復讐された男

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復讐された男

「ノムさん、知ってます?

 山中、今月出所らしいですよ」


 後輩の栗崎が、俺にそう話しかけてきた。


 栗崎はまだ若い。怒りで顔を真っ赤にしていた。


「ああ、知ってるよ」


「やっぱり、今でも納得いかないです」


「仕方ねぇだろ、裁判所が決めたことだ」


 俺は競馬新聞を読みながらそう答えた。


「けどアイツは……」


「栗崎」


「は、はい」


「このあと暇か?

 一杯付き合ってくれねぇか」


「わ、分かりました」


 俺は栗崎を連れて、署の近くの居酒屋に入った。ビールと枝豆を頼んで、軽く乾杯をした。


「俺だって、判決に納得してるわけじゃねえ。だが判決は覆らねえ」


「分かってるんですけど……」


「場数を踏んできゃこういうこともあるさ。気にするなよ。……まあ、無理な話か」


 山中事件の顛末は、まだ若い栗崎には酷な経験だったはずだ。栗崎はよくやっていたと心から思う。


 五年前のある日、県内の林道のそばで、十歳の少女の死体が見つかった。


 死因は首を絞められたことによる窒息死。


 衣服が乱れていたことから、性的な暴行が目的で誘拐されたが、抵抗が激しかったため殺されたというのが、警察の考える事件の経緯だ。


 俺たちはその犯人として、山中を追っていた。


 事件は簡単だった。


 証人も物証も、すぐに見つかった。


 死体を発見してから数日で手錠をかけた。


 ところが、いざ取り調べを始めようとした瞬間、本庁の刑事がやってきて山中を連れていった。


 俺たちが手出しできなくなると、山中は「事件との関連性はなし」として釈放された。


 山中の父はいくつかの会社を経営する地元の有力者で県警とのコネもあった。


 県議会議員選挙への出馬も打診され、スキャンダルを恐れた山中の父は、お偉方に多額の金を積んだらしい。


 メディアも黙りだった。マスコミは片田舎の腐敗になんて興味を持たない。不正を叫ぶ被害者遺族の声が拾われることは、ついになかった。


「いくら金を積んだところで、現行犯逮捕されちゃ無意味だ。皮肉なもんだよ」


 釈放されて数日のうちに、隣県の居酒屋で酔って他の客に殴りかかり現行犯逮捕、懲役三年の判決が下された。


 暴行の様子は居合わせた学生に撮影され、SNSにアップロードされた。


 動画は瞬く間に拡散され、山中の父には致命的な打撃になった。


「結局、山中の親父は出馬を取り消された。SNSに上げられちゃ言い訳のしようがない。賄賂も無駄になったわけだ」


「それでも、アイツが殺人で裁かれることはありませんでした」


「一事不再理ってヤツだ」


「何が一事不再理ですか。裁判にかけられることもなかったのに」


「同じことだ。前言撤回なんてしてみろ。県警のメンツは丸潰れだし、何よりお偉方の賄賂がバレちまう」


 栗崎は黙ってジョッキを飲み干す。すぐに代わりを頼んで、またぐびぐびと喉に流し込む。

 栗崎のビールはこれで三杯目だ。


「少し飲みすぎじゃねえか?」


「……明日は非番です。問題ありません」


 栗崎の顔は酒で更に紅潮していた。言葉は冷静だが、内心はそうではないだろう。


 被害者の少女は、名を七美といった。

 七美は活発で優しく、同級生や教師にも好かれていたらしい。


 水泳教室に通っていて、事件はその帰りに起こったと考えられる。


 どういう経緯で山中と接触したのかは不明だが、俺は林道を通る七美を山中が無理やり林に引きずり込んだと考えている。


 七美の父はトラック運転手、母はスーパーのパートをしていた。


 ごく一般的な、幸せな家庭だった。


 突然娘を奪われた悲しみや怒りは、俺たちには想像することしかできない。


「あんな小さな子が、あんなクズに殺されたんです。そしてそのクズは今ものうのうと生きている」


「……山中は必ず罰を受ける。それは俺が保証するぜ」


「言っている意味が分かりません。アイツは結局、三年で……」


「いいから聞け。……これから話すのは、ただの『噂話』だ。いいな?」


「噂話、ですか」


「……七美の両親。今どうしてると思う?」


「いえ、知りません」


「山中が釈放されてからしばらくして、母親は体調崩して入院した。今も病室で廃人同然らしい。ろくに口もきけねえってよ」


「……」


「そうなると気の毒なのは父親の方だ。妻と娘を失って、酒浸りになった。

 トラック運転手としては致命的だ」


 七美の父は職を失った。


「だが酒は止められねえ。安酒をバカみたいに飲みまくって、すっかり身体を壊しちまった」


 そんな男に職が与えられることはまずない。


 七美の父は酒のために借金を重ね、首が回らなくなった。


「七美の父親はな、そんな状態で居酒屋に入った。浴びるように酒を飲んだが、払える金がねえ。ケツモチのヤクザにボコボコにされて叩き出された」


「ヤクザですか、今どき」


「こんな田舎じゃ珍しくもねえ。一通りボコボコにしたあと、ヤクザのひとりが聞いたんだ。どうして金もねえのに酒なんか飲むんだってな。で、七美の父親は山中事件の顛末について洗いざらいしゃべった」


 そのヤクザは、暴力団排除に向かう風潮を恐れていた。その先頭に立っていたのが山中の父だった。


 だがその山中の父が失脚したことで、その組は壊滅を免れた。


「ヤクザどもにしてみりゃ、七美は命の恩人って訳だ」


「でも七美ちゃんの件で山中は立件されませんでした」


「それでもダメージを与えた。県警に渡した賄賂 、お偉方もかなり足を見たらしい。だから二回目の逮捕は致命的だった」


 ヤクザは掌を返して七美との父親を賞賛した。


 そして、七美の復讐を請け負った。


 たまたま、そのとき懲役が決まっていた組の若者を数名、山中と同じ刑務所に送り込んだ。


「ヤツら、極道のくせに『曲がったことは許せねえ』とか抜かしやがる。自分を客観視できてねえんだな」


 とにかく、それから山中の生活は一変した。


 組の若者の一人である大園が、山中と同室に割り当てられた。


 大園は、山中を見つけるとすぐ、その顔を殴り飛ばした。山中が倒れると、馬乗りになってその顔を殴り続けた。


 すぐに看守が止めに来たが、山中は首を痛め、歯の何本かを折った。治療を受けたが、山中は奥歯の大半を失った。


 大園はこの件で逮捕され、別の刑務所に送致された。代わりに、また別の組の者が山中の部屋に送り込まれた。


 玉田は、刑務所の囚人に山中の罪を触れ回った。混ざりこんだ組の人間が煽動して、山中は他の囚人から嫌がらせを受けるようになった。


「人の見えねえところで殴ったり蹴ったり。飯に唾吐いたりよ。ただでさえ流動食しか食えねえのに」


「看守は止めなかったんですか?」


「止めようがなかったんだ。直接暴行の現場を見たわけじゃねえし、流動食に唾が混ざってたって分からねえ」


「山中の父親は?」


「奴が金を積んだのは自分が可愛いからだ。刑務所の中のバカ息子がどうなろうと知ったこっちゃない」


 そうして、山中への攻撃は過熱していった。


 顔の骨は折れ、残った歯も何本か更に折れた。


 刑務所は山中に最低限の治療を受けさせたが、病院から帰ってくる度にまた傷が増えた。


「止めに、組の若頭が山中に面会に行った。そこではっきり山中に言った。お前は出所次第殺すってな」


「でもそれって……」


「脅迫だな。だがカシラは逮捕されなかった。見張りの看守に金を渡したんだな。

 とにかく、それで山中は狂っちまった。刑務所の中も外も地獄になって、恐怖でろくに歩くこともできなくなっちまった」


 俺は残ったビールを一気に飲み干した。


「奴が許されることはない。どのみち、何年懲役食らっても、たとえ死刑になったとしても、七美は戻らないんだ。だから奴には一生、苦しんでもらう」


「……納得いきません」


「これくらいの罰じゃ足りねえか?」


「そうじゃありません。山中はそれだけのことをした。それは理解しています」


「じゃあなんだ?」


「同じ組の人間が、そう何人も同じ刑務所に送られますか?

 そんなこと、誰かが手引きでもしないとありえない。そしてそれは犯罪行為だ」


「言ったろ、これはただの噂話だ」


「刑務所の記録を調べれば分かることです。

 それにもうひとつ。そんなことがあったなら、担当刑事だった俺に知らされてないのはおかしい」


「……」


「あなたは知っていた。……野村さん、あなたは、この復讐に関わってるんじゃないですか?」


 野村さん、か。


「……なあ栗崎。警察ってのは、なんのためにいるんだろうな」


「秩序の維持。つまり、法律の遵守です」


「だが、法が機能しなかったらどうなる?

 俺たちが守る秩序はどこに行く?」


「……」


「俺は法律じゃなくて、人々を守りたくて警察官になった。法律が見逃した悪を、俺まで見逃したらどうなる?」


 俺は席を立つ。


「俺は帰る。勘定はこれで払っとけ」


 千円札を数枚、栗崎に渡す。栗崎は突き返そうとしたが、無理やり押し付けた。


「野村さん。確かに、あなたの言う通りかもしれない。七美ちゃんのお父さんのことを考えれば、山中への復讐は避けられなかったかも」


「……」


「だとしても、選ぶべき手段じゃなかった。あなたのしたことは、息子を釈放するために金を積んだ山中の父親と変わらない。

 それに、復讐が成立したのはただの巡り合わせだ。

 そのために、七美ちゃんのお父さんはヤクザに大きな借りを作ってしまった」


 栗崎は、まっすぐ俺を見つめていた。


「本当に自分のやったことが正しいと?

 みんなが好き勝手自分の正義を主張したらどうなります?

 それこそ、秩序もクソもない。

 ……あなたは警察官として、安易な復讐を選ぶべきじゃなかった」


「……栗崎。お前、デカになって何年だ?」


「……五年になります」


「若いな。まだ俺の六分の一だ」


 それだけ言って、俺は店を出た。


 店の外から、栗崎がもう一杯、ビールを煽っているのが見えた。

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