第23話:思えば遠くに~新規米農家~

 農夫はどんよりとした曇り空を見上げた。

 年が明け、春が近づいてきているはずなのだが、今日は肌寒く、冷たい風が吹いていた。

 去年の春から栽培を始めた新しい作物は、初めての試みとあってやはり収穫は芳しくなかった。けれど、初めてにしては思った以上の収穫があった。泥の中に苗を植えるなんて、まともに育たず腐って終わりだと思っていた。

 新しい作物の名前は米。遥か遠く、東の国からやってきたもので、水はけが悪く、小麦に向かない農夫の畑でも十分に育てられた。米を栽培する話を持ってきたのは十代の子供で、オディルと言った。魔女の薬師が経営している薬屋の従業員である彼女はいつでも明るく、親しみやすく、今では挨拶を交わし、世間話をする仲になっている。

 この先、収穫できたものはモルコ商店で買い取ってもらえる契約を交わしているし、自分たちで食べる方法も教わった。使えないと思っていた水はけの悪い畑──田んぼというらしい──に人手と金をかけてくれたオディルには感謝しかない。

「自分も米を食べたいから協力は惜しまない」と貸してくれた金はある時払いの催促なし、とこちらの都合の良いもので、隣にいた情報屋に考え直せと揺さぶられていた。決して安くない金額をぽんと出せる少女に驚いたが、自分であれば米を栽培できると信頼してくれたその熱意と期待に応えたい、と強く思った。

 ここ三日ほど、あの元気印は熱を出して寝込んでいるという。余り物で悪いが、見舞いに好物の米を持っていってやろう。


「おおい、ちょっと出てくるから留守を頼むぞ」


 家族に声をかけるとわざわざ作業の手を止めて寄ってくる。どこへ行くか見当がついているようだ。


「オディルちゃんのとこに行くんでしょう? クレールさんは腕が良い薬師だからそんなに心配することでもないんだろうけどさ……これ持ってってよ。オディルちゃんに教わった米パンだよ。試しに作ってみたら美味しかったから、きっとあの子も気に入ってくれるよ」


 少し不安げな家族に笑い返して米パンを受け取った。


「大丈夫さ。去年より美味いこと間違いなしの今年の米よりもっと美味い来年以降の米が待ってるからな。米好きのオディルが見逃すはずないだろ?」

「それもそうね」


 嫌な予感と不安を笑い飛ばして行ってくる、と農夫は薬屋に出かけて行った。


「そうさ、あの米好きがこのまま死んだりなんかするもんか」


 自分に言い聞かせるような農夫の呟きは春北風に攫われていった。

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