第307話闇の日の妻達 part1
307.闇の日の妻達 part1
アルドがカズイ達とベージェを旅発つよりずっと前、精霊グリムに飛ばされて1週間が過ぎようとしていた頃のブルーリング領。
「おはようございます……」
「おはよう、オリビア……もう大丈夫なの?」
「……今日でアルドが飛ばされて1週間になります。精霊様のお言葉では、アルドは直ぐにどうこうなる場所に飛んだわけでは無いそうですから……であれば私は私の出来る事をしようと思います。そうでないと帰ってきたアルドに……笑われてしまいますから」
「そう……そう言えるアナタと結婚したアルは幸せ者ね」
「ありがとうございます……お義母様」
そう言って私は1週間ぶりに自分以外の誰かと一緒に朝食を摂ったのだった。
この1週間は自宅が精霊に壊された事もあり、ブルーリングの領主館で半ば保護されるかのような生活を送らせてもらっている。
自分でもこれではいけない、と分かっているのだが、どうしてもアルドの事が頭をよぎって涙が零れてしまうのだ。
ただ、私はアシェラやライラとは違い、アルドの隣に立って戦うチカラは無い。
一度はその事で酷く落ち込みアルドを諦めようとした……
でもアルドはそんな私でも良いと言ってくれたのだ……嬉しかった……本当に嬉しかった。
私はあの時に誓ったのだ。私の役目は戦闘では無く、それ以外の全てでアルドを支えていく、と。
でなければ私は本当にアルドにとって重荷になってしまう。
今、アルドがいないこの状態で私が家を守らなければ……その気持ちだけを支えに私は立ち上がったのだった。
「お義母様、家の修理はどれぐらいで終わるのでしょうか?」
朝食が終わりくつろいでいる所へ聞いてみると、お義母様は訝しそうに口を開いた。
「玄関だけの修理で済むそうだから、もう終わるとは聞いてるけど……オリビア、無理はしないでアルが帰ってくるまで領主館で休んでて良いのよ」
私はゆっくりと首を振ってから言葉を返す。
「ありがとうございます。でもあの家はアルドが私達のために一生懸命用意してくれた物です。アルドがいないからこそ、私達3人でしっかりと守らないといけません。今はまだ2人には難しいとは思いますが、私だけでもあの家を守ろうと思います」
「そう……かもしれないわね。分かったわ、少し待って頂戴」
「はい。ありがとうございます」
お義母様は直ぐに執事のローランドを呼び、家の修理の状況を聞いてくれた。
すると修理自体は既に終わっており、後はアルドの血で染みになった部分の処理だけが残っているそうだ。
「それは、そのままにしておいてください」
「良いの? 血痕の後なんて気持ちの良い物じゃないでしょう?」
「そうですね。アルドが帰ったらどうするか相談する事にします。ただ今は少しでもアルドのいた証を残しておきたいので……」
「……そう」
そうして何度かお義母様と相談をして、食事だけは領主館で摂る事を条件に、私は明日から自宅へと帰る事に決まった。
お義母様からすると私の事を放ってもおけないし、かと言って必死に立ち上がろうとするのを邪魔したくも無いらしく、ギリギリの判断だったようだ。
本当にお義母様は強くて優しい人だと改めて感じられた。
先ずは自分の足でしっかり立ってから……そうしたら2人にも一緒に立ち上がってもらおう。
そう心に決めて私は自宅へと戻る準備を始めるのだった。
翌日の朝食の時間、やはり2人は閉じこもったまま部屋から出ようとはしなかった。
ライラは1日中、指輪の赤い光を眺め、アシェラはアルドの腕を離そうとはしない。流石にこの季節で痛み出す事からエルファスやマール、お義母様、お義父様の説得で今は腕を氷漬けにしているそうだが。
2人の事は心配だが、今は私とて気を抜くと崩れ落ちそうになってしまう。
先ずは少しずつ……そう自分に言い聞かせて私は自宅へと向かった。
1週間前ぶりに戻った自宅は殆ど変わった様子が無い。
ふとアルドがその角から現れて、笑いながら「夕食は何を食べようか?」なんて声をかけてきそうである。
涙が滲みそうになるのをグッと堪えて、私は自分の頬を大きく叩いて気合を入れた。
「これじゃあアルドに笑われてしまいますね。私の役目はこの家を守る事。それに将来の国のために勉強をする事です……そうですよね? アルド……」
そうして気合を入れて家の中を見て回ってみたのだが、どうやらメイドが掃除をしてくれていたようで、私が直ぐにやるべき事は見当たらない。
やる気が空回りするのを感じ少しだけ笑えてしまった。
「ふふっ、アルドに見られたら笑われてしまいますね」
独り言を言い、リビングでお茶を淹れようとした所で、ふと玄関から何とも言えない気配が感じてしまった。
念のために直ぐに戦闘態勢に入り、お義母様から習っているウィンドバレットを2つ、待機状態にしてゆっくりと玄関へ向かって行く……
気配を殺し玄関を覗くと、黒いモヤのような物が宙に浮いているのが見えた。
マズイ、あれは私でどうにか出来る物では無い。
直感的に逃げようとした所で、私の目の前にアルドの精霊様が現れた。
「……」
精霊様は私を守るかのように私とモヤの間に浮かび、何も言わずにジッと黒いモヤを見つめている。
「精霊様、これは?」
「グリムだよ……新しいグリムだ」
そう言うと黒いモヤが徐々に形を成していき、黒い蝶へと変わって行く。
グリム……アルドを世界の果てへ飛ばした魔族の上位精霊の名だ。一気に怒りが込み上げてくる中、精霊様はゆっくりと口を開いた。
「このグリムは前とは違う存在だよ……もう使徒の番に何かするとは思えないけど、一応逃げる準備はしておいて」
「はい……分かりました」
きっとアシェラやライラなら有無を言わさず攻撃をするのだろうが、悲しい事に私は荒事には慣れていない。
幸か不幸かそのために、辛うじて攻撃をしないだけの理性が働いたのだった。
黒い蝶は完全に姿を現すと、ゆっくりと口を開く。
「先ずは謝りたい。すまなかったな」
「どういうつもりだい? グリム。いきなりこんな所に現れて」
「アオよ、以前の我の所業を謝りに来たのだ。使徒に危害を加えるなど精霊の風上にもおけぬ。本当にすまなかった」
「お前がそれを言うのか!少しでも悪いと思うならアルドを何処に飛ばしたかを教えろ!先ずはそれからだ!」
「すまぬ。以前の我の記憶だが、ここ100年の間がスッポリと無くなっている。恐らくその頃から瘴気に飲まれたのだろう……」
「ふざけるな!じゃあ、何でここに来れた? アルドの腕を斬り落として、世界の何処かへ飛ばしたこの場所に!」
「それは精霊王様の導きだ。新しく生まれてから、この場所で我がどんな罪を犯してしまったのかを教えて頂いたのだ」
「じゃあ……じゃあアルドの居場所は本当に分からないって言うのか……お前は!」
「その通りだ。恐らく新しく生まれる時に、瘴気に飲まれていた部分は記憶もろとも浄化されてしまったのだろう」
「……そんな。それじゃあ、アルドは……」
「アオよ、我に出来る事ならどんな償いでもしよう。言ってくれ」
「1人で地上にも出てこれないお前に、何ができるって言うんだ……」
「そうか……分かった。ではせめて使徒の安全を祈らせてもらう事にしよう。本当にすまなかった」
私は精霊様とグリムの会話を聞いていて思わず口を挟んでしまった。
「待って下さい!」
「何だ?娘。上位精霊同士の会話に割って入るとは、どういうつもりだ?」
「グリム、その娘は使徒の番だ。新しい種族の母になる者の1人だよ。お前が軽んじて良い相手じゃない!」
「番……そうか。娘、お前にも悪い事をした。許せ」
私はグリムのあまりの物言いに、未だに待機状態にあったウィンドバレットを、当たるかどうかスレスレの場所に撃ち込んでやった。
2個のウィンドバレットは壁に当たり大きな音を響かせて、まるで私の怒りを表しているかのようだ。
修理したばかりの壁が、大きく抉れ大穴を晒している。
「む? どういうつもりだ、娘よ。その態度は、我が上位精霊のグリムと知っての事か?」
「アナタが上位精霊で、アルドを世界の果てに飛ばした事も全て知っています。当然のようにアナタが私の敵である事も!」
「娘よ。それは以前の我であって、今は使徒に危害を加えるつもりは無い」
「黙りなさい!アナタはグリムであって、以前の罪に対して何の償いもしていないではないですか!」
「だからそれは以前の我だと言うに……分からぬ娘だ」
「同じ存在でも一度、滅びたから全てを許せというのですか!精霊とは万物を見守る者ではないのですか? 道理が通っていないのはアナタの方です!」
「同じ存在……なるほど。確かに……であればこそ、こうして謝罪にも来ている訳であるか……」
「アナタは一度滅びたと言う事を盾に、全ての責任から逃げようとしている。そんな卑怯な存在なのですか? 精霊と言うのは!」
「娘よ。それぐらいにしておけ。我は精霊王様の分体である。我への暴言は精霊王様への暴言と同義であるぞ」
「グリム、僕もオリビアと同じ意見だよ。僕はお前と同じ精霊王様の分体だ。だからこれは精霊王様とは関係ない。お前の在り方の問題だ」
「む、アオよ。お前はこの娘が正しく我が間違っていると言うのか? この上位精霊の我が」
「ああ、そうだよ。お前は確かに何の償いもしていない」
「償いか……娘よ、では我に何を成せと言うのか?」
「アルドを探して下さい。どこに飛ばしたか分からないと言うのなら、この世界の何処かににいるアルドを探し出して下さい」
「それは不可能だ。上位精霊である我がこの世界に干渉するには条件がある。今もアオの助力によって現出出来ているに過ぎん」
「そうなのですか? 精霊様」
「ああ、これはグリムの言う通りだ。使徒の精霊である僕も今はエルファスの魔力によって地上にいられるんだよ。使徒の精霊でもない上位精霊が、不用意に地上へ出るとマナの流れが狂ってしまうんだ」
「そうなのですか……」
「分かったか娘よ。我は何もしたくない訳では無いのだ。今の状況では出来る事に限りがあるのだ」
「それでも何か出来る事はあるでしょう? 主や迷宮主を倒してアルドの手助けをするとか、闇雲にでもアルドを探すだとか!精霊とはそんなにも無力な存在なのですか?」
「……アオよ。トレース大陸で、尚且つ迷宮であればマナへの干渉は最小限に抑えられるのでは無いか?」
「トレース大陸か……確かに魔物に飲まれてしまったトレース大陸なら、マナの影響も多少は関係が無い。ただしグリム、迷宮は別の空間とは言え、お前の消耗はかなりの物になるはずだよ。最悪は僕達上位精霊でも存在を保てなくなるかもしれない」
「それはお主であればそうかもしれぬな。我はグリム、魔族の上位精霊だ。娘よ、これよりトレース大陸の迷宮を巡り、魔瘴石を集めてくる事で我の償いとしようではないか」
「それは……」
私が言葉を発する前に、グリムは最初からいなかったかの如く、その場で掻き消えるように消えてしまった……
そんな私を少し驚いたように見ながら、精霊様が話しかけてくる。
「しかしオリビア、グリム相手によくあそこまで言えたね。流石はアルドの番の1人だ」
「か、勝手な事を言ってしまって……しかし、これで本当に良かったのでしょうか……」
「使徒のいない上位精霊が地上に干渉するには色々と条件が必要なんだ。魔瘴石を取って来させるなんて言うのは、その中でも破格の譲歩を引き出したと思うよ」
「そうなのですか……」
「ああ、そうさ。じゃあ僕は一度、この事をエルファスに話してくるよ。オリビアはゆっくり休むと良い」
そう言って精霊様は消えてしまい、私だけがこの場に残されてしまった。
でも、壁の大穴……せっかく治したのにどうしましょうか、これ……
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