第35話遠征 part5
35.遠征 part5
森から血濡れのライラ隊長が飛び出してきた。
「ライラ隊長!」
母さんは叫び、近づこうとする。
「逃げて!」
近づこうとする母さんを、ライラ隊長は叱咤し遠ざけようとした。
その瞬間、黒い塊が草むらから飛び出してくる。
黒い塊は1度だけ辺りを見回すと、大きく息を吸い……
咆哮!!!!!!
音圧だけでも意識が飛びそうな中に威圧が加わり、人の本質的な恐怖を呼び起こす。
事実、意識を失う騎士や魔法使いが、少数だが存在した。
無事な騎士や魔法使い、ライラ隊長も恐慌状態になって震えて動く事ができない。
(これが恐慌の状態異常か……)
オレは即座に逃げ出したかった。
しかし黒い塊の前にはライラ隊長と、隊長に近づこうとした母さんがいる。
オレは何を犠牲にしても……ここにいる全員を差し出したとしても……母さん、エル、アシェラだけは絶対に守る……
泣き出しそうな心を殴りつけて、オレは……黒い塊に向かって走り出した。
勝算なんて無い、作戦も無い、生き残るイメージすらも無い……
思いの丈を込めて、ただ一言だけ叫んだ。
「エル!母さんとアシェラを逃がせ!」
後はエルに任せておけば何とかしてくれる、そう信じた。
そこからは黒い塊だけに集中する。
オレは短剣二刀を構え黒い塊に対峙した。
先手必勝とばかりに体を低くし、地面スレスレを走り抜ける。
黒い塊は4m程の大きさだ。地面に近い位置を走るオレに咄嗟の対応はできなかった。
すれ違い様に短剣で足を薙ぐ!
バットでタイヤを殴ったような感覚に驚いたが、何とか一筋の傷を付ける事ができた。
黒い塊は自分が傷つけられた事に驚いたのか、ジッと傷を見つめている。
暫くそうしていたが、不意に顔を上げてこちらを見つめてきた。
その眼には先程までの嘲りの感情は見られない。どうやら敵と見なされたようだ。
敵に認定された事が良いのか悪いのか分からないが、エル達が逃げる時間は稼げるだろう。
「さて……オレとなるべく長く遊んでくれよ……」
軽口を言わなければ、足が震えて立っていられなかった。
黒い塊が大剣を振り上げオレを狙う。咄嗟に後ろに下がり躱そうとするが、黒い塊の動きが速すぎる。
下がっている途中に空間蹴りを使い、ほぼ直角で移動した。
一瞬前までオレがいた場所を大剣が通り過ぎる。
オレの体なんて掠っただけでバラバラになるだろう。
後手に回れば直ぐに食われる。オレは確信に似た何かを感じた。
いつもより多く、限界まで身体強化に魔力を籠める。
短剣にも魔力の刃を纏わせながら、黒い塊に向かって走り出す!
魔力で刀身を伸ばし、大剣の間合い。魔力武器(大剣)を渾身のチカラで振るう。
逆袈裟切りが黒い塊を切裂いた……
黒い塊の右脇腹から左肩まで1筋の傷ができ、赤い血が僅かに垂れてくる。
浅い……
ヤツは咄嗟に後ろに跳んでオレの一撃を躱していたのだ。
中途半端な攻撃を受け、黒い塊は怒りを露わにして襲い掛かってくる。
大剣を振るう。振るう。剣術などおこがましい。刃を立てることすらしない。酷い時には剣の腹を向け振り回してくる。
振りかぶって真っ直ぐに振りぬいたと思えば、横に一文字斬り。
斬撃の途中で掴み掛かってきたり、噛みつこうとすらしてくる。
オレは全ての攻撃を紙一重で躱してみせた。空間蹴りで躱し、短剣で受け流し、体術で捌いていく。
その姿は強大な敵に立ち向かう勇者の様にさえ見えただろうか……
しかし、その実オレは怖かっただけ……戦えている様に見えてはいるが、恐怖から逃がれるために我武者羅に攻撃しているだけだったのだ。
「もう良いだろ……母様達は逃げたはずだ……オレも逃げさせてくれ……」
何度目かの斬撃を必死に躱した所で、黒い塊の後ろに“それ”は見えた。
エルもアシェラも、もちろん母さんも逃げてなどおらず、戦う準備をしていたのだ。
少しだけエルと何かを言い合っているが、逃げる様子など微塵も無い。
(ああ、そうか……オレがいるから逃げられないのか……)
自分を置いて逃げない家族に対し、嬉しさと、憤りと、喜びと、怒りと、、、、
様々な感情が混じり合い冷静に判断ができない……しかし……ただ1つだけ分かった事がある……
こいつを殺さないと、オレの家族が死ぬ……死んでしまう……
そんな簡単な事に今更ながら気が付いた。
オレは覚悟を決めた……こいつを…殺す…たとえ刺し違えたとしても……絶対にこいつを殺す!!
そこからは殺す事だけを考える。
既に、恐怖は無い……恐怖すら無駄と切り捨て、黒い塊に改めて対峙する。
(まずは情報だ。恐怖で冷静な判断が出来てなかった……黒い塊なんかじゃない。ただの黒いゴブリン……黒ゴブだ!)
最初の攻撃の様に、地面スレスレで黒ゴブに走り寄っていく。
黒ゴブはオレを踏み潰そうと足をあげるが、踏まれる瞬間に体を捻り、足に右手を当てる。ソナーだ。
1回では分からない。
そのまま空間蹴りで黒ゴブの頭上に出た。頭に左手を当てる。ソナー。
黒ゴブは右手で振り払おうとしてきたが、背中に回り右足で蹴りつけながら、ソナー。
ソナー3回で分かった事が1つあった。
こいつは見た目より、ずっと消耗している。
魔力の量が普段のオレと変わらない程度しか残ってないのだ。
これなら魔力を纏った防御にも限界があるはずだ。
きっと、第3部隊の隊員が死と引き換えに黒ゴブの魔力を削ったのだろう。
(おれのとっておき……コンデンスレイの魔法を撃てば倒せるはずだ)
しかし、同時に気が付く……自分の魔力が残り少ない事に……
焦りを感じながらオレは周りを見渡した。
エルと目が合う……
オレは今から無茶を言う……最低の兄貴だ……それでも、オレは叫んだ。
「エル、魔力をくれ!それと3分で良い。誰か時間を稼いでくれ!頼む!」
叫んだ後も黒ゴブに意識を集中し、一挙手一投足に神経を削る。
すると、アシェラと母さん、治療が終わった第3部隊の騎士と魔法使いがオレの前に出た。
騎士を前衛に配置し、魔法使いが黒ゴブに魔法で足場を崩したりと牽制をする。
倒すためでは無い。明らかな時間稼ぎだった。
言っては見たものの本当に救援が来るとは思わず、オレは戦いを呆然と見ていると、背中に誰かの手が触れる。
見なくても分かる、エルだ。自分の魔力をオレに送ってくれている。
10秒……20秒……魔力が満タンになる……それと同時にエルは意識を失っってしまう……魔力枯渇だ。
倒れるエルを抱き留め、そっと寝かすと、全ての準備が完了していた。
オレは黒ゴブを改めて睨みつける。
右手を前に突き出し人差し指を黒ゴブに向ける。左手で右の手首を持ち手のブレを抑えた。
右手の指先に……オレの魔力を注ぐ……注ぐ……注ぐ。直ぐに極小の光が指先に現れる。
魔力を注ぐ……凝縮する……注ぐ……凝縮……どれぐらい繰り返しただろう。
極小の光が臨界を告げるかのように、一際輝きを増した……オレは叫ぶ。
「どいて下さい!」
オレの声に“待ってました”とばかりに騎士達は黒ゴブから距離を取る。
黒ゴブはオレを見て、始めて自分の状況を理解したのだろう。
顔に明らかな恐怖を張り付けてオレを見た!
「遅い!」
オレは臨界に達していた光を開放した。
極細の光の線が真っ直ぐに伸びる……
死に物狂いだったのだろう。なんと黒ゴブはコンデンスレイの光を躱してみせた。
コンデンスレイはオレのオリジナル魔法で光を凝縮して放つ魔法だ。
凝縮して放つことで温度は4000℃にも達する。
4000℃と言うと殆どの物質が気化する温度。命中すれば耐えられる生物も物質もいない……はずだ。
更に、この魔法の本当に恐ろしい所は、照射時間が約2秒ある事だった。
2秒……
たった2秒……
しかし、2秒あれば照射している指を動かして、光の線を光の剣として使えるのだ。
オレは必死に光の線を躱した黒ゴブの首を、光の剣で焼き切った。
驚きで眼を見開き、オレを見つめながらヤツの首が宙を舞う。次の瞬間には照射部から黒ゴブは気化して行き、周りの木々を燃やし尽くしていく燃料となった。
その光景を見ながらオレはエルと同じ魔力枯渇で意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます