推しの幸せを見届けるまで死ねない

結城暁

第1話:顔、覚えたからな

「こんなの絶対おかしいよ……」


 そう呟いて、日本のとある片田舎の、とあるマンションの一室で、テレビ画面を睨んでいた九重ココノエ好永ヨシエは机に突っ伏した。テレビ画面には『エピソード回収率百% おめでとうございます』の文字が輝いている。

 本来ならプレイヤーが喜ぶだろうその画面を見て落ち込むのは従姉妹ヨシエぐらいだろうな、と見ていた設定画集を見ながら御手洗ミタラシタクミはおざなりに聞いてやった。


「どうした従姉妹殿いもうとよ」

「ファンディスクが仕事してくれない。推しが出てこない」

「だろうな」


 予想通りの返答にやはり画集から目を離さず答えてやる。


「それはね、従姉妹殿。おまえがプレイしたのは恋愛シミュレーションゲームのファンディスクだからだよ。おまえの推しは本編のエンディング前に死んじゃったでしょ。忘れちゃったの、おばあちゃん」

「誰がおばあちゃんだ」


 ヨシエがプレイしていたのは恋愛シミュレーションゲーム『運命の庭~ジャルダン学園物語~』、通称ジャル学のファンディスクで、本編の攻略対象たちのエンディング後が描かれている。ギャラリーはもちろん完備され、回想などで本編前のエピソードも知れたりとファン垂涎のディスクである。

 机に突っ伏したまま顔だけ動かし、ヨシエはタクミを睨む。


「忘れるものかよ。悪行をこれでもかと並べ立てられて最期は処刑された、の一言で終わった推しの最期を忘れられるものかよ」

「長文早口オタクこわぁい」


 わっ! と泣き出すヨシエにタクミは引いた。


「でも、言うてファンディスクだよ? ファンのためのディスクだよ? 私の推しの過去とか新エピソードとかエッセンスとか小指の爪の先っちょくらいは出てきてもよくない?!」

「そこに無ければ無いですね」

「うっせぇわ」


 嘆くヨシエ。彼女の推しはリュディヴィーヌ・ルモワーニュ。いわゆる悪役令嬢で、主人公のポーラと攻略対象との間をこれでもかと邪魔した挙句、エンディング前に手下と共に断罪され、この世から去る役目だった。もちろんファンディスクに出番などない。ちなみに、どの攻略対象を選んでも邪魔をしてくる、主人公を目の敵にしている系悪役令嬢である。


「恋愛シミュレーションゲームのファンディスクなんだから、主人公と攻略対象のキャッキャウフフエピ満載ディスクに決まってるだろうが。悪役令嬢ファンとか想定してませ~ん。残念でした~。さっさとフロポーエピ見せろや」

「好きだね~、フロポー。よっしゃ、アリポーエピ見よ」

「アリスティド兄貴もいいよね!」

「わかる……。ハァ……リュンたそ……」


 ヨシエが勝手につけたリュディヴィーヌのあだ名を呟き、ヨシエは項垂れたままデータを選択し、攻略対象の一人であるアリスティド・デュパルクと主人公のエピソードを始める。

 兄貴ことアリスティド・デュパルクは主人公の先輩で、ファンディスクでは騎士団に所属し、戦闘能力だけであれば騎士団長すら凌ぐ、という設定の脳筋キャラだ。竹を割ったような性格で、男性プレイヤーからの支持も高い。

 副騎士団長に推挙されるが、騎士団にいては守れない人々のために野に下る、と断り、主人公と共に旅に出るエピソードを見終わり、ヨシエもタクミも感動に打ち震えながらタオルで顔を拭った。


「ッカ~、やっぱアリ兄貴ニキかっこいーわ。人気投票で一位取る器だわ~。私の一位はリュンたそだけど」

「確かにアリ兄貴もかっこいいけど、俺の不動の一位はフロランだから」

「ハイハイ、面食い乙。……ハァ……リュンたそ……」


 アリスティドの決め顔スチルがテレビ画面いっぱいに表示されていても、ヨシエには別の何かが見えているらしい。心霊スチルでも見えているのか? とタクミは鼻をローションティッシュでかんだ。

 それからコントローラーを渡してもらい、自分の推しのエピソードを見るべくフロラン・アルドワンのエピソードを選択した。


「おまえはどうして失われし者たちに心奪われちゃうの???」

「そんなんこっちが知りたいわ……」


 タクミは床の上でスライム状にとろけたヨシエを哀れみの視線で見る。彼女の推し遍歴はとにかく失われし者が多い。出番の少ない脇キャラや敵キャラに惹かれるのはまだ良い方で、少ない供給を糧にしては何十倍にも膨らませ、霞を食って生きる様は仙人の如し。推しが作中で死ぬのすら彼女にとってはまだマシで、酷いときには原作開始時にはとっくに死んでいて、一度回想で出た切り後は出番なし、ということもままある。その一度の出番で心を奪われてしまう方が悪いと言えば悪いのだが。しかし、なんということでしょう。あまりにもこれはひどい。故に彼女の好きな二次創作は生存ifや転生パロが多い。


「だいたい、リュディヴィーヌのどこに好きになる要素があったんだよ。本編の登場シーンじゃほとんど主人公を虐めてたじゃん。どこに出しても恥ずかしくない立派な悪役令嬢だよ、あいつは」

「まずね、容姿ビジュアルがド好み」

「あーね。面食い乙」

「ブーメラン乙」

「フロランは顔だけじゃなくスペックもイケメンだが?」


 タクミのジャル学プレイを横で見ていたヨシエはスチルに登場していたリュディヴィーヌに見事一目惚れをかまし、タクミの「こいつは悪役で、出番はそんなにないぞ、ついでに救いもないぞ」という説得にもまるで耳を貸さず、ハードごとソフトを購入したのち、推しの扱いにガチギレし、攻略本、画集等の関連書籍を買い集めては推しの情報がないかと血眼になり、ファンディスクが出ると知れば予約購入し、今現在エピソードをコンプリートした。なんと良い顧客カモネギっぷりであろうか。あとはゲーム会社の株を買うしかないというところまできていた。実際、預金通帳と睨めっこしながら株の購入を検討しているヨシエをタクミは見ている。リュディヴィーヌの追加エピソードを直に要求するためらしい。

 拗らせたオタクって怖い。タクミは改めてそう思った。


***


「はぁ……リュンたそ……」


 今日も今日とて推しの登場ゲーム制作会社の株を買う為の労働に精を出していたヨシエは、疲労をたんまり溜めた体を引きずるように帰宅の途へとついていた。連日、同僚の残業を肩代わりしているせいか体が重く、リュディヴィーヌのことを考えて眠れない日々が続いているのも手伝って、かなり眠かった。コンビニでかったブラックコーヒー片手に、ヨシエは駅に急ぐ。

 早く帰ってリュディヴィーヌの幸せ二次創作が増えていないかチェックする最重要事項がヨシエにはあるのだ。そこへスマホが振動し、着信を報せてきた。画面を見るとタクミの名前が光っていて、ヨシエは近くのベンチに休憩代わりに座った。


「もしもし、タク兄? どうしたの?」

『ヨシエ、俺だ、落ち着いて聞いてくれ。俺はとんでもない出会いをしちまった』

「美人局にでも引っかかったの?」

『違うわい』


 開けたブラックコーヒーを飲み、続きを待つ。


『い、今さ、ゲーム友達とオフ会して、飲み会だったからさ、ゲー友がけっこう飲んでて』

「急性アルコール中毒にでもなったの? 救急車呼んでやれ」

『違うって! 今から二次会行くんだけど、おまえも来ないか?!』

「えー……。今仕事終わったばっかで、クタクタなんだよねー……」

『ぜったい来たほうがいいって! ここだけの話だけどな……』


 急に声をひそめたタクミにヨシエは眉を寄せた。ついでに鈍く存在を主張し続けている頭痛は無視する。


『ゲー友、作家……フリーランスの脚本家やってて……で、めっちゃ酔ってるから口滑らしてさ……』


 さらにタクミの声が小さくなる。まさかコンプライアンス違反になるような話をするのではあるまいな、とヨシエは身構えた。犯罪、ダメ、絶対。なぜなら推しを全力で推せなくなってしまうから。


「タク兄、ちょっと待っ……」

『ジャル学の脚本も書いてて、リュディヴィーヌ周辺の裏設定、教えてくれるって……!』

「秒で行く」


 もしかしたら守秘義務に抵触してしまうかも、とヨシエの良心が囁いたが、そんなこと知るか、と豪速の右ストレートで殴り飛ばす。ぜったい外に漏らさない、個人利用しかしないから見逃せ、と良心を無理矢理黙らせた。

 見事な放物線を描いたコーヒーの空き缶が、ゴミ箱の底で軽妙な音を立てた。それを合図にして、ヨシエは走り出した。感じていた諸々の不調が嘘のように体が軽く感じる。羽でも生えたかのようだった。

 終電にはまだ時間がある駅構内にはそれなりに人が行き交っていて、ヨシエは器用に人混みを避けながらホームを目指す。普段から運動不足の身体はもちろん悲鳴を上げて、鼓動が激しく耳の中でなっている。呼吸も苦しい。苦しいが、それ以上の喜びをヨシエは感じていた。もっと早く、もっと、もっと、と震えそうになる脚に力を入れて、階段を二段飛ばしで駆けていく。きっと今日の運勢は一位だ! と中程まで階段を駆け上ったヨシエはドン、と衝撃を受けて後方によろめいた。

 どうして? となぜ? が頭の中を占める。ちゃんと避けたのに、と踏ん張った足元ヒールからかかとの折れる音がして、推し色のヒールが、と後悔が沸き上がった。急がば回れ。どんなに浮かれていても、急いではろくなことがないのだ。

 それはそれとして、ワザとぶつかってきたクソジジイ、てめぇ顔覚えたぞ。訴えて勝って治療費慰謝料ふんだくってやる。

 頭に受けた衝撃でヨシエの意識はそこで途切れた。九重好永。享年二十八歳。失われし者に心を奪われがちな人生だった。


***


「テメェ、このクソジジイ!! ……は?」


 叫んで、ヨシエは飛び起きた。そうして呆気に取られる。今さっきまでいた駅構内ではなく、暗く、何も見えない空間にいたからだ。

 すぐ隣から苛立った声が浴びせられた。


「うるせぇ! 静かに寝てろ、オディル・・・・!」

「ご、ごめん、ダニエル」


 知らない名前で呼ばれ、知らない名前を呼んだその瞬間、ヨシエオレオディルになっていた。

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