第29話:豆知識
さっきまでの深刻な空気はどこへやら、「夕飯は作っておくからのんびり遊んでおいで」というクレールさんのお言葉に甘えて、私はダニエルを拝んで拝んで、拝み倒して土下座して、地団太を踏んで、おやつ豪華週間を報酬にようやく着せ替えを了承してもらった。
用意したのは、いつか隙あらばコスプレしてもらおうと目論んで制作していたジャル学の登場キャラ『リュディヴィーヌ・ルモワーニュ』が着ていた通常ドレス。
髪と瞳の色を元の色に戻してもらって、丁寧に梳く。香油も付けて、髪を少しだけ巻かせてもらった。ゆるふわ加減がけっこう難しい。うっすらお化粧もさせてもらう。ところどころは控えめに。でも口紅だけは真紅に。歪んだ笑顔が似合うような真紅。
「腰に左手をやって……そう。それで扇子を立てて……はいっ、人を見下して! 養豚場で食っちゃ寝してぶくぶくに太った豚を見るように!
……うん、ばっちり!」
「今のはおまえに引いたんだよ」
リュディヴィーヌ・ルモワーニュの立ち絵ポーズを取ったダニエルはリュディヴィーヌそのものだった。
怜悧な眼差し。流れる黒髪。血のように赤い蠱惑的な瞳。……うん。うん。リュンたそだ。
「ありがとう。じゃ、着替えよっか」
「えっ。も、もういいのか?」
「うん」
「いつもなら拝んだり倒れたり抱き着いたりしてくるのに?」
「うん」
訝しげな視線をあえて無視する。
今までどうして気付かなかったんだってくらいリュンたそ。仕方ないじゃないか、リュンたその高貴さは天然ものだと思ってたんだよう!
ダニエルはリュディヴィーヌ・ルモワーニュだった。そしてダニエルと仲の良いジャンはエヴラール・デュドゥエだった……なる予定。
ダニエルの着替えを手伝いながら、遠く懐かしい記憶になっていた従兄弟との最後に交わした会話を思い出す。
おそらくあの夜、泥酔していた脚本家が口を滑らせる予定だった『リュンたそ周辺の裏設定』がダニエルとジャンなのだ。
ダニエルとジャンはそれぞれ別の貴族に買われていってリュディヴィーヌ・ルモワーニュとエヴラール・デュドゥエになった。そして本編が始まるのだ。
ジャンが買われていって、引き離されるまではジャル学の流れだったのだろう。ジャンと引き離されたダニエルは抜け殻のようだったから、私が買わなければ相手が誰だっておとなしくついていったはずだ。ジャル学ではルモワーニュ家に買われたのではないだろうか。
買われていった先で、性悪なルモワーニュ家当主にのちのち政略結婚の駒として使えるよう、厳しい貴族教育を受けたに違いない。リュンたそ……ダニエルはがんばっただろうな。やればできる子だし、貴族になれば貴族に買われていったジャンに会えるかもしれないって気付いただろうし。それにジャンが迎えにいくって約束したんだから。
……けれどその約束は叶わなかった。ジャンはエヴラール・デュドゥエになってしまったし、ダニエルはリュディヴィーヌ・ルモワーニュになってしまった。ジャル学のリュディヴィーヌとエヴラールにはお互い婚約者がいたっぽいし。
そんな過去があればそりゃあ、順風満帆、天真爛漫、辛いことなんかひとつもありませ~ん! って顔で意中の相手と笑いあったり自由に出かける
一応、ポーラにもお涙ちょうだいエピソードはあるけども、そんなのリュンたそが知ったこっちゃないし。そしてプレイヤーもリュンたその事情なぞ知ったこっちゃない。こうしてリュンたそはプレイヤーからヘイトを溜めて、『処刑された』の一文に快哉を叫ぶプレイヤーが続出するのであった。
脚本家てめえ。これはリュンたそを主人公にしたスピンオフ小説とか
いや、脚本家じゃなくて制作会社の責任か? なんにせよ、制作会社の大株主になってリュンたそ周りの情報を吐き出させておくべきだった。今更こんなことを言ってもしかたがないけど。
あの時、階段から転げ落ちて死んだのが悔やまれる。せめて脚本家を締め上げてから死にたかったなー。
さて。現在の問題はジャンがエヴラールになってしまうこと、ルモワーニュ家が黒髪赤目の女子を探していることだろう。
このままジャンがエヴラール・デュドゥエになって、ダニエルがルモワーニュ家に見つかっても
万が一このままジャンがエヴラールになって、ダニエルがルモワーニュ家に攫われでもしてリュディヴィーヌになってしまえば、待っているのはエヴラールとの死別、リュディヴィーヌの破滅エンドだ。嫌すぎる。そんなもの黙って見てるわけにはいかねえぜ。
ダニエルに変装してもらっておいてヨカッター! 色変え薬を作ってくれてありがとう、クレールさん! ぜってえ見つけさせねえからな!
これでポーラが入学するまで逃げ切れればダニエルがリュディヴィーヌになるこてゃない。あとはジャンがエヴラールになることを阻止できれば盤石なんだけど……。……ウーン。
ドレスをすっかりしまい終えるとダニエルが感心半分、呆れ半分、といったふうに私を見ていた。
「はい、色変え薬飲んでおこうねえ」
「おまえってさあ……」
「? なに?」
「……や、なんでもねー」
なんとも奥歯に物が挟まったような物言いである。
「何か言いたいことがあるなら言って?
「なんでおれが罵倒するって決めつけてんだよおまえはよ」
「えぇ~? だって私ってばダニエルに無理ばっか言ってるし」
あとダニエルは口が悪いし。これは心の内だけに秘めておこう。
私を警戒しなくなって、半径一メートル以内にも近づかせてくれるようになったダニエルは
この前、ほっぺを引っ張られました。でも推しに触ってもらえるなんて、とちょっぴり、本当にちょっぴりだけですよ? うっとりとしたらドン引かれた。干潮並みに引かれた。ウフフ、干潟の生物がばっちり観察できちゃうぞ。
「は? 無理? どこがだよ」
イラァ……とした様子のダニエルに首を傾げた。わりと無理ばっか言ってると思うけども。
一人での外出禁止令が出ているから、買い物に付き合わせちゃうときもあるし、髪の手入れもさせてもらってるし、スキンケアもさせてもらってるし、ふわひらした服だって好きじゃないのに着てもらってる。
私がダニエルに強いている無理を指折り数えていると
「バー──────カ!!」
と言われてしまった。チョップ付き。地味に痛い。
「おまえなあ……!」
怒りで真っ赤になって震えるダニエルもまたいとうつくし。興奮からか、瞳が潤んでいる。守りてえ、この推し。
「そんなん無理でもなんでもねえんだよ!」
訂正。怒りと照れからくる赤面と震えだった。きゃわわ。この日はこれ以降の記憶がないので気絶でもしたんだろう。
推しは健康にいいし、そのうちガンにだって効くようになるが、至近距離で致死量を浴びるとヤバイ。これ豆な。
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