1-2.5 スケッチブックのラッコのイラスト
ある土曜日の夕暮れ時。いつもなら賑わっているはずの道には、なぜかひとつも音が聞こえてこない。それどころか道路には車が一台も走っていない。歩道にも人が誰ひとり歩いていない。
そんな中、少女が軽やかに屋根の上を飛んでいた。魔法少女のコスプレのようなヒラヒラとした水色のドレスに身を包んでいる。顔は無表情だが、頭の後ろでひとつに結ばれた長い金髪が、尻尾のようにユラユラと揺れてどこか嬉しそうだ。少女は平屋建ての一軒家に飛び乗ると、覚束ない仕草で二階の開いている窓にモソモソと入り込んだ。
「雫、どうだった? 誰にも邪魔されなかったでしょ。だから安心するの!」
少女が入るのと同時に、魔法少女のマスコットのようなラッコに似た小さな黒猫が空中をくるりと舞う。自慢気に話すと一回転した後、少女の前でエッヘンと胸を張った。雫と呼ばれた少女は表情を変えずにコクリと頷く。
「悪いものは全部、ぜんぶ、ぜーんぶっ! あたしが退治してあげるの!」
「…ありがと。ねーれ」
「ところで今までどこに行ってたの? もしもレイヤーの外に行っていたら危なかったかもしれないの」
ネーレと呼ばれたラッコに似た黒猫が愛らしい丸い瞳で心配そうに見守る。雫は少し考えた後、コテンと首を傾げて答えた。
「…映画館?」
「えいが…かん、なの? 映画でも見てきたの?」
表情は変わらないが、雫自身もなんと説明したらいいのかわからず困惑している。ネーレのその疑問に答えようとして雫が再び口を開けると、世界が歪み始めた。ユラユラと不安定に揺らめき、二つの世界が溶けあっていく。
「まだ上手く制御できてないの。うーん、なにか忘れてるきがするけど、魔力の使い過ぎで疲れたからちょっと休むの…」
「…ん。おやすみ」
ネーレは雫にそう伝えると、机の上に乗っているスケッチブックの中に消えた。頁の中に入りイラストになったネーレは、描かれていた絵の中央にある不自然な余白にちょこんと座った。そして、元々そこに描かれていたかのように周りの絵に同化する。徐々に魔法で作られたレイヤーが消え、外から夕暮れ時の騒がしい音が聞こえてくる。
…あっ、思い出したの! 雫に変身を解除させるの忘れてたの!
「しず…「雫! お前、今までどこに行ってたんだ!」」
ネーレがスケッチブックの表紙に移動して雫に声をかけようとした瞬間、何者かの声によって上書きされた。気がつけば雫の目の前には一人の大男が立っていた。大男は雫の服装を見て、更に怒りが膨らんでいく。
「先生から連絡があったぞ。昨日は高校に行ってなかったんだってな! 誰が授業料を払っていると思っているんだ!」
…なんなのよ! なんなのよ! 全く!
「…っ! ごめ…ん…なさい…」
「それに、なんだその格好はッ! そんな格好なんてしているから学校でいじめられるんじゃないか!?」
つい浮かれて魔力を使いすぎなければ、こんな奴、魔法で一発なのに!
もう実体化できる力が残っていないネーレは自分の行動を呪った。あるのは残りカスみたいな魔力だけ。スケッチブックの中で苦虫を噛み潰したような顔をして大男を睨む。それでも大男は止まらない。俯いて何も言わない雫に腹をたてたのか、大男が一歩、また一歩と距離を縮めていく。
なにかっ! なにかないのっ!?
ネーレがキョロキョロと周りを見ると、あるものに目が止まった。机の上に置かれていた白い練り消し。練り消しは雫によって遊ばれていたようで、ちょこんと座る猫の形になっている。
あっ! あれを動かす魔力ならあるの。
ネーレは練り消しに残りの魔力を全て込めた。
アンタも雫に作られたんでしょ。それなら雫を助けなさいよっ!
練り消しはギギギと体を動かしてひとりでに動き出した。
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