第2話 美津子 バスクチーズケーキ

 その日は、仕事帰りにはあの不思議だぞう屋に寄ると決めていた。

 あがりの時間10分前にはもう、机周りを整頓し始めている私に

「美津子さん、今日はデートでしょ?」と同僚からからかわれる始末。


 せっかく見つけた隠れ家のようなお店だから、友達にもまだ話したくない。

 あの不思議なマスターに色々聞いてみたいこともある。


時間きっかりに退社すると、店に向かった。

駅までのいつもの帰り道から、あの日のように一本中に入る。すると急に街の騒音や車の音が遠くなり、空気が変わる。そして、目の前にはあの大きな楠。

思わず木に向かって

「こんにちは。また来ちゃった。」と挨拶する。大楠の葉がさやさや鳴って木漏れ日が柔らかく降ってくる。

 昔から大きな木が好きだった。大地からどーんと圧倒される力強さで天に向かって伸びる太い幹。触れずにはいられない。手を当てると、ほんのり湿った樹皮がほのかに温かさを伝えてくる。耳を当てると ざあっざあっ と水が吸い上げられる音も聞こえる。こうしていると、木に包みこまれたような気がしてくる。いつまでもこうしていたいような。

「ありがと」

ポンポンと軽く幹を叩いて体を離す。


 道を渡ってそら色のドアに向かうと


 ん?

 なんだかこの間と違う。

 チャシャネコの尻尾の電気はついているし。。。


 あっ openの木札がない!

 しまった!

 今日はお休みだったんだ。

 膨らんでいた風船が

 ひゅーーっと音を立てて萎んでゆく。

 がっかりして、立ち去ろうとしたその時、

「あ、すみません!今開けまーす。」

 公園の脇からあのマスターが足速にやって来るところだった。

「はあ、良かった!お休みかとガッカリしてたところなんです」

「すみませんねえ。ちょっと所要で出てて。」


「はいどうぞ!」


 チリリン


ああ、この雰囲気。やっぱり好きだなあ。

今日は、奥から二番目の席に座ってみる。


「本日のケーキはなんですか?」

「今日はバスクチーズケーキです」

「では、ケーキセットで。今日はグアテマラにしようかな」

「はい。ちょっとお待ち下さい」


 先日まきちゃんが買っていたオルゴナイトが気になっていた。

どっしりとした棚付きのマホガニーのアンティークなバーカウンター(アルバートバーと言うらしい)の上に綺麗に並んでいるペンダント、ブローチ、キーホルダー。

どれも、澄んだ深いブルーやグリーンのレジンの中に天然石や時計の歯車、星やラメが散りばめられている。銅線のコイルも見える。キラキラ光っていて、覗き込むと思いがけない奥行きがあってまるで宇宙のようだ。見ていると吸い込まれそうな気がする。

 調べたら、これは運気を上げてくれたり、電磁波や邪気から守ってくれたりするらしい。


 青みがかったグリーンのキーホルダーと海のような淡い青から濃い青へのグラデーションのキーホルダーとどちらにしようかなと手に取った。

「オルゴナイトですか?」

「ええ、これ、お守りになるんですよね。」

「そうみたいですね。家内が好きで作ってます。家内の作ったオルゴナイトは結構パワーがあって喜ばれてますよ。」

「これがいいかなって。こちらのと迷ってるんですけど」

 マスターは例の首を振る動作をした後、最初に手に取った青みがかったグリーンの方を指して

「こっちのほうがあなたには合ってるね。何か入れる?」

「はい!仕事運を。あ、金運も入ります?」

 言ってしまってから欲張りだったかなとちょっと恥ずかしくなった。

「両方入るよ。あと、健康運も入るみたい」

「じゃ、それもお願いします」もう欲張りついでだ。

 躍るような祈るような手の動きの後、何かがオルゴナイトに流し入れられたように見えた。

「はいっ。これでOK」

にっこりして、渡された。

「包みますか?」

「いえ、すぐに使いたいのでこのままください」

 見れば見るほど美しい。早速家の鍵を付ける。

 こんな美しい物を作り、美味しいケーキを焼く奥さんってどんな人なんだろう。


 今日のバスクチーズケーキは、濃厚なのに後味がさっぱりしていてどんどん食べてしまう。「このゲランドの粒塩をちょっとつけて食べてみて」

ケーキに塩?と驚いたが、ゲランドの塩辛いだけではない微かな旨みや甘味を感じる粒塩を少しつけて食べると、これがぐっとチーズケーキの味を深くしてくれる。一口ごとに至福の味わいだ。


 チリリン


「いらっしゃいませ」


 二人のマダム風の女性が入口近くに座る。

「わたし、ブレンド」

「わたしはカフェ オレ」

 注文の後は、二人で韓流ドラマの話で盛り上がっている。


「マスター、ちょっと聞いていいですか?」

 グラスを磨いていたマスターがにっこりしてこちらの席にやってくる。

「先日メニュー見たんですけど、この、オーラ鑑定ってどんなことをするんですか?」

「はいはい。えーと、何さんだったっけ?」

「美津子です」

「美津子さん。オーラはわかる?」

「テレビでやってたオーラの泉のオーラ、ですよね? 人によって色が違うって。そのくらいしかわからないです」

「そう、色でおおよそ、その人の持って生まれた性格や性質がわかる。まずは、それを見て、体や心のどこかに不調があったりすると、オーラが暗くなったりいびつな形になったりしてるからそこを整えて均等なオーラになるようにする。だいたい1時間ほどかかるかな。基本的には店の休みの日に受けてるので、都合を合わせてやりますよ。」

「私、今の仕事が天職だと思ってやってきたんです。でももっと何かやりたいことがあるような、でも何をしたいのかまだわからなくて。そんなことも見てもらえますか?」

「ふむ、分かった。聞きたいことがあったら、その時また聞いてくれたらいいから」


 シフトのない来週の水曜日に予約をとった。

オーラ鑑定。どんなだろう。


道を渡って、大楠に

「また来週来るわね!」と手を振った。

さあっと風が吹き抜けていった。

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