けた隊長なら意味が分かるのかしら?」

「それをどこで? 見せて!」


そう言いながら立ち上がろうとしたライラは、ずっと座ったままであったからか足をもつれさせて転んでしまった。

すかさずお義母様がライラを支えている。


「大丈夫?」

「ああ、大丈夫よ。ノートを見せてほしい、ラフィーナ……いえ、お義母様」


「分かったわ、ライラ……」


お義母様は3冊のノートを渡すと、ライラは壊れ物を扱うかのように優しくページを捲っていく。


「方程式……分数の次にやるって言ってた……あ、沸点と融点……これもアルド君が言ってた……」


ライラは食い入るようにノートを眺め、ブツブツと独り言を呟いている。

そんな空気を無視してお義母様は話を再開した。


「……そのノート、絶対に世に出すわけにはいかないわ。恐らく持ち出し禁止になるでしょうね」

「そう……ですね。それが妥当だと思います。これはアルド君が私に書いてくれた物ではあるけれど、世界の理を解く大きな手掛かりになるでしょうから」


「ライラ、アナタにこのノートの知識を学ぶ気はあるのかしら?」

「はい。これは元々、私がアルド君に頼んだ物です。私以外の誰かが学ぶなんて、そんな事絶対に許せない……」


「そう。じゃあ、これは取り敢えずライラに預けるわ。保管場所が決まったら返してもらうけど大丈夫?」

「はい、ありがとうございます。お義母様」


「じゃあ、私は戻るわね。それと一度、オリビアとゆっくり話してみると良いわ。オリビアは今、1人で家に戻って暮らしているの。そのノートを見つけてアナタに見せるように、オリビアが提案してきたのよ。アナタ達3人なら悲しみや辛さを分かち合えるんじゃないかしら?」

「オリビアが……」


そう言ってライラが私を焦点のあった眼で見つめてくる。

後で感じた事ではあるが、アルドが飛ばされて初めてライラと向き合ったのがこの時だったと思う。


「ライラ、落ち着いたらで良いの。私達の家へ帰りましょう。アルドが私達のために一生懸命用意してくれた家へ……」


私の言葉を聞き、ライラの目には徐々に涙がたまっていく……


「うん……うん……い、家に帰る……アルド君の用意してくれた家に帰りたい……」


そう言って泣きながら話すライラは、やっと立ち上がれたように思える。

家へ帰る意思を示したライラではあったが、この10日間あまり食事を摂っていなかったらしく、用心のため家へ帰ってくるのは体力の回復を待つ事になった。


こうなると後はアシェラだけなのだが……しかしアシェラはには誰の言葉も届かず、未だに一人で部屋に引きこもり続けていた。





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