第2話:ヒャッホウ異世界転生!

 私、九重好永、――もといオレ、オディルはともすれば叫び出しそうになる口を押さえて、忙しく辺りを見回した。暗闇に慣れてきた目が現代日本人わたしが見たことのないはずの、オディルオレが見慣れた景色をぼんやりと映し出す。

 隙間風の入る粗末な小屋に、幾人かの子どもが固まって寝入っている。子どもは全員が身寄りのない孤児で、オレもその内の一人だ。

 そう、俺は孤児のオディルで、人買いに買われてここにいる。

 オレは近くの襤褸ボロ切れを体に巻き付けて、横になった。まだ頭が混乱していて、地べたの上に寝転がるのも気にならない。

 オレは物心ついたときには人買いのところにいて、今はオウトに向けて旅をしている最中だ。オウトは王都のことだろう。九重好永の知識がするりと浮かんできた。

 これはもしやヨシエが呼んでいた異世界転生をしてしまったのか?! ヒャッホウ異世界転生! イヤマテマテ。落ち着けオレ。ここが異世界と決まった訳じゃない。まずは記憶を堀り起こせ!

 ええと、世界観は中世ヨーロッパっぽいな。映画とか漫画とかで見たような服装の人たちを見た記憶があるぞ。旅してるのはずいぶん田舎だな。畑と山と原っぱと、農夫にロバ、石と木材でできた家屋、うむ、中世ヨーロッパっぽい。町とか村の名前は……ないなあ。人に聞いて情報を集めたいけど、ド深夜だからな……。よし、寝るか。明日のオレ、頼んだ。

 そうして、オレはすとんと眠りに落ちていった。


***


 翌日俺はダニエルに蹴っ飛ばされて起きた。


「起こすならもっとやさしく起こしてくれよ、ダニエル……」

「おまえがいつまでも寝てるのが悪い」

「こ、こいつ……」

「まあまあ、その、ダニエルに悪気は……」

「悪気がないなんて言うなよ、ジャン。ったく、ジャンはダニエルに甘いんだから」

「うるさいっ! ジャンをいじめんな!」

「イタァッ! いじめられてるのはオレだが?!」


 ダニエルに蹴られた尻をさする。ダニエルは孤児仲間で、小柄だが負けん気が強い。口も悪いし、態度も悪い。よく他の孤児とケンカをする問題児だ。

 そんな問題児になぜか甘いのが、孤児の中で一番年長のジャンだ。体つきもがっしりしていて、力も強い。性格も良いからすぐ買い手がつきそうなものだが、未だに売れ残っているのはもちろんジャンのせいだった。

 性格に難アリ、協調性皆無、力仕事もできそうにない瘦せっぽちの子どもを買おうなんて物好きはそうそういない。虐待目的の下衆ぐらいのものだ。

 だというのに、ジャンは購入希望者にダニエルと一緒じゃなければ行かない、と言う。余計なことを言うな、と人買いに殴られようが蹴られようが言う。そのおかげで今まで売れ残っているわけだ。たまに二人セットで購入されたりもするが、数日で返品されるのが常だった。人買いもとんだ不良物件を抱え込んでしまってしまったと頭を抱えているんだろう。かわいそうに。それはそれとしてこっちの人権をまるっと無視してきやがるので、オレも人買いが大っ嫌いだが。むしろざまあ案件だな。ざまあ。


「そういえばジャンって読み書きができたよな」

「ん? うん」

「じゃあ教えてくれよ、暇なときでいいからさ」

「うん、いいよ」


 さすがジャン! やさしい!

 しかしダニエルには盛大に睨まれたし、なんなら耳を引っ張られた。そんなんだから激安ワゴンセールの値段以下なのに売れ残るんだよ! そのままいつでも売れ残ってろ!


「教えてやるって言ったときはバカにしたくせに! ジャンがやさしいからって調子にのるな!」

「すぐ暴力振るうのヤメロォ! その件は悪かったよ、謝ります! 気が変わったの!」

「俺はきにしないから、やめてあげてダニエル」

「おまえは人が良すぎるんだ! そんなんじゃ食い物にされるぞ!」

「ありがとう、ダニエルが気をつけてくれるから助かってるよ」

「……ふん!」


 痛みを訴える耳をガードしながら、ダニエルから距離を取る。


「ジャーン。ダニエルをかわいがるのはいいけど、たまには叱ってやらないとロクなやつにならないぞ。例えば人に謂れのない暴力を振るうとか……イテェ!」

「だまれ!」

「やめろって言ってんだろぉ!」


 やっぱりジャンはダニエルを微笑ましそうに見ているだけで何も言わなかった。せめて口先だけでも止めろ。保護者、ちゃんと監督してくれ。


***


 人買いはオレたち孤児を宿屋の裏だとか、家畜小屋だとかに置いて自分は宿屋の部屋に泊まる。一日中歩かされてくたくただから逃げ出す元気のない孤児たちは、仕方なくそこに寄り集まってうずくまり、朝まですごすのだ。逃げ出したところで帰る場所なんてない。そして少なくとも朝になればメシはもらえる。

 鳴る腹を極力気にしないよう、オレはジャンに教えられた通りの字を字面に木の枝で書いていく。


「すごいな、オディル。少し教えただけなのにここまで書けるなんて」

「そうかな? へへ」


 オレはわずかな月明りを頼りにジャンに字を教わっていた。どこかで見たような文字で助かった。綴りもなんだかすごく馴染みがあるような……。


「なあ、ジャン」

「なんだい?」

「オレたちがこれから行く王都の名前ってわかる?」


 オレの質問に答えたのはバカにしたような声のダニエルだった。


「王都はティエールだろ、そんなことも知らないのかよ」


 バカだな、と嘲笑されても気にはならない。オレはカラカラに乾いた口を開く。


「もしかして、この国の名前ってルーテティア王国だっけ?」

「うん、そうだよ」


 今度はジャンが答えた。ジャル学の舞台じゃねーか!

 恋愛シミュレーションゲーム『運命の庭~ジャルダン学園物語~』通称ジャル学の舞台は架空の国、ルーテティア王国の王都ティエールにある王立ジャルダン学園だ。どうりで字も綴りも見た事あるわけだ! ジャル学で使われている文字は攻略本に一覧表が乗っていた。アルファベットに置き換えていたものだから文字さえ覚えて、あとは英単語を覚えれば君も立派なルーテティア国民だ! はい。もちろんヨシエも暗記しました。暗記してリュンたその名前を書いてたオタクはヨシエオレです! まさかそれが転生先で後に役に立つとは思わなかったぜ。……はっ! それじゃ、もしかして……。


「ま、魔法とか使える……?」

「まほう……? 生活魔術なら使えるけど。ね、ダニエル」

「おまえはてんで使えないけどな」


 なん……だと……? 主人公も攻略対象もバカスカ使ってるからこの国の人間は魔法が使えるのがデフォかと思ってたのに、違うのかよ! ウワアアア! 記憶を遡っても、たしかに二人ともそれっぽいのを使ってるのにオレは一回たりとも使ってねえ! 二人を羨ましそうに見てるわ!


「はぁ……。まさか魔法を使えないなんて……」

「オディル……」


 リュンたその名前を書いてみる。おお、推しよ、オレの光よ。待っててくれ、オレの全てを懸けて君の処刑を回避してみせる!


「よし! 教えてくれてありがとう、ジャン。明日に備えてもう寝るわ。二人ともお休み~」

「お、おやすみ……」


 明日からの計画を立てるのに夢中だったオレは不審そうにオレを見送る視線にはまるで気付かなかった。

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