大志の悩み

 梢のマネージャーと言う仕事が無くなった大志の一日は最早ニートと変わらない。昼前には帰宅し、

リビングで寝転びながら今後の事を考えていると父の洋介が買い出しから帰ってきた。

「帰ってくるの夜になるって言ってなかったか?」

 洋介が大志に尋ねると、大志の目からスッと涙がこぼれた。

「パパ、芸能人辞めようかな。僕は芸能界で誰にも必要とされていない」

 息子が父に対して感情的ではなく、悩みを打ち明けて涙をする事など、そうそう無い。洋介は今まで一度も大志の仕事に口を挟む事はしてこなかったが、ここで大志を強い言葉で突き放したら、大志が壊れてしまう気がした。


「舞台俳優を目指したらどうだ?」

 洋介は大志に提案をしてみた。洋介は他人が何と言おうと大志の演技が好きだった。熱意のある演技を批判されているのは知っているが、オーバーアクションの演技が下手と言われる理由なら、世の中に出ている演技派俳優は下手という事になる。

驚いた時に手を激しく動かして相手に喋りかける元アイドルの演技派女優、崩れ落ちながら大声で叫ぶ舞台出身の映画俳優など現実にはあり得ない。

しかし、その俳優達は視聴者を魅了する。その俳優達の演技は視聴者を物語に釘付けにして心を鷲掴みにする。その演技が好きな固定のファンから演技派と称えられている。


「僕は大女優、山本芙美の息子なんだ。舞台俳優なんて日の当たらない仕事は出来ない」

 大志は決してプライドが高いのでは無い。芙美の息子と言う肩書きが彼を苦しめていた。来る仕事を断る気は無いが、自分から表舞台を諦めて芙美の顔に泥を塗りたく無い気持ちの方が強かった。

「それに素人のパパに演技の事が分かるのかよ!」

 大志が珍しく激昂してしまった。

「そうだったな。父さんは素人だから視聴者として大志を見てる。絶対に舞台が合ってるよ」

 洋介は高慢こうまんちきな梢より大志の方が心配だった。梢は今のままの態度で仕事をしていれば、いずれ壁にぶち当たり誰も相手にしてくれなくなる。その時に助けてあげれば良い。しかし、大志は既に芙美という大きな存在に悩まされている。このままでは、自分が若かった頃に逮捕された2世俳優のようになってしまうのでは無いかと不安だった。

「でも、舞台俳優が日の目を見ないなんて事は無いぞ。舞台で必死に実力をつけて、地道にファンを増やせばいい。わざわざ大志の為にお金を払ってまで舞台に来てくれるお客は、余程の事がない限りお前を見限ったり嘲笑したりしない」

 大志は洋介が元俳優だった事を知らない。僅か数作品しかテレビ出演していない為、Wikipediaにも赤字で記載されていた。真剣に話を聞いてくれる洋介に自分が感情的になっていた事を反省した。


「ごめん。パパ。舞台の事真剣に考えてみるよ」

こぼれた涙を手で擦りながら大志は二階にある自分の部屋へ上がっていった。



 洋介の一日は殆ど家事で終わる。起きる時間の違う四人に合わせて朝食を作り、全員が出かけたら洗濯をして、食材の買い出しに出掛ける。昼ご飯を作った後、家の掃除を始めるのだが、この掃除が実は一番大変だった。洋介の家は都内にあるのだが、考えられない程広い。五十畳あるダイニングキッチンに部屋は二階も合わせると十個とトイレは男性用、女性用それぞれ2個ずつ、それに来客用の二十人座れるソファーのあるパーティ部屋、芙美が台本のセリフを覚える仕事部屋にジャグジー付きの家族全員で入ったとしても足を広げられる程のお風呂、家と同じぐらいの大きさの庭。毎日全部掃除していたら一日ではとても終わらない。曜日ごとに、しっかりと掃除をする場所を決めて他は2台のルンバを駆使しながら、拭き掃除をするだけだが、それでも夕方迄はかかってしまう。それが終わると晩御飯の準備に取り掛かる。帰宅時間が違うので、シチューなどの煮物などがメインになる。

今日の晩御飯は大志の好きな煮込みハンバーグにしようと、手間ではあったが、再度買い出しに走り、合い挽きのミンチを手でねて焼き目をつけながら、デミグラスソースに玉ねぎ、トマト、赤ワインを加えていつでも温めれば提供出来る状態に仕上げた。


「ただいまぁ。めっちゃ良い匂いがする」

鼻を激しく動かしながら空気に漂う煮物の甘い匂いに釣られて、学校から帰ってきた次男の健吾が真っ先にキッチンに入ってきた。


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