第162話醤
162.醤
学園の新学年が始まる前日。
服屋でオリビアと会って王都を散策した日から、殆ど毎日のようにオリビアはブル-リング邸へ遊びにきている。
その姿は夏休みに毎日、お茶会と母さんの修行を受けていた日々とダブって見えた。
その証拠に今日は客間で母さん、アシェラ、マール、オリビア、ファリステア、アンナ先生、ユーリ、の7人で魔法を習ったりお茶をしたりと思い思いに過ごしている。
最近のもっぱらの話題はマールの婚約と商業科への編入、アシェラとオレが一度、婚約破棄をした件の3つ。
マールの順風満帆な恋愛話も良いが、婚約破棄のような悲恋も良いらしくキャッキャッと言いながら話をしている姿は、正に乙女のそれだ。
オレとエル、ルイスは巻き込まれない様に気配を消して屋敷を抜け出した。
「アルド、エルファス、久しぶりだな」
「おう、元気にしてたか?」
「ルイス、久しぶりです」
「エルファス、婚約したってな。おめでとう」
「ありがとう」
実は今日はオリビアに付いて、ルイスもブルーリング邸にやって来ていた。
ルイスは冬休みの間ずっと母親に絞られていたらしく、筋肉が付いて顔つきまで精悍になったように見える。
「休み中にだいぶ修行したみたいだな」
「ドラゴンスレイヤーに比べたら何もしてないのと一緒だよ」
「死にかけたけどな……」
「地竜……やっぱり強かったか?」
「そりゃ、なぁ………」
オレ達はルイスが聞きたがる地竜との戦闘を”使徒”の件だけは隠し、面白おかしく説明してやった。
「そうかぁ。オレもいつか竜種を倒してドラゴンスレイヤーになりたい」
「ルイスなら成れるだろ」
ルイスがいきなり真剣な顔でオレを見て来る。
「本当に成れると思うか?オレがドラゴンスレイヤーに」
「修行し続ければ成れる…………と思うぞ」
「何だよ、それは!」
「ハハハ、ルイスはオレ達より基本の性能は高いんだ。成れるよ。きっと」
「そうか……アルドに言われるなら成れる気がしてきた」
「その気持ち分かります。兄さまに言われると、そんな気になってくるんですよね」
「そうなんだよ。分かってくれるか、エルファス」
エルまで一緒になって……オレのどこにそんな先見の明があるのかと。
因みに今日はルイスの修行の成果を確かめるべく、ギルドの練習場で模擬戦をしにきた。オレも気を引き締めねば!
実はオレとエルは地竜討伐によりEランクに上がっている。
地竜を討伐して、たったEランク?と思うかもしれないが、爺さん、母さん、ナーガさんで相談した結果、地竜は”氷結の魔女”と”深緑の癒し手”がメインで討伐したとギルドに報告する事になった。
市井ではオレ達に注目が集まらないようにしつつ、王様への報告は爺さんが別に行ったらしい。その報告ではオレ達の働きは”ゴブリン軍撃破”と”地竜討伐”の2つ。王様には包み隠さず報告したと言う事だ。
爺さんの話によるとオレ達の”武”はフォスターク王国内でも抜きんでており、他領で対処不可能な魔物被害が発生した場合、駆り出される可能性があるらしい。
王家とは言えオレ達は貴族家の嫡男なわけで、本当に派遣される場合には要請と言う形になるはずだ。
しかも万が一派遣される場合でも、その時には名を伏せ、顔を隠し、”王家の影”として派遣して貰えるように、爺さんが交渉してくれた。
将来的にはどこかのタイミングでは名と顔を公表し、ブルーリングが独立する際の抑止力としなければならないのだが、今はこの配慮がありがたい。
これは爺さんなりのやさしさなのだろう。もう少しの間だけ甘えさせて貰うつもりだ。
今はまだ、ただのEランク冒険者だ。エル、ルイスと一緒にギルドの扉を開けて中へと入った。
オレ達の顔を見て一瞬静まり返るが、すぐに喧騒が戻っていく。
「おい。お前等、何かしたのか?」
いつものように静まり返らないギルドの様子を見てルイスが驚いている。
「ジョーがちょっとな」
オレの返事にピンときたのか、何か納得したような顔で頷き出した。
その姿に肩を竦め練習場へと足を運んでいく。
まだ朝早くと言う事で練習場には人がまばらにしかいない。依頼を受ける者は早朝からギルドに来るが、練習場で修行をする者はもう少し遅く来るのだろう。
「せ、先日はありがとうございました……」
振り向くと20歳ぐらいの素朴な感じの女性が、オレに恐る恐る声をかけてきた。
「オレ?」
自分を指差し聞いてみると女性は首を何度も上下に振り、肯定している。
何かお礼を言われるような事をしただろうか……ここ数日の行動を思い返してもそんな記憶はない。
「人違いじゃ無いですか?」
再度、聞くと女性が今度は首を左右にふっている。
「せ、先日、盗賊に襲われそうになった所を助けて頂きました」
言われてみれば爪牙の迷宮からの帰りに盗賊を退治した。その時に冒険者が2人いたはずだ。
「あー、あの時の……」
「はい。あのままでは盗賊の慰み者になるか、その場で殺されるかのどちらかでした」
「慰み者とか……」
「父も助けて頂いて本当に感謝しています」
「いや、そんな大した事は……」
そう言ってオレは、この娘の父親もここにいるのかと周りを見渡した。
「あ、父はあれ以来、冒険者は引退するって言ってまして……」
「そうなんですか」
「はい。元々、母と一緒に父の故郷の料理を出す酒場と兼業だったんです。今はそっち一本です」
「なるほど」
「宜しければお礼に昼食でもいかがですか?父もお礼をしたいと言ってました」
「いや、そんな……」
オレがどうやって断ろうか考えているとルイスが口を挟んで来た。
「良いじゃねぇか。命の恩人なんだろ?金をたかろうってんじゃ無いんだ。昼食ぐらいご馳走にならなきゃ逆に申し訳無いぜ」
エルまで一緒になって頷いている。
「分かりました……では昼食だけご馳走になります」
「そうですか!すぐに父に話してきます。昼食の前には呼びにきますので待っててください」
「はい」
「ちょっと癖があるかもしれませんが父の故郷の料理はおいしいんですよー。特に魚料理が絶品です」
魚料理……元、日本人に魚料理だと!とっても大好きです!
「昼食を楽しみにしてますね」
女性は一度だけ頷いてから急いで出て行った。
そこからルイスと模擬戦をしたり魔力操作の練度を見せあったりしている内に時刻はもうすぐ昼食と言う時間になっていた。
「お待たせしました」
朝の女性が声をかけてくる。
「いえ。今、終わった所なので」
「丁度よかったです。差し支え無けれ向かっても良いですか?」
「はい。大丈夫です」
オレ達は女性に付いて歩いて行く。
名前ぐらい聞いた方が良いのだろうか?
それとも女性に気安く聞かない方が良いのだろうか……悩む。
そんな事を考えていると目的地に着いたようで女性がこちらを向いて話し出した。
「着きました。どうぞ入って下さい」
オレ達3人は促されるまま店の中へと入っていく。
店は普通の酒場に見える……しかしオレは違和感を感じていた。
店内の内装は普通の酒場だ……客もおかしな所は無い……
「この席へどうぞ」
エルとルイスは普通に案内された席へと座っていく。
オレだけがキョロキョロと周りを眺め挙動不審だ。
流石にオレも席に着くとエルが話しかけてきた。
「兄さま、どうかしたんですか?」
「え、いや、何か違和感が……」
「違和感?危険な事ですか?」
エルと話しを聞いていたルイスが瞬時に戦闘態勢をとった。
「い、いや。そんなんじゃ無くて何か懐かしいと言うか、ここにあるのはオカシイと言うか……」
エルもルイスもオレの様子に困惑している。言っているオレが分からないのだ当然だろう。
オレが困惑していると女性が魚の切り身を人数分持ってやってきた。
「どうぞ。ウチに看板メニューでブーリの照り焼きです。この時期限定なんですよ」
オレは久しぶりのブリの照り焼きを見て、違和感など吹っ飛んだ。
だって照り焼きだぞ。最後に食べたのは後輩の中西を連れて馴染みの居酒屋で食べたきりのはずだ。
「おお。美味そうだ。頂きます」
ナイフとフォークだが、久しぶりの照り焼きは涙が出そうな程に美味かった。
出来れば箸でつついて日本酒を飲みたい所だ。
エルやルイスもブリの照り焼きが気に入ったようで笑顔で食べている。
「やっぱりブリは照り焼きだな。冬ってことは寒ブリか。脂がのってるなぁ。あ、そもそも冬じゃないと痛んで運べないのか……冷蔵車とか無いもんなぁ」
オレがブツブツと独り言を言うのをエル、ルイス、女性がポカーンと見ていた。
「に、兄さま。この料理を食べた事があるのですか?」
エルがおかしな事を聞いてくる。そりゃ日本人ならブリの照り焼きぐらい食べた事あr…………
……あれ?
何でここにブリの照り焼きがあるの?
え?
照り焼きって事は醤油とミリン?
え?マジで?醤油あるの??
オレは自分でも訳が分からないぐらい興奮している……大きく深呼吸をしてから女性へ話かけた。
「この魚に使った調味料を見せて貰えませんか?」
「……ちょ、調味料ですか?」
「はい」
「……ち、父の故郷の物で父の自作なんです」
「売ってください!」
「え?」
「銀貨……いや、金貨か……むむむ、白金貨までなら……」
「ちょ、ちょっと待って……」
「分かった!神銀貨を出そう!」
「この人怖い!アナタ達、知り合いでしょ!見てないで助けて下さい!!」
エルとルイスに宥められオレは冷静さを取り戻した。
「すみませんでした。少し興奮してしまいました……」
「い、いえ……」
「よろしければ調味料を売って頂けませんか?」
「……父に聞いてきますので少しお待ちください」
女性が逃げるように奥へと引っ込んでいく。
それと入れ替わるように壮年の男性が厨房から出て来た。
「先日は盗賊から助けて頂いてありがとうございました」
「いえ。オレはアナタが生きていてくれた事が本当に嬉しい!」
「そ、そうですか……あ、ありがとうございます」
男は何故か2歩ほど後ずさりしている。
「な、何でも”醬”が欲しいとか……」
「”醤”と言うんですか。是非、売って頂きたい!」
「え、ええ。命の恩人にその程度の事は勿論させて頂きますが……”醬”をご存じなんですか?」
オレはここに来てやっと自分の行動がおかしい事に考えが及んだ。
エルとルイスは大口を開けてオレの行動に驚いており、店主は困った顔で固まっている。
極めつけは、ここまで連れて来てくれた娘さんだ。柱の影からこちらを覗きながら眼には警戒の色が出まくっている。
「し、失礼しました。この魚料理があまりにも美味しくて、つい我を忘れてしまいました」
オレが冷静さを取り戻したのが分かったのだろう。皆の顔にやっと安堵の色が浮かぶ。
「あ、アルド=フォン=ブルーリングと申します……後日、家の者を寄越しますので”醬”を分けて頂ければ助かります」
「き、貴族様でしたか……失礼を申し訳ありません……」
「いえ。アナタの料理に惚れました。今日はこれで失礼しますが是非、”醬”を!!」
「は、はぁ……」
オレは周りの目があるのでこれでお暇しようとしたらエルとルイスも付いてきた。
「2人はゆっくりして来れば良かったのに……」
「お前への礼だろ……お前がいないのにオレ達だけご馳走になるとか、おかしいだろ」
「そうか。スマンかった」
「良いよ。それよりオレにも食わせろよ……」
「?」
「さっきの調味料で何か作るんだろ?最初とは言わないから、オレにも食わせろよ」
ルイスも醤油が気に入ったようだ。
「ああ。完成したらご馳走するよ」
「ぼ、僕も食べたいです!」
エルまでもが入ってくる。
「ああ。ここにいないネロやファリステア、アンナ先生にもご馳走するよ」
「オリビアもな」
「マールもお願いします」
オレは肩を竦めて返事を返した。
この世界に来て、もうすぐ14年。醤油を見つけた。後は米があれば……小麦があるんだ。
米もきっとある!知らないけど、きっとある!
まずは醤油でいろいろ作ろう。夢がひろがリング!
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