第30話:ダニエルはため息をついた。

「いらっしゃいませ~!」


 今日も店番のオディルが客に愛想を振り撒いている。

 ダニエルは明るすぎるオディルの声に店の入り口を見やった。案の定、自分の知らない客だった。

 髪色と眼の色を変えた理由は、数少ない常連に教えただけで、他の客に聞かれたときはオディルが適当な理由を量産して説明しているため、「魔女が薬屋を隠れ蓑にして集めた子どもを食べている」という噂が出回り、薬屋店長のクレールの好物が子どもの肉入りシチューになっていた。

 当の本人は気にせず薬の調合、菜園の世話、それからダニエルをしごき、と忙しくしている。むしろ噂を楽しんでいるフシさえあった。

 ダニエルは調合の師匠でもあるクレールに出された今日の課題──初級ポーションの調合を完了させるべく机に向き直る。

 初級ポーションの作り方はそれほど難しくない。教えられた薬草を決められた順番で規定量を混ぜるだけだ。

 薬作りに使う薬草はオディルが採集していたが、調合を習うようになってからはクレールに言われて薬草の生えている場所をオディルに教わり、ダニエルも採集に参加している。

『森の魔女』は自分の庭である森のどこにどんな素材があるのか把握しておかなくては『森の魔女』を名乗れないらしい。

 その割に『森の魔女』であるクレールが薬草を採りに森へ入るところなど見たことがない。それを指摘すれば「お師匠様の遺言で『絶対一人で森に入るな』って言われたから……」と眼を逸らすクレールに弁明された。おそらく森まで行くのが面倒でオディルに任せているのだろう。

 いったい何歳になるのか知らないが、冬が来るたび「寄る年波には勝てない」だの、「寒さで節々が痛む」だのうるさいので、森に行くのも大変なのだ、きっと。

 あんまりにもうるさいので、なんとかしてやれ、とダニエルがオディルをつついたところ、冬の暖房機として『コタツ』なるものを作ってクレールにプレゼントしていた。以来、冬の間中クレールはコタツから出なくなったのでオディルがコタツムリ呼ばわりするのが冬の風物詩になっている。その影響で住居部分は土足厳禁になり、床に直に座るようになった。たしかにコタツは暖かくていい。一度入ると出るのが困難になるのは玉に瑕だった。

 バジルがコタツにいたく感動し、どこかへ売り込みにいってそれなりに儲かったようだった「コタツがあるなら鍋も欲しいよね、カセットコンロ……」と謎の詠唱をしたオディルにバジルが泣いて喜んでいた。

 無事に初級ポーションを一本作り終え、完成品置き場に置く、

 今日の初級ポーションのノルマは五十本。朝食後からせっせと作って残りは半分だ。魔力をそれほど使わずに済むのがありがたかった。

 初級ポーションは店のカウンター内でもできる簡単な調合だが、もちろん住居内の地下室にある調合室でなければできないものもある。薬効の高い薬のほとんどが該当する。

 素材によっては魔力のほとんどを使い切る危険なものもあるため、完璧に調合できるようになっても決して一人では調合しないよう言い含められた薬すらあったほどだ。


「ダニエルを弟子に取ったからようやく作れたよ」


 と、その危険な薬の調合を終え、汗を拭いながら言ったクレールに、なんでもないような顔をして、実は感動に打ち震えていた、などと言う気はない。必要とされて嬉しい、だなんて口が裂けても言えっこなかった。

 ダニエルは物心ついたころには孤児で、人買いのところにいた。もちろん親の顔は覚えていない。

 ダニエルの一番古い記憶にいるのはジャンだ。

 管理し易いからと子どもを番号で呼んでいた人買いのところにいたが、売り物にならないと蹴飛ばされた先で介抱してくれたのがジャンだった。

 ジャンは自身を買うために貯めていた金を全て使ってダニエルを買ったうえに、人買いに借金までして治療のための薬や食事を与えてくれた。親にも、親に売られた先でも、自分ですらいらなかったダニエルを一番大事にしてくれたのがジャンだったのだ。

 ジャンはダニエルに読み書きを教えてくれ、魔術を教えてくれた。

 いつか二人で自由になったら、とよく話し合うようになって、なんでもいいから仕事をして、金を稼いで、ずっと一緒にいようと約束をした。

 人買いに利子がつきまくった借金をようやく返し終えて、自分達の自由を買うための金を貯め始めたころ、王都に着いた。

 王都なら割りの良い日雇いの仕事があるかもしれない、ジャンに隠れてでも盗みをすれば金なんかすぐに貯まると思っていた。

 けれど、ジャンは貴族に飼われて行ってしまった。ダニエルの命を守るためだ。

 ジャンを買おうとした貴族にいつものように「ダニエルと一緒じゃなければ行かない」と言ったジャンの眼の前で、ダニエルの首元に刃物を突きつけた貴族は「このドブネズミが死ぬ前に私に買われるか、それとも死んでから買われるか、どちらだ」と言い捨てて、ジャンだけを見ていた。ダニエルなど見向きもしなかった。

 ジャンは大人しく貴族についていった。ダニエルの命を守るために、ダニエルとの約束を破った。

 おれのせいだ、おれのせいで、おれが約束を破らせた。

 ダニエルは何もかもがどうでもよくなって、ただ蹲っていた。オディルに話しかけられても、買われても、手を引かれても、抵抗しなかった。

 親に売られるくらいの役立たずで、だから貴族につれていかれたジャンを助け出すこともできない、それでも同じ王都にいるのだ、どこかで生きていてくれるならそれでいい、とダニエルは諦めた。

 それなのに、オディルはその日のうちに情報屋と知り合い、ジャンの行方を探してもらえるように頼んだ、と言ってきた。

 別に仲良くもない、むしろダニエルはキモチワルイヤツだ、と毛嫌いしていたのにかかわらず。

 オディルはどれだけダニエルが嫌な態度を取っても、手が出ても、「ご褒美ですありがとうございます!」などと言って笑っていた。

 感謝なんかしないと言い放っても、ヘラヘラ笑って「ダニエルに雑用を押し付けたかっただけだし」とバレバレの嘘を言うだけで、ダニエルの態度に慣れている風だった。

 オディルのおかげでジャンと会えるようになり、手紙のやりとりもできるようになった。

 いったい何を企んでいるのか、とも思ったが、オディルは一切、なんの要求もしてこず、ジャンとダニエルのことを我がことのように喜んだり、するだけだった。恩着せがましいことも言ってこない。

 雑用をさせるためにダニエルを買ったといったくせ、やはりそれは嘘で、家事のほとんどをオディルがこなしていた。ダニエルは魔術鍛錬や調合の合間にときどき手伝うくらいだった。

 ジャンに会う前にめかしこまされたり、頼みこまれてアクセサリーなんかを身に付けたりするだけで「ありがとう! かわりにやっておくからね!」とダニエルに振り分けられていた仕事を奪っていくのだ。

 好かれている、大切にされている。そう実感するのに時間はそれほどいらなかった。

 クレールやバジルが相手であれば断ることも、ダニエルが言えばあっさり頷き、聞き入れる。ダニエルの頼みは決して断らない。どんな要望も見返りを求めず受け入れる。

 この有様で好かれていない、なんて思えるはずがない。

 腹が立つのは与えられてばかりのダニエルが、オディルに与える訳がない、と決めつけられていたことだが──。

 思い出しムカつきをしたところで、今日の初級ポーションをすべて調合し終わった。

「初級ポーションは慣れればよそごとを考えていても手が作ってくれる」とクレールが言っていた通りだった。

 意外にもポーションを作り終える前に来た客はまだ帰っていなかった。オディルといつの間にか店先にいたクレールと話している。


「ですから、その子が言う通り、銀の髪と眼の従業員はもう今はいないんですよ。私がこの間薬を……」

「店長、それは言っちゃマズいですって。

 気にしないでくださいね、お客さん。うちは親切、丁寧、良心的な薬屋で、噂にあるようなことはぜーんぜん、まったくありませんから。生物を使う薬なんてほんの一部ですから、安心してください。ね、店長!」

「ええ、はい、そうですそうです。子どもを材料にしたシチューなんて、ぜんぜん好物なんかじゃありませんから」


 ダニエルはこめかみに手を当てた。これはひどい。

 オディルもクレールもまったく嘘はついていない。事実しか言っていないのだが、あえて誤解を招く言い方をしている。表情もまったく胡散臭い。

 聞きようによっては、クレールが子どもを薬の材料にしたように聞こえるし、噂通り子どもをシチューにしたようにも聞こえる。

 一部の生物を薬に使うこともあるが、それらに使うのはもちろん子どもではなく、魚や昆虫、両生類などだ。

 哀れな客は青い顔をしてガタガタ震えている。噂がまた改悪されることが決定した。


「そ、そうなんですか、はは、あの、では、私はそろそろこのへんで……」

「お客様がお疑いになるのなら、いいんですよ。どうぞこの店を隅々まで見て行ってください。地下室なんかもありますからね」

「そうそう。地下室は涼しいし、広いし、とても静かなんですよ。どうです、話のひとつとして、ご見学なされませんか? もちろん、お代などはいただきませんとも」


 オディルもクレールも眩しいほどの笑顔だった。とてつもなく胡散臭い。客は脂汗がひどい。

『地下室にお前を誘い込んで薬の材料にしてやる』とでも解釈しているに違いない。

 あいつら、楽しんるな。


「い、いえ、このあと予定がありまして!」


 店から出て行こうとした客に、やはりいつからいたのかバジルが声をかけた。オディル曰く腕の良い情報屋とのことだが、ダニエルには食い意地の張ったオディルの保護者の印象しかない。


「お帰りですか? エレーヌ・メサジェ様、次のご来店を従業員一同、心からお待ちしております」


 名乗っていなかったらしい客はバジルの挨拶が決め手となり、情けない悲鳴をあげて逃げ帰っていった。

 こんなんでよく潰れねえな、この店。

 ダニエルは伸びをして、休憩の茶でもいれようと席を立ったが、めざといオディルが先んじて茶を淹れ始めた。

 座りっぱなしだった体を動かしたかったのだが、仕方ない。無意味に部屋を歩き回ることにした。


「上手く追い返したな、さっきのやつルモワーニュ家の飼い犬だぜ」

「とどめはバジル君だったよ」

「いやいや、あなたの笑顔が効いたに違いありませんよ『森の魔女』殿」

「ふふふ、君には敵わないよ」

「あはは、ご謙遜を」


 笑い合う二人はなんだかんだ仲が良い。どこかの飼い犬らしい来客が二人の会話を聞いて、そのまま店の扉を閉めた。

 ダニエルはオディルが茶を淹れ始めたので、徘徊をやめて机に戻った。


「はい、淹れたててで熱いから気をつけてね、ダニエル」

「おう。……ありがとう」


 礼を言っただけなのに、満面の笑みをぶつけられるのももう慣れた。

 出された茶をちびちびと呑んでいると、オディルが何を勘違いしたのか宣言してきた。


「安心して、ルモワーニュ家にはぜったいダニエルを渡したりしないから!」

「別にルモワーニュ家のやつが来たからってどうってことねえよ」

「そうなの? 難しい顔をしてるから、てっきり怖かったのかと……」

「ちげえよ。……ちょっと貴族になるのもいいか、って思っただけだ」

「アイェェェェェェ?! ナンデ?! ダニエルナンデ?!」


 ちらと浮かんだ考えをこぼしただけで、コレだ。マジでうるせえな、コイツ。

 ダニエルは思い切り顔を顰めて、どさくさにまぎれて抱きついてこようとするオディルの顔を掴んでそれを阻止する。

 もう慣れたからな、とダニエルは浅く息を吐いた。

 絆された、なんてぜったいに言ってやらないが。

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