第16話:シュレディンガーのパジャマ

「こんにちは、古着を売りに来ましたー」

「いらっしゃい、オディルちゃん。待ちかねていたわァ」


 『ジュネ古着店』の主人がゴリラのような筋肉をしならせて歓迎してくれた。ここの主人とは情報屋の紹介で、最近知り合ったばかりだ。

 それというのも、いつも古着を買っていた店で古着が値上がりしてしまったから。そして売値が下がってしまい、ちっとも稼げなくなってしまったからだ。

 それでもっと安く古着を買える店がないか情報屋に相談したら、『ジュネ古着店』を紹介してくれた。この店は古着の値段が前の店の値上がり前の値段で、売値は前の店の三割増しで買ってもらえるので、たいへん気に入っている。


「今日のお洋服もキレイねェ~。ここだけの話、オディルちゃんが服を売ってくれるようになってから店の売り上げが増えたのよォ~、ありがとうね、オディルちゃん」

「いえいえ、そんな。ガエタンさんの物腰が柔らかくて、話しかけやすくて、営業が上手だからですよ」

「も~! オディルちゃんったら褒め上手なんだからァ~!」


 ゴリラもかくや、という前腕伸筋群が唸りを上げて私の背を叩く――が、威力はまったくない。やさしくポンポンと音が鳴るのみだ。ガエタン、めっちゃやさしいんだよな。

 情報屋がいうにはゴリラのように屈強な筋肉を恐れて、客足があまり伸びなかったらしいがお客が来るようになったならよかった。

 手直しした古着を買い取ってもらい、次に繕う古着を物色しているうちにガエタンは休憩中の看板をかけた。そうして店の奥へと案内されてお茶をごちそうになる。

 ガエタンはお茶のついでに今流行っているもの、客が求めているもの、買ってくれそうな装飾を丁寧に教えてくれるのだ。情報屋によろしくしてやってくれと頼まれたといはいえ、本当に親切な人だ。


「もう、うち専属のお針子として雇いたいくらいよォ~。どう、一月ひとつきこれくらいでェ……」


 ガエタンが弾いた算盤そろばんを覗き込む。これは……! 高いのか安いのかわからん! 急募、情報屋!


「お誘いはありがたいんですけど、お気持ちだけいただいておきますね。私はヴァランシ・ファーマシーの従業員ですし、今の暇を見つけて縫うほうが性にあってるので」

「そうなのォ? 残念だわァ……」


 頬杖をついてため息をつくガエタン。弾けんばかりに圧縮される胸筋。あの胸の谷間に挟まれたらスチール缶も圧縮されちゃうだろうな。


「オディルちゃんの手直しした古着を買っていったお客様でね、これだけの腕があるならぜひ自分の服を作ってもらいたいって言ってる方がいてェ~」

「すごいお金持ち発言ですね」

「そのとおりよォ。貴族なんだけど、ときどき使用人の私服を見にいらっしゃるのよォ~。オディルちゃんの服は使用人間で争奪戦になるんですってェ~」

「へえ、それは嬉しいですけど、お貴族様の服とかさすがに作れませんて」

「フフ、そんなに構えなくてもいいのよォ~。寝間着が欲しいんですってェ~」


 ほうほう。寝間着……つまりパジャマ。それくらいなら作れるかも?


「ほら、お貴族様って裸で寝るのが流行ってるじゃない」

「?!」


 危うくお茶を吹き出すところだった。は、流行ってるんだ……。

 つ、つまり、ジャル学世界の貴族は裸で寝ている……てコト? りゅ、リュンたそも……ってコト?!


「でもね、その方は裸で寝たくないんですってェ~。肌にシーツが当たる感触が嫌なんですってェ~。布地が貴重だった時代の名残とはいえ、そのへんは好みの分かれるところよねェ~。シーツが素肌に当たる感触が堪らないって人も、解放感が好きって人もいるしィ~」


 た、たしかに設定画集にあったのは昼間のドレス姿だけ……! つまりリュンたその寝間着は確認するまで分からないシュレディンガー!


「ね、お願いオディルちゃん。ワタシの顔を立てると思って引き受けてくれないかしらァ~。常連さんだし、恩のあるお方なのよォ~」


 ゴリラのような隆々とした上腕二頭筋と前腕屈筋群を折りたたんで手を合わせたガエタンがね? と首を傾かせる。

 カワイイ! 百点満点のおねだり!


「ガエタンさんがそこまで言うならお引き受けいたしましょう!

 ただ、暇を見つけての作業なので時間がかかっちゃうかもなんですけど……」

「いいわよォ~。先方様はそういうのをよ~く分かっていらっしゃる方だからァ~。職人にう~んと敬意と料金を払ってくださる方でェ~、やっぱりお付き合いするとしたらああいう方よね~」

「ですね」


 とりあえず手直しした服が一着できあがったら、また店を訪れる約束をした。そのときまでに先方の服のサイズを計っておいてくれるそうだ。布選びなんかも付き合ってくれて、材料費まで出してくれるなんて、すごくいい仕事だな!

 ガエタンはこれくらい当然よォ~! なんて謙遜して笑っていたけれど。よっぽど先方さんが大切なお客様なんだろうな。

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