第189話鮮血さん
189.鮮血さん
周りの音で徐々に覚醒していく。
眠い目を擦りながらも、体を起こすとエル、アシェラが既に起きていた。
母さんは相変わらず涎を垂らして起きる様子は無い。
しかしAランク冒険者だけあって”殺気”には瞬時に反応するのだ。
オレが母さんに”殺気”を向けた瞬間、涎を垂らして眠っていたとは思えない身のこなしで、跳び起きると同時に杖を構えてこちらを睨んでいる。
「おはようございます」
母さんは辺りを見回してから額に青筋を立てて怒り出した。
「アル!殺気で起こすのは止めてって言ってるでしょ!微睡が楽しめなかったじゃない!」
オレは肩を竦めて言い返す。
「起きなかったら殺気を出すって言ったじゃないですか」
「それはアルが言っただけで、私は了承してないわ!」
「だって母様、どれだけ起こしても起きないじゃないですか……」
「それは……ちょーっと寝起きが悪いかもしれないけど……何度か起こしてくれれば起きるわよ」
オレはジト目で母さんを見る。
「な、なによ……」
「分かりました。次からは3回だけ普通に起こします。それでも起きない時は殺気をだしますよ」
「えー、せめて5回にしなさいよ!」
「4回。それ以上はダメです」
「分かったわよ……アルは変な所で固いんだから……」
着替えを終えエルと一緒にテントの外へ出てみたが、マンティスの姿は見えない。
マンティス達が主の呪縛から解放されたのが一昨日の夜だ。今日で1日半が経った事になる。
徐々にマンティスの数も減ってるようだし、どこかのタイミングで攻めに転じて、エルフの郷を開放しなければ。エルフ達をずっとブルーリングに置いておく訳にはいかない。
この場所の魔瘴石も壊していくのか、残すのかも考えないと……
まだまだ山積みの問題に頭を抱えて、そろそろ女性達の着替えが終わったであろうテントの中へと戻っていく。
朝食を摂りながら、これからの事を母さんへと聞いてみる。
「母様、マンティスもだんだんと減っています。どこかのタイミングでエルフの郷を奪還をしないと」
「そうねぇ。恐らく、もう峠は越してるはずよ。サンドラの街は騎士団だけで問題無いと思うわ」
「そうですね。僕達はそろそろ移動ですかね」
「……朝食を食べたら騎士団長に話してみましょう」
「分かりました」
母さんと話していると、先程から外が騒がしい。何か言い争いをしているようだ。
母さん、エル、アシェラ、ライラを見渡し、少しだけ気を張っておく。
懇意にしているとは言え、ここは他領だ。何か問題が起これば、こちらが切り捨てられてもしょうがない。
争いの声はだんだんと近づいてくる。オレ達は本格的に意識を変え、すぐに戦闘になっても大丈夫なように準備をした。
どうやら、全員から僅かながら殺気が出たのだろう。
外の声が静まりかえり、騎士の緊張した声が聞こえてきた。
「お、お騒がせして申し訳ありません……ど、どうしても”王家の影”殿達にお会いしたいとサンドラ夫人が申してまして……お会いして頂くことはできますでしょうか?」
ミリア第1夫人が?こんな強引な事をするほどに、急ぎの案件なのだろうか……
母さんを見ると一度だけ頷いた。母さんもオレと同じように、どんな用件なのか気になるのだろう。
「分かりました……天幕へ入ってください……但し、夫人1人でお願いします……」
「そ、それが、夫人のご子息もご一緒でして……」
オコヤ君まで?本格的に何かあったのかもしれない。
「分かりました。夫人とご子息の2人でお入りください」
「ありがとうございます」
騎士の言葉が終わると、やけに乱暴に天幕の入口が捲られる。
騎士の言う通り夫人と子息の2人が、天幕に入ってきたのだが……
そこにはいたのは、確かにサンドラ夫人ではあるのだが、ミリア第1夫人では無くリーザス第2夫人とルイスが立っていた。
「アンタ等が王家の影かい?」
オレ達はライラ以外全員がどうして良いか分からずに、即座に仮面を着けた顔を背け脂汗を流す……
「……どうした?何故、返事をしない」
リーザスさんは言葉を発しないオレ達を見て、訝しげにしている。
「おい。何故、言葉を発しない。私が魔族だから舐めてるのか?」
リーザスさんは徐々にお怒りモードに変わって行く……
オレがどうしようかと悩んでいると、いきなり声がかかった。
「アルド……お前は何をやっているんだ……」
ルイスである。呆れた口調でいつものように話かけてくる。
その声音はギルドで揉めているオレを、呆れたように声をかけてくる時と全く変わらない。
「だ、誰かと間違えているようだ……わ、私はそんな超絶カッコイイ御仁なんかじゃない……」
「お前なぁ。自分で言うかよ。そもそも、アルドはそんなに大した顔してないだろ」
「お、おま!お前はオレだけじゃねぇ、エルまで敵に回したぞ!」
「エルファスは関係ないだろうが!」
「ばっ!オレとエルは双子なんだぞ。同じ顔に決まってるだろ」
「……そう言われれば……だけど不思議だよな。同じ顔のはずなのにエルファスには知性が感じられる」
「おま、それはちょっと言い過ぎじゃね?」
「ああ、スマン。確かにちょっと言い過ぎた」
やっと落ち着いてルイスと話し出すと、周りは呆れた目でオレ達を見ている。
「あー…この事は何も聞かないでくれると助かります……」
オレはリーザスさんにそれだけ言うのが、精一杯だった。
リーザスさんが微妙な顔をしていると、外から騎士の声が聞こえてくる。
どうやらマンティスの襲撃のようだ。
オレ達”王家の影”を呼ぶ声が聞こえてくる。
オレ達はテントから飛び出して、騎士に指す方を見た。
マンティスはやはり徐々に減っているようで、規模は最初に返り討ちにした群れの半分程度だ。
この程度の群れなら起伏が多いサンドラでも、コンデンスレイ1発で倒せるだろう。
ルイスやリーザスさんにコンデンスレイが見られるが、背に腹はかえられない……
「オレが撃ちます」
オレがそう言うとリーザスさんが怒りと共に話し出す。
「何を言っている!魔法の1発や2発であの数をどうこうできる訳が無いだろう!ドラゴンスレイヤーだからと言って驕りすぎだぞ!」
正直、訥々と説明している時間は無い。
「お願いです。信じて見ていてください……」
申し訳ないが少し殺気を出して、口を封じさせてもらう……ごめんなさい、リーザス師匠。
いつものように右手の人差し指をマンティスの群れに向け、左手で右手を支えた。
凝縮していく光が徐々に大きくなっていくのを、ルイスとリーザスさんは訝し気に見つめている。
30秒ほどの凝縮の後、オレは呟いた。
「撃ちます!」
一筋の光を左から右に振るう……
”炎”
マンティスの群れは燃え上がり、炎に包まれて生き残っている個体は一匹もいないと断言できる。
それほどの”炎”が目の前には顕現していた。
「な、何だ……これは……」
リーザスさんは眼を見開き、絞り出すように呟いている。
ルイスも同じように見開いてはいたが、瞳には理性の光を灯しこの結果を焼き付けているようだ。
熱に浮かされたようにルイスが呟く……
「アルド……この魔法はオレにも撃てるのか?」
「……無理だと思う」
「そうか……」
「……」
ルイスの声音は残念そうだったが、この魔法への興味は尽きないらしく、この極大魔法の熱波をいつまでも見つめていた……
コンデンスレイを撃ってからファギル騎士団長、リーザス第2夫人、ルイスにエルフの郷のマンティス討伐へ向かう事を説明したのだが……
予想通りと言うかリーザスさんとルイスが、同行を希望してきた。
「私も一緒に行く」
「勿論、オレも連れてってくれ」
リーザスさんとルイスが、あまりにも気安くオレ達に話しかけるのを、ファギル団長が訝しく見てくる。
「あー。我々”王家の影”としては同行は必要ありません。エルフの救援は”王家の影”である我々に任せて、皆さんはサンドラの守護をお願いします」
”王家の影”を殊更に強調して話させてもらう。
「それに我々は全員が、空を駆けて移動するつもりです」
オレの言葉にルイスが驚いた顔で聞き返してくる。
「全員が空を駆けるのか?」
「ああ、全員だ……です。ここにいる5人、全員が空を駆け……ます」
「完成したのか……」
ルイスが小さく呟くのを聞き逃さなかった。
以前に貸した空間蹴りの魔道具の完成を、ルイスはこの瞬間に知った事になる。
ファギル団長の訝し気な視線が鬱陶しい……
オレはルイスにファギル団長を”何とかしてくれ”と、アイコンタクトを送ってみる。
ルイスは難しい顔をしながらも小さく頷いて、ファギル団長へと向き直った。
「ファギル騎士団長。王家の影殿との話はオレと母さんだけで大丈夫だ。それより直ぐにも王家の影殿達がいなくなる。至急、騎士団と魔法師団の編成を」
ファギル団長はハッとした顔をしてオレ達の方へ向き直る。
「王家の影殿の助力、本当にありがとうございました。アナタ達はサンドラの救世主です」
それだけ言うとファギル団長はテントを出て行く。
テントの外では直ぐにファギル団長の怒号が聞こえてきた。今はルイスが言ったように編成を急いでいるのだろう。
「……さて、これで話が出来るよな?アルド」
「そうだな……」
「お前達の事は”王家の影”って名前から何となく想像がつく。そこは聞かない。それ以外……さっきの魔法、そこに浮いてる青い石、サンドラ領に何が起こったのか、エルフの郷はどうなったのか、これからどうするつもりなのか、話せる範囲で良い。教えてくれないか?」
「オレ達が話せる事はサンドラ領に何が起こったのか、これからどうするのか、この2つだけだ。それも全ては話せない。それでも良いか?」
「ああ、頼む」
オレは大蛇の森でマンティスが大発生し、現在の状況になっている事を伝えた。
勿論、使徒や主、マナスポットの事は伏せてある。当然ながらエルフがブルーリングに避難している事も秘密だ。
ルイスもリーザスさんも隠している事を、探るような真似はしないでくれた。
”これからの話”ではマンティスをできるだけ殲滅する事、サンドラ領を壊すつもりは無いのでコンデンスレイは使わない事、休憩は木の上で取るつもりなので空間蹴りが使えないと同行は難しい事を分かり易く隠さずに話していく。
「……って事だ。空間蹴りが使えないと休息も取れないし、一時退避もできない」
「そうか……」
ルイスは氷結さんの足元を見つめ、どんな魔道具を使ってるかを、興味深そうに見ている。
「……ルイス、今度な」
オレの言葉にルイスは満面の笑顔を浮かべながら頷いた。
「分かった。今度な!」
これでエルフの郷へ向かえると思ったのだが、面倒くさい人がいるのを忘れていた。
「ちょっと待った!」
リーザスさんだ……
「アルド君、ラフィーナ、まさか私を置いていくなんて言わないよな?」
実は1年前から母さんとリーザスさんとナーガさんはしょっちゅう行動を共にしていた。
時には一緒に冒険へ、時には優雅にお茶会を、時にはブルーリング邸のリビングでダラタラと……
その姿は仲の良い悪友と言うのが、ピッタリであった。
そのリーザスさんからの言葉である。流石の氷結さんでも軽くあしらう事は出来なかったようだ。
「アルが良いって言ったらね」
おいいぃぃぃぃ!こいつオレに丸投げかよ!!
リーザスさんがオレをジッと見つめてくる。
この1年、リーザスさんはオレの大剣の師匠だったのだ。非常に断り難い。
「ルイスにも言ったのですが、空間蹴りが使えないと……ちょっと……」
「どうせ殲滅していくんだろ?それなら休憩の時だけ、ちょっと運んでくれれば良い」
むむむ……年の功か、ルイスのように簡単に丸め込まれてくれない。
母さんを見ると肩を竦めている。
えーー、どうするの、これ……
オレが本当に困っているとルイスが助け船を出してくれた。
「母さん、オレ達じゃあ足手纏いなんだよ」
リーザスさんがルイスに向き直って殺気を漲らせながら言葉を吐き出している。
「ルイスベル……”鮮血”と言われた、この私が足手纏いだって言うのかい?」
「ああ、そうだ。ここにいる誰より母さんは弱い。勿論、オレよりもな……」
リーザスさんの毛が逆立ったかのように見えた。
「ルイスベル!吐いた言葉は飲み込めないって事を教えてやるよ!表に出な!」
ルイスは肩を竦めてリーザスさんに付いていく。テントから出る時に「今の内に行け」と小声で話して軽く笑っていた。
ルイスの言葉を聞き、お互いの顔を見ると全員が準備完了のようだ。
「じゃあ、このまま行きましょうか。念の為、付いてこられないように空間蹴りで馬が使えない場所を通りましょう。付いて来てください」
全員が苦笑いを浮かべ頷いている。
”鮮血さん”はルイスに任せてオレ達はエルフの郷に向かわせてもらおう。
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