第4話 うつ病の熊井さん

*本作はフィクションです。うつ病の患者さんに対する対応としては最悪です。


 12月某日 午後


 32歳の女の人が来店。確か熊井さんだったと思う。

 真面目で大人しい感じの人だった。化粧っ気がなくて、髪を後ろに一本に束ねている。服は無印みたいなワンピースで、明らかにサイズがあってなくてダサい。自然派を気取る勘違い女。こういう人は見ているだけでムカつく。


***


「上司のパワハラで仕事をやめてから、何もする気が起きなくて」

 熊井さんはぽつぽつと話始めた。口下手な人らしく会話が弾まない。これならパワハラに遭って当然、と映子は思う。

「パワハラってどんなこと?」

「『君みたいな無能な社員は会社のお荷物だ』って、毎日のように怒鳴られて」

「でも、優秀な人だったらそんなこと言われないんじゃない?やっぱり、あなたにも原因があるんじゃ」

 映子はパワハラを受ける人は、それなりの原因があると思っているタイプの人だった。

「そうだと思います。仕事が遅くて、ミスも多かったので・・・」

 熊井さんはその頃のことを思い出して、憂鬱な気分になった。上司に怒られていた時の恐怖がよみがえって来る。耳をふさぎたくなってしまう。

「じゃあ、本当に仕事をやめさせたかったのね。じゃあ、よかったじゃない。あなたがいなくなって、会社の人たちも喜んでるでしょ。もっとあなたに合う仕事を見つけるチャンスじゃない。仕事やめたのはいつ?」

 あ、やっぱりそうか・・・。そうだよな。私なんていないほうが・・・。

「半年前です」

「じゃあ、どうやって生活してるの?」

「実家なので。両親がまだ働いてて。あとは失業保険を受給してます」

 働いたことのない映子は失業保険がどんなものかわからなかった。

「じゃあ。思い切って実家を出てみたら?そしたら、嫌でも働くんじゃない?」

「でも、失業保険はもうすぐ切れるし・・・私、鬱病なので・・・」

「そんな甘えてちゃダメでしょ。もう30過ぎて、本当に自立する気があるの?親がかわいそう」

「はぁ」

「だって、幼稚園からずっと学費も出してもらってるわけでしょ?何か恩返しできてるの?結婚してるの?家にお金入れてるの?あなたが家にいると家族も大変なのよ!わかってるの?」

 責めるような口調だった。

「はい・・・申し訳ないと思ってます」

 熊井さんは落ち込んでしまった。やっぱり私は家族のお荷物なんだ・・・。

「すぐに家を出た方がいいわ。それが親の負担を減らす一番の方法よ」

「わかりました・・・」

 それから、残りの時間、映子は懇々と説教をつづけた。熊井さんは、もともとうつ病で精神的に落ちているから、気を失いそうだった。


「うつ病なんて気の持ちようだから。自分を甘やかさないの!」

「ありがとうございました。ようやく目が覚めました」


 最後に熊井さんは頭を下げて、2,000円を現金ではらった。財布は小学生が使うようなマジックテープの物だった。すごく節約して暮らしているのがわかった。

「ごめんなさいね。私、口が悪いから。またいらしてね。それで、家を出たかどうか教えてね」

 映子は満面の笑みを浮かべて言った。相当痛めつけてやったという満足感があった。

「はい・・・。じゃあ、これで・・・」


 熊井さんはその足で、大通りに向かった。車の往来が激しいところだ。信号もあるけど歩道橋がかかっている。迷わず階段を上って、橋の真ん中あたりに立つと「よし」と自分に気合を入れた・・・あ、そうだ遺書書いてない。すぐに、Lineを打った。そして、送信。


『今までごめんね。これからはお父さんと二人で仲良く暮らしてね。色々ありがとう。生まれ変わっても、二人の子どもに生まれてきたいです。今度はうつ病にならない強い子で産まれてきます。さよなら』


 熊井さんは歩道橋の欄干によじ登って、そこから車が向かって来ているタイミングで飛び降りた。空中に飛び出した瞬間、Lineの音が鳴った気がした。あ、見てくれたんだ。熊井さんはこれでよかったんだと思った。


 バイバイ。私の人生。

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