第24話:思えば遠くに~情報屋バジル~
「ご予算は? ああだめだめ、そんな金じゃぜんぜん足りないよ。そいつの情報は命がけなんだぜ、下手したら本当に死ぬ。悪いけど、必要経費にもなんねえよ、金が貯まったらまた声をかけてくれ」
相手の声を背中に聞きながらバジルは酒場を出た。
酒場といっても安酒を提供し、あくせく働いた肉体労働者たちが酔ってクダを巻く場末のものではなく、店の奥には個室もあり、貴族階級の人間もお忍びで訪れる程度には高級な店だ。
客に呼び出されるか、情報収集でもなければバジルには用のない場所だ。
そんな高級酒場にバジルを呼び出したのは貴族とも付き合いのある豪商で、このところの王都の流行を次々と生み出している人物が同一人物らしい、その人物と縁を繋ぎたいから調べてくれ、という依頼だった。
人探しには三十万ティノという破格の値段だったが、バジルはその依頼を蹴った。
流行を生み出している人物──オディルの情報を調べるのも、渡すのも簡単だ。経費を足したとしても千ティノになるかならないかの安い
数いる魔女たちの中では穏やかとされる『森の魔女』ですら一晩で都市を壊滅に追い込めるほどの力を持っているという。
バジルが実際見たわけではないが、『海の魔女』や『闇の魔女』の苛烈な報復の逸話は今でも広く語り継がれている。
オディルの情報を売り、それが原因でオディルに何かあればバジルの命はないだろう。下手を打てば王都が壊滅するくらいのことはやってのけるかもしれない。柔和は雰囲気を纏っていようが、クレールは『森の魔女』だ。魔女のお気に入りは取り上げないにこしたことはない。
「それにオディルに嫌われて飯を作ってもらえなくなるのはヤだもんなあ」
オディルの作る飯は美味かった。クレールとの交渉で護衛料はすべて飯で賄われているのだが、それで満足できてしまうくらいに美味い。むしろこちらが金を払わなくてはいけないのでは? と思ってしまうほどに美味かった。
なのでバジルはクレールに許可を取って、料理を食べさせてもらうごとにオディルの情報保護料を加算していった。オディルの料理を食べ続けて五年。積もりに積もった三十万ティノぽっちでは情報を渡せないほどになっていた。
それに、と白い息を吐きながら今にも雪を降らせそうな黒い雲を見上げる。
オディルに商談交渉を任せられてから収入が増えた。それはもうズドンと。
おかげで闘う子牛亭の日替わり定食は長いこと食べていない。うまくやれば今後も食べることはないだろう。
つまりオディルの情報を売って一時の大金を稼ぐよりも、オディルの協力者として定期的な収入を得るほうがよほど儲けられるのだ。
料理のレシピに、新しい食材の新しい調理方法の発見。
吟遊詩人への曲提供。
ダニエルの髪や肌のために作られた洗髪剤、スキンケア商品、ヘアケア商品は魔物素材などの値の張るものを使っていないので安価なうえ、効果が高いと評判になっている。
古着のリメイクに古着の切れ端を使った小物作成。絹糸を使い色とりどりに染められる
カンザシの開発に、セミオーダーで簡単に顧客の好みに近いものが作れるアクセサリー部品の開発、アクセサリーに使える魔物素材の発見。
服をはやく縫うために発案した魔力を使わなくてもいい縫製機械は魔力量の低い者たちを集めて、小さいが縫製工場を作るまでに至った。
キモノはやばかった。形こそ見たことのない変わったものだったが、色柄が豪華で貴族好み、作れるのがオディルだけで独占するにはもってこい、なんて貴族の目に留まったら軟禁一直線だったろう。
水はけの悪い土地でも収穫が期待できる作物、米の栽培方法の確立、他の畑にも使える肥料や灌漑方法。稲作事業でモルコ商店と知り合ってからは売り込み先が広がった。
植物を使った紙の制作に、新しい紙にあう新しいインクの開発、手間はかかるが魔力がなくても使える印刷機の発案。
ちょっと思い出しただけでもこの有様である。
今ではオディルの勢いに振り回されていないと物足りなさを感じるようになってしまった。
「ルモワーニュ家をもう少し探ってみるか。あいつが気にしてたんだから、なにかしら出てくるだろ」
そうして、出てきた情報がオディルを元気付けるようなものであればいい。
「あの向こう見ずにはちゃんと責任取ってもらわないとな」
バジルはマフラーを巻き直して始まった春吹雪を避けるように路地を駆けていった。
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