第119話 82年の重み
「そんなに優秀な御方だったんですね?」
俺は現在の火の巫女であるアイラ様について、過去形で尋ねた。
「彼女が巫女になったのは20代半ばです。それから60年近く巫女をやっておられました。すべての巫女、巫女候補の模範です」
口ぶりからしてこのローガンという神父は本当にアイラ様を尊敬しているっぽい。
「そんな彼女もボケたんですね……?」
「やはりご存じでしたか…………はい、その通りです」
「詳しく聞かせてもらえませんか?」
「そうですね…………最初は些細なことでした。物忘れが多くなったり、騎士の名前を間違えたりです。でも、特に問題視はしていませんでした。私も50歳を越えましたが、よくやりますし」
まあ、年相応なんだろうね。
「でも、アイラ様はさすがに80歳超えですよ?」
「そうです……そうなのです。あの方はあまりにも優秀だった。ソフィア様も優秀な御方でしたが、アイラ様はソフィア様と違い、真面目でした。だから私を含め、皆が信用しすぎたのです。あのアイラ様がミスをするわけない。あの巫女様がボケるはずはない、と…………アイラ様も人間だというのに」
アイラ様があまりにも優秀だったため、こいつらの中で神格化していたのか…………
こいつらはアイラ様を尊敬するあまり、人として見ていなかったのだ。
「何があったんです?」
「最初に変だと思ったのは毎日の日課である祈りの時間が短かったことです」
「祈りの時間とは?」
「巫女の仕事の1つです。これはレティシア様にもやってもらうことになるのですが、火の精霊であるサラマンダーのために祈ることです。まあ、簡単に言えば、様子見というか、調整ですね。サラマンダーの力が大きくなりすぎても小さくてもマズいので力を一定に保つことです」
四大精霊は4つでバランスを保って世界を維持しているらしいからなー。
バランスが崩れないように調整するんだろう。
これはレティシアにもできるな。
「なるほど。アイラ様のその祈りの時間が短かったんですか」
「はい。これまでの時間の半分くらいの時もありました」
「それは…………」
やってなくね?
「そして、致命的になったのは私に巫女候補の修行はいつやるのかを聞いてきたことです」
「巫女候補…………の修行ですか」
巫女の修行ではなく、巫女候補の修行を聞いてきたらしい。
「はい…………これを聞かれた時にようやく気付きました」
「80歳では仕方がないでしょう。正直に言いますが、いつ死んでもおかしくない年齢ですよ」
この世界がどうかは知らないが、日本でさえ、平均寿命は80歳くらいだ。
「そうなのです。我々はすぐにこのことを中央に報告し、次代の火の巫女選定を急がせました。そうしてレティシア様が選ばれたのです」
「他の修行を積んだ巫女候補でなく、レティシアを選んだのはサラマンダーを実体化できたからですね?」
「はい。私は精霊を扱うことが出来ないので、祈りの間がどうなっているかはわかりません。しかし、アイラ様のあの様子からして、ちょっとマズいんじゃないかと思っています……いや、ちょっとじゃないですね…………この問題があるので、他の巫女候補には悪いのですが、レティシア様を選びました。このタイミングで急にこれほどの力を持った巫女候補が現れるのは女神様のお導きではないかと」
正解。
「女神様は私にレティシアを巫女にし、ここに連れてくるように言われました」
「やはりですか…………そして、その使者がソフィア様の子……もう確定ですね」
「もう予想がついていると思いますが、サラマンダーは非常に荒れています」
「はい…………」
ローガンはガクッと項垂れてしまった。
「急ぎましょう。レティシア、着いて早々だが、仕事だ」
俺は隣に座っているレティシアを見る。
「そうね……神父様、祈りの間に案内してください」
「いえ、その前に引き継ぎをおねがいします。アイラ様の寝所に案内します」
引き継ぎなんてあるのか。
まあ、それくらいをする時間はあるし、レティシアにも巫女としての自覚が芽生えるかもしれない。
「わかりました。私としてもアイラ様に挨拶をしたいと思っています」
「では、こちらに」
ローガンが立ち上がったため、俺達も立ち上がった。
そして、部屋を出ると、外で待機していた騎士のヘンリーと共にアイラ様の寝所に向かう。
「レティシア様、先に言っておきます。アイラ様は引退勧告を受けてからはボケが急激に進行し、身体も弱り始めました。失礼もあるかもしれませんが、それについてはご承知願いたい」
「わかっています」
「申し訳ない」
ローガンも辛そうだなー……
俺達はそのまま廊下を歩いていくと、前方に扉の前に立つ修道女のおばさんが見えてきた。
ローガンはその修道女のおばさんの前まで行く。
「レティシア様をお連れした。アイラ様は?」
おばさんはただ首を横に振った。
「ダメですか……」
「今朝より体調を崩され、先ほど目覚められましたが、もはや私共のことすら覚えておられません」
修道女のおばさんは目頭を押さえた。
「そうですか……引継ぎは無理そうですね……」
ローガンと修道女のおばさんはがっくりと肩を落とした。
「通しなさい」
2人が落ち込んでいると、部屋の中から凛とした声が聞こえてくる。
「え?」
修道女のおばさんが思わず聞き返す。
「聞こえませんでしたか? 次の巫女が来たのでしょう。早く通しなさい。もう時間がないのです」
「は、はい! レティシア様、どうぞ!」
修道女のおばさんがレティシアに中に入るように勧めた。
「ほれ、行ってこい」
俺もレティシアを促す。
さすがに俺らは待機しておいた方がいいだろう。
「皆も入りなさい。ソフィアの子もです」
アイラ様の声を聞いて俺達は顔を見合わせる。
そして、ローガンが頷いたので、俺達は全員で部屋に入ることにした。
部屋の中は本当に何もなく、ただベッドがあるだけだ。
そのベッドに老婆が1人、上半身を起こし、こちらを見ていた。
「よくぞ、参られました、レティシア様。王族という立場でありながら巫女になろうとするのはとても立派です」
アイラ様はレティシアに頭を下げた。
「いえ。身分は関係なく、すべての人民の責務です。私は若輩者ですが、全力を尽くしたいと思います」
レティシアもまた、頭を下げる。
「懐かしいですね……年を取ると昔のことばかり思い出します。昔、かつての水の巫女が私と同じセリフを言った時、あなたの叔母は『いや、やりたくないんですけど』って返したそうです」
俺、あいつ、嫌い。
「アイラ様は尊敬できる人って言ってましたよ!」
フォロー、フォロー。
「うるせー、クソババアという言葉が今でも耳に残っています」
俺、マジであいつ、嫌い。
「…………すみません」
「リヒト、こちらに」
アイラ様が俺を指名してきたのでベッドのそばまで行く。
そして、俺はアイラ様を見た。
……見てしまった。
「確かにソフィアの子です…………あの子が人の親になりましたか」
アイラ様は俺の顔を両手で抑えながら言う。
「尊敬は一切できませんが、大切な母です」
「そうですか…………リヒト、私が見えますか?」
俺はすぐにこの質問の意図を理解した。
「いえ、見えません」
「そうですか。実は私も見えません。そういうことなんでしょうね…………」
「あなたは立派に巫女を成し遂げた。あとはレティシアがやるでしょう」
「そうですね。幼いし、まだ荒いが、優秀な子なようです…………リヒト、私の後始末を任せます。私は女神様に謝罪する準備をしなければならない」
「あなたは褒められることはあっても怒られることはない。母ですら許されたのですから」
母が無罪放免って、どんだけ甘いんだと思うわ。
「それもそうですね。では、女神様に褒めていただきましょう」
アイラ様は優しく微笑んだ。
「そうしてください」
「ええ。リヒト、本当に申し訳ない。あなたにサラマンダーの後始末は厳しいでしょうが、私はもはや頼むことしかできないのです」
ん?
「私では厳しいでしょうか? たかがトカゲの霊に遅れは取りませんが……」
「いや、祓わないでくださいね…………あなたは水の精霊であるウンディーネの加護を持っています。火の精霊のサラマンダーとは相性が悪いのです」
え? 聞いてない。
何それ?
もしかして、微妙に火トカゲに嫌われてるのはそのせい?
「ウンディーネですか?」
「あなたが生まれた時にソフィアが授けたのです。この子を守るようにと」
「それのせいで、今から苦労するのですか?」
「そうなります」
あいつ、ロクなことをせんな。
「まあ、何とかして見せます」
「頼みます。あなたの人生に幸あらんことを…………レティシア」
アイラ様がレティシアを見る。
「はい」
「後を頼みます。あなたなら立派な巫女になれます。せいぜい遊んで楽しく生きなさい。それと、リヒトはロクなこともしませんが、大丈夫です」
変な言い方だな。
いや、未来視でレティシアの未来を見たのか……
でも、もうちょっと褒めろや、ババア。
「えー……まあ、はい」
レティシアは渋々、頷いた。
「ローガン、アナ」
アイラ様は今度は神父と修道女のおばさんを見た。
「はい」
「アイラ様…………」
2人は涙を流しながら答える。
アイラ様の様子からして、今から何を言われるのか想像がついているのだろう。
「今までよく私を支えてくれました。あなた方には感謝しかありません。私の82年間の人生であなた方と共に過ごせたことが何よりの幸福です」
アイラ様が最後の言葉を紡ぎ始めた。
「アイラ様、何をおっしゃいます」
「そうです。引退をしたら故郷に帰るとおっしゃっていたではありませんか」
「そんなことも言いましたね。ですが、それは無理そうです。私は今日この日をずっと待っていました。まあ、間に合いませんでしたけどね。女神様が最後に私に褒美をくださいました」
さっき、この人に顔を触れられた時、この人の手は冷たかった。
そして、この人を見た時、この人の未来が一切見えなかった。
アイラ様はすでに…………
「アイラ様、時間です。私が送りましょう」
俺はアイラ様の前に跪いた。
「まさか、ソフィアの子に送られる日が来るとは…………本音を言えば、あの小娘を一発、ぶん殴りたかったです」
クソババアと呼ばれたことを気にしているらしい。
神父様も似たような気持ちなんだろうな。
「母には文句を言っておきましょう」
「結構です。どうせ聞きませんからね。ローガン、アナ、後は頼みます。私を追おうなどというバカな考えは捨て、幼いレティシアを支えなさい」
この2人、殉死する気だったのか…………
「…………わかりました」
「…………残りの人生をレティシア様に捧げます」
「よろしい。では、さよならです。まあ、あなた達もいい年なので、すぐに会えますよ」
ブラックなジョークだなー。
「アイラ様…………」
「アイラ様、あなたに仕えられたことを誇りに思います」
2人は涙を流し続けている。
「ありがとう…………」
アイラ様は最後に微笑み、感謝の言葉を口に出して崩れ落ちた。
「アイラ様!!」
「アイラ様…………」
俺はアイラ様を送ろうと思ったが、誰かがアイラ様の魂を連れていってしまった。
どうやら女神様は本当にアイラ様を褒めたいらしい。
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