1-4 不思議な転校生

 まるでプリンターの如く、日本史の先生が黒板に大量の文字を書き殴っていく。たまに読めない文字もあって解読しながら写しているけど、まだその半分も写し終わっていない。まったくもう、江戸の勉強なんていつ使うの。使わないでしょ!


 …えっど、たしか江戸は四つくらい前の元号だっけ?


 顎にシャーペンのノック部分をつけてボケていると黒板の文字が増えていた。ああもう、少しよそ見をしていただけなのにっ。必死に写していると、何かに邪魔されたかのようにシャーペンがモフッと動かなくなった。不思議に思いノートに視線を向けると、デフォルメされた白猫のイラストがじゃれていた。


「あっ、リリィ。今は授業中だから」


 隣のクラスメイトに聞こえないように小声で話しかける。リリィはガリガリとシャーペンに爪を立てて何かを訴えていた。壁の時計を見ると、そろそろ十二時になりそうだ。全くもう、しょうがないなあ。シャーペンを得意気にクルリと一回転させて、ノートにリリィのおやつを描く。


 よしっ、すっごくかわいく仕上がった!


 今日のおやつは骨付き肉。両端にリボンをつけたのがイチオシポイント。リリィは私の顔とおやつを交互に見ると、不満そうにおやつをガツガツと食べ始めた。まあ、顔の模様のせいでいつも不満そうに見えるだけなんだけど。


「いっぱい食べるんだよ〜」


 授業の終わりを知らせるチャイムが鳴るのと同時に、リリィがケフッと息を吐いて別のページに消えていった。リリィがさっきまでいた場所を見ると、まるで子供が遊んだ後のように汚くなっていた。


「もうっ、またこんなに食べこぼして…」


 リリィの残した汚れを消しゴムで消し始める。リリィは普通の猫と同じでご飯も食べるしよく寝る。もちろんトイレだってする。ちょっとドジっ子みたいで、たまに勢いがよすぎて机に飛んでいる時があるのが癒やしポイント。


 あっ、たまに猫じゃらしでも遊んでくれる。ほんと、たまーにだけど。かわいいからもっと遊んで欲しいのに。ゴシゴシとノートを消していると突然後ろから抱きつかれた。


「ふーたーばっ!」


 ああっ、手元が狂って消さなくていい文字まで消えちゃった。こんなことをする犯人なんて一人だけだ。頬を膨らませて振り向くと、ゆりちゃんが笑いながら頭を撫で始めた。


「まったくもうっ! 心臓が止まるかと思ったよ!」


「よしよし。双葉がぽーっとしているからつい。ごめんね、調子はどう? 胸は苦しい?」


 心配そうに顔を覗きこまれ、不安になって胸に手を当てる。私の体から高鳴る鼓動が聞こえてきて、なんだか胸も少し苦しいし気がする。


「あ、うん。すっごくドキドキしているし、なんだか胸も苦しいよ?」


「それが恋よ」


「そっか、これが恋…」


 …あれ? なんだかゆりちゃんから目が離せない。アメジストのような慈愛に満ちた紫の瞳。黒髪セミロングの髪が、ゆりちゃんの整った顔に似合っている。幼馴染だから贔屓目にみているかもしれないけど、女の私から見てもかわいいと感じてしまう。


 ぽーっと見つめていると、突然、ゆりちゃんが吹き出した。それを見て正気に戻った私は、ゆりちゃんの抱きつきを振りほどくように立ち上がると怒った。


「…って、もーっ! ゆりちゃんが抱きしめているだけでしょ!」


「ふふっ、双葉が冗談を真に受けるから、つい。ハトみたいでかわいかったわよ。それで、今日のお昼はどこで食べる?」


 私の怒りの反撃をヒラリとかわすと、ゆりちゃんが聞いてきた。一緒にお昼を食べたいけど今はそれどころじゃない。黒板を書き写さないといけないのだ。あの量だと、数十分は必要かも。


「ごめんね、ゆりちゃん。まだ黒板を書き写している途中で…」


 私の言葉を最後まで聞かずに、きょとんとした顔でゆりちゃんが黒板を指差した。


「係の子がいま消しちゃったわよ?」


 慌てて黒板を見ると、まだ書き写していない文字達がどんどん消されていく。書くのは時間がかかるけど消すのは一瞬。数秒後には黒板は授業前のまっさらな綺麗な状態に戻っていた。


「そ、そんなぁ〜」


「ほら双葉、弁当箱を持って行きましょ」


「…うん」


 がっくりと肩を落とすと、私はゆりちゃんに背中を押されて、いつもの校庭へと歩きだした。


「ありがとゆりちゃん! 持つべきものは優しい幼馴染だよ〜」


 急いでお昼を食べ終えると、私は教室に戻ってゆりちゃんのノートを写す仕事を始めた。黒板に書かれていた先生の文字とは違い、綺麗に整っていて読みやすい。


「はいはい。ノートは見せてあげるから明後日の約束、守ってね」


「わかったよぅ…」


 週末である明後日に、お出かけをするという約束をして、優しい優しい幼馴染にノートを借りた。目的は私が紅茶を零したノートの弁償と、先週できたばかりのクレープ屋に行くこと。ノートは既に弁償済みで、私が今、使っているノート『まじ描るノート』を渡しているのに、ゆりちゃんは恥ずかしいと言って一向に使う気配がない。


 高校でも使えるデザインだと思うんだけどなぁ…。


「あっ、そうだ! せっかくならミルフィも一緒に観ない? 私が試写会で観た映画が、ちょうど明日から公開なんだけど…」


「私はパス」


 うぐっ、ちょうどいいと思ったのに。ミルフィの布教活動は、またしても失敗に終わった。でも子供の頃はアニメを一緒に観ていたんだから、いつかゆりちゃんもミルフィの魅力を思い出すはずだよね。


 そんなことを考えつつノートを必死に写していると、視界の端で小さい何かが足元で走っていった。気になって目で追うと、それは教卓の上にピョンと上がり、得意気に前足を伸ばして座った。黒い体に三角形の耳。四本の足に平べったい尻尾。黒猫のようなラッコのような生き物がそこにはいた。


「…ねこ? ううん…ラッコ? ええっと、ゆりちゃん。どっちかわかる?」


 私がそう聞くのと同時に手元で何かが光った。手元を見るとリリィがシャーペンにガシガシと噛みついている。悲鳴をあげる間もなく世界が歪み、気がつくと元の状態に戻った。放心状態で教卓を見ていると教室に知らない子が入ってきた。


 高校には似合わない中学生の制服を着た女の子。身長は低くて百四十センチくらいの黒髪ロング。ラッコのような黒猫の隣に立つと数回頷いて、教室にあった空き机にちょこんと座り、机の上にノートや筆記用具を出した。私と目が合うと女の子はビクッと小さく驚いた後、その場で固まった。


「…あの子って迷子かな? それとも転校生?」


「双葉、なに寝ぼけるの。ラッコ猫なんてどこにもいないし転校生なんて来てないでしょ」


「…ほへ?」


 堂々と教卓の上にいるラッコ猫。今も固まっている中学生の制服を着た女の子。こんなにはっきりと見えているものが見えないなんてありえない。ゆりちゃんに、そこに絶対いるからと指をさして指摘すると、目を離した隙にラッコ猫も女の子も消えていた。


 …私の見間違いだったのかな?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る