10 ようやく調理室を見つけたとおもったら…
プリムラは、ティアラが探し当てた調理室に向かっていた。ティアラが先頭に立ち、プリムラを案内していく。
「調理室はこの先ですよ。」
暗く、長い廊下の先を指差した方向に、木の扉が見える。
「急ぎましょ。残っているといいんだけど。」
プリムラが扉に向かって駆けた時、壁に取り付けられた燭台のろうそくの炎が揺らめき、その灯りでできた影がざわめいた。
しかし、プリムラとティアラはそれに気が付かぬ風で、ただ調理室に急いだ。
何の前触れもなく、闇から数十本の黒い触手が伸びる。
それがティアラの足に絡んだ。
「あっ」
軽い驚きとともにティアラの足が止まる。
それに気づいたプリムラが振り向いた。
別の触手が数十本、プリムラに伸び、手足に絡まる。
二人は黒い触手によって拘束されてしまった。
「ふふふ、もう身動きできませんよ。」
闇の中から一人の紳士風の男が現れた。
藍色のストライプが入った三つ揃えを着て、短めの襟のシャツに蝶ネクタイ。灰色の顔にオールバック。その口元からは犬歯が覗いている。
あきらかに
「美しいお嬢さん方、もう好き勝手なことはさせません。」
「ちょっと、邪魔しないでくれる。…えっと、ところであんた、だれ?」
プリムラが不機嫌そうに尋ねた。
「申し遅れました。私は六魔将のひとり、ジュリアンと申します。」
「ジュリアン?気障ったらしい名前ですね。」
ティアラの足に絡んでいた黒い触手は、すでに両手にも絡んでいた。
「自分としてはお気に入りの名前なんですがね。ともかく、お嬢さん方にはここで死んでもらいます。」
慇懃だが、冷酷な物言い。
二人が恐怖に慄くかと期待したジュリアンだが、案に相違して二人は平気な顔をしている。
「私たち急いでいるから、これで失礼するね。」
そう言ってプリムラが指を鳴らした。すると、プリムラの手足に絡んでいた触手が、黒い粒子になって消えていった。
自由になったプリムラは、ティアラを置いて調理室へ行こうとする。それに気づいたティアラとジュリアンは、急いでプリムラを止めた。
「ちょっと、待って!」
「ちょっと、待て!」
同時に叫んだ二人の声が重なり、変な
「プリムラ、私をほっておく気ですか?」
めずらしくティアラの顔に不満の表情が表れた。それを見て、プリムラが舌を出しながら指を鳴らした。
ティエラに絡んでいた触手が同じように消える。
それを見て、ジュリアンは更に驚愕した。
「私のダーク・バインド(闇の搦め手)をどうやって解除したのですか?」
「別に、私には闇魔法が通用しないってだけよ。」
プリムラがジュリアンに背を向け、ティアラを促して調理室に向かおうとしたその背中に、ジュリアンの殺気が放たれた。
その殺気を受けて、プリムラは(やれやれ)と心の中で呟いた。
「ダークランス(闇の魔槍)」
プリムラの影が揺らめくと同時に、影の中から黒い槍が数本、飛び出してきた。それがプリムラの身体を一気に貫く ─かに見えた。
しかし、黒い槍はプリムラに触れる直前に、黒い粒子となって消えていった。
「無駄だと言ったでしょう。」
そう言って目を向けた先に、ジュリアンの姿がない。
同時に後ろから邪気が絡まる。
振り返った目と鼻の先にジュリアンの顔があった。
縦に細い瞳孔を持つ金色の目が輝く。
その目にプリムラが魅入られたかに見えた。
「我が、
「あら、そう。」
プリムラの口が軽く吊り上がった。
その表情に驚くジュリアン。
次の瞬間、プリムラの右手がジュリアンの首にかかった。
「ば、ばかな。私の魅了が効かぬわけがない。」
信じられないとばかりの表情のジュリアンは、プリムラの手を外そうと、両手をかけて、力を入れた。しかし、プリムラの手は外れない。
「言ったでしょう。私に闇魔法は通じないって。」
「うそだ。魅了は私の
「通じないんだからしょうがないじゃあない。さっきから私の邪魔ばかりして、もう消えてくれる。」
「い、いやだ─── ‼」
プリムラの手の中でジュリアンが暴れる。
「ブラックフレア(漆黒の獄炎)」
プリムラの右手から黒い炎が噴き出し、それがジュリアンを包み込んだ。
「ぎゃあああぁぁぁ── ‼」
後ろでティアラが
炎は大きな火球となり、一瞬でジュリアンは灰になってしまった。
「おっと、調理室まで燃やすところだったわ。」
プリムラが息を吸うと、炎はその口の中に吸い込まれ、瞬く間に静寂が蘇った。
「無駄な時間を喰ったわ。いきましょ。ティアラ。」
「はい、プリムラ。」
何事もなかったように進む二人は、突き当りにある木の扉の前に到着し、その取っ手に触れようとした。
「ちょっと、待ってください。」
ティアラがプリムラの手を押さえると、両手を扉に翳した。
「なにか、罠でもある?」
「なにもないようですね。気を回しすぎたようです。」
「そう」
プリムラは安心したように取っ手に手をかけ、扉を引いた。
中はかなり広く、いくつものテーブルと洗い場、釜戸に大鍋、奥には巨大な暖炉がある。たぶん、肉などを丸焼きにするためのものだろう。
ただし、魔人の姿は見えない。
「卵はどこかしら?」
プリムラは調理室の中を見回したが、卵どころか鶏の姿もない。
テーブルの上は、急いで逃げ出したか、召集されたか、白い粉や肉片、魚、野菜など包丁と一緒に散らばっており、鍋からは湯気が吹き上げていた。
「たぶん、食糧庫があるとおもうのですが…」
ティアラがざっと部屋の中を見渡す。
そして、一つの扉に目を止めた。
「あの扉が怪しいですね。」
ティアラの言葉にプリムラは示された扉に近づき、取っ手を引いた。
扉の向こうは闇に包まれ、足元には階段があるが、すぐにその先が見えなくなっている。奥からは冷たい空気が流れ、プリムラの頬を冷やしていく。
「この空気の温度から見ると、食糧庫っぽいわね。」
プリムラは、躊躇することなく、扉の中に足を踏み入れた。
鼻をつままれても分からないような漆黒の闇が広がるが、プリムラには、暗視の
「ティアラ、そこで待ってて。」
「はい」
ティアラを調理室に残して、プリムラは奥へと入っていった。
階段の先には木の扉があり、鍵はかかってない。
プリムラは、警戒心なしに扉をあけると、中も真っ暗なうえ、ひんやりとした空気で満たされている。
どうやら食糧庫でまちがいないようだ。
プリムラは部屋に足を踏み入れると、暗視の能力で部屋の中を見渡し、壁に着いた
「さて、卵、卵、と」
いくつも並んだ棚や籠を見てまわり、ほどなく籠の中に卵を見つけた。
拾い上げた卵が金龍鶏の卵かどうか、プリムラはじっと見つめる。
「まちがいないわね。この色、質感、重み。金龍鶏の卵よ。」
ようやくみつけたお宝に、プリムラの頬が緩む。
すぐに籠に入った卵を全部、自分のエプロンのポケットに入れた。
「鶏はいないのかしら?」
と、そのとき、背中に当たる鋭い物を感じた。
「お、おとなしくしろ。」
同時に震える声が、プリムラを脅そうとした。しかし、プリムラは意に介さない。
「さっきからこそこそしていたのは、あなたね。」
プリムラは無造作に振り返る。
目の前に震える手で短剣を構える
「う、動くと刺すぞ。」
精一杯、脅しをかけているようだが、プリムラには子供の遊びにしか見えない。
プリムラがニコリと笑ったと思ったら、足元の影から触手が伸び、ゴブリンの短剣をもぎ取り、影の中に消えていった。
「あ、あああ…」
ゴブリンは恐怖のあまり、その場に座り込み、全身を震わせ、いまにも気絶しそうな顔つきになった。
「ちょっと、聞きたいんだけど。」
そんなゴブリンに顔を近づけながら、プリムラは笑顔のまま尋ねた。しかし、ゴブリンには、それが悪意に満ち満ちた顔に見えていた。
「何でも話します。命ばかりは…」
拝むように手を合わせ、ゴブリンは心の底から哀願した。
「金龍鶏を知らない?」
「きんりゅうけい…?」
唐突な質問に、ゴブリンは間抜けな問いかえしをした。
「知らないの?」
プリムラの顔が不機嫌になった。
ここで知らないと言ったら殺される。そう思うゴブリンは、自分の記憶を総動員して、金龍鶏のことを思い出した。
「き、きんりゅうけいなら、このうえにある鶏舎のなかにいます。」
「ほんと?」
「ほんとです、ほんとです!」
ゴブリンは必死になって信用を勝ち取ろうとした。
「じゃあ、案内して。」
「はい。」
ゴブリンは、先に立ち、プリムラが通ってきた通路に向かった。
それから数分後。
ゴブリンに案内されたプリムラは、粗末な小屋に着いた。
「ここです。」
小屋を指差すゴブリンに、プリムラは疑い深い目で中を覗いた。
確かに、鶏が小屋中に放し飼いにされている。
「もとは、おれの住まいだったんだ。」
そう話すゴブリンの顔には、少しの悔しさが見える。
「たしかに金龍鶏ね。ありがとう。」
プリムラの謝辞に、ゴブリンの顔を明るくなった。
「じゃあ、鶏を捕まえるの手伝って。」
ゴブリンは、プリムラに言われるまま鶏を捕まえ、捕まえた鶏をプリムラは
すべて捕まえると、プリムラは小屋の外に出た。そのあとにゴブリンが続く。
「手伝ってくれてありがとう。」
と言って、ゴブリンをその場に置いて、立ち去ろうとした。その後ろ姿にゴブリンは思わず、声をかける。
「なんのために、その鶏を捕まえたんだ?」
そう言って、ゴブリンは後悔した。
余計なことを言った。──殺される。
先ほどの恐怖が復活する。
全身に悪寒が走るゴブリンに、プリムラはかわいい笑顔を送る。
「おいしいプリンをつくるためよ。」
そう答えると、プリムラは城に戻っていった。
残されたゴブリンは、助かった安心感からその場にへたり込んだ。
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