第35話

 ラバール警部は、明日ノーリモージュを出発して首都に戻るため、部下のティエールに手伝ってもらいながら帰り支度をしていた。

 夜に差しかかかったころ二人は荷物をまとめ終える。

 ラバールは大きなため息をついてベッドに腰を下ろした。

 ティエールも部屋にあった椅子に座る。ラバールはそれを見てティエールに話しかけた。

「やっと終わったね。じゃあ、この後は話をした通りお願いするよ」

「わかりました」

 しばらく、今後の捜査方針について話をしていると、急に窓の外が騒がしくなった。通りから人々の大きな話し声が聞こえる。

「いったいなんだ?」

 ラバールは立ち上がって宿屋の二階の部屋の窓から外を見た。

 通りでは、不安そうに話をしている人々を建物の前に掲げられている小さな松明が照らし出していた。

 そして、兵士らしき者が六、七名、通りを駆け抜けて、街の境界にある街壁の方へ向かうのが見えた。

「何かあったようだね」

 ティエールもラバールの横に並んで立ち、窓の外の様子を見る。

「何事か、ちょっと聞いてきます」

 そう言うと、ティエールは急いで部屋を出て行った。ラバールは窓の外を見続ける。すぐにティエールが通りの人に話しかけるのが見えた。

 そして、事情を聴いたティエールはすぐに部屋に戻ってきたが、かなり慌てている様だった。

「大変です」

「いったい、どうした?」

「ザーバーランド軍が街の外まで来ているそうです」

「えっ?!」

 想定外の事態にラバールは言葉を詰まらせた。

「そうか…。あちらさんは、協定を破ったってことだな」

「恐らくそうでしょう。外の人たちは、ザーバーランド軍が来たことを街壁に向かう兵士たちから聞いたそうです。それで、彼らは街から逃げ出そうかどうか迷っていると言っています」

「そのほうが、いいかもしれないよね。今、この街には軍隊らしい軍隊はいないから、もし、攻め込まれたらひとたまりもない」

 ラバールは、そういうとまた深いため息をつくと再び窓の外を見た。注意深く辺りを見回す。

 そして、街壁がある方向と反対方向を見て声を上げた。

「あれ! 見てよ! 城が燃えてるよ!」

「えっ?!」

 ティエールは驚いて窓から頭を出し、城のある方向を見た。

 城にある窓の一つからオレンジ色の小さな炎が上がっているのが見えた。

「あまり大きな火ではないですね」

「そうだが…、タイミング的にちょっと気になるね」

 ラバールは窓から離れると、コートを手にして部屋を出ようとする。

「城の方に行ってみよう」

「わかりました」

 ティエールはラバールの後について部屋を出た。


 宿屋から通りへ出ると、人々は不安そうに扉や窓から外の様子をうかがっていた。

 通りでは大きな荷物を持って移動する人もちらほらいる。きっと街から脱出しようとしているのだろう。

 二人は早足で城の方に向かう。

 その途中、ティエールはラバールに質問をした。

「城に行っても、いつものように中には入れないのでは?」

「そうかもしれないけど、まあ、とりあえず行ってみよう」

 宿屋から城まではさほど遠くなかったので、しばらく歩くとすぐに城門に到着した。

 城を見上げると、先ほどの炎は見えなくなっていた。おそらく消火されたのだろう。

 二人は、いつものように城門の衛兵を近くから眺める。

「どうしますか?」

 ティエールは不安そうに尋ねた。

 いつ来ても門前払いされてしまっているから、うまい理由を作って城に入りたいのだが。

「今、考えている…」

 ラバールはこめかみに手を当てて何やら考えているようだ。

 そうしていると馬車が一台、城門に近づくのが見えた。

 馬車の窓から人が顔を出して衛兵に話しかけている。その人物を見てティエールは声を上げた。

「あれは国家保安局のバルバストルですよ!」

「おや、本当だねえ。ちょっと急ごう」

 そう言うとラバールはいきなり駆け出した。ティエールもそれに遅れないように駆け出す。

 ラバールたちは馬車の側までやってきて声をかけた。

「バルバストルさん!」

 バルバストルは急に名前を呼ばれたので、少し驚いた表情をしてラバールに顔を向けた。

「ラバール警部?! どうしてあなたがこんなところに」

 ラバールは馬車の窓を見上げて答える。

「アレオン家の一件でここまで来ていたんですよ」

「というと、ジャン=ポール・マルセルに会いに来たのか?」

「その通りです」

「そうか。その彼に問題が発生したようだ」

「問題?」

「そうだ」

「あの火災と関係あるのでしょうか?」

「わからん。我々も急に呼ばれたからな」

「私らも同行して、いいですか?」

「ああ、構わん」

「ありがとうございます」

 バルバストルは窓から顔をひっこめると馬車は進み、そのまま城門に入っていった。

「まあ、そういうことなんで」

 ラバールは城門の脇に立つ衛兵にそう言ってティエールと一緒に馬車に遅れないように走って後に続いた。

「ついてますね」

 ティエールはぽつりとつぶやいた。


 バルバストルと彼の同行者数名が馬車を下りて城の大きな扉から中に続く廊下に入った。ラバールたちは城の中の構造はわからなないので、彼らの後についていく。

 廊下を進み、さらに階段を上がり、さらに廊下を進むと、火災のあった部屋の近くまで来たようだ。

 部屋の近くには、消火のために何人もの兵士と数名の魔術師がいた。

 炎は魔術師が水操魔術によって鎮火したようで、もう慌てた様子は感じられなかった。

 バルバストル一行は兵士たちをかき分けて部屋の中に入った。

 部屋の中には、黒焦げの大きな天蓋付きベッドの残骸、大きな執務机と椅子、壁際にソファ。

 床は濃い赤色の絨毯が敷かれていた。

 部屋半分程度の床の絨毯も燃えて真っ黒になっている。壁も二面近くが焼け黒焦げとなっていた。そして、足元は水浸しだ。

 そんな部屋の中では、二名の衛兵が部屋の中で何かを探している様だった。

 バルバストルは衛兵たちをまとめている上官の一人に近づいて尋ねた。

「私は国家保安局のバルバストルだ。いったい何があった?」

「どうやら、放火されたようです」

「犯人は?」

「おそらく、ザーバーランドの外交団数名による仕業だと思われます」

「街の外に居る軍と行動を合わせたのだろう。それで、その外交団は捕らえたのか?」

「行方不明です」

「なんだって? 城から出たのか?」

「いえ、城門は衛兵が守っていますし、衛兵は誰も出ていないと言っていました」

「そんなことがあるか?!」

 バルバストルは、いらだつように怒鳴った。

「事実として、城の中にはおりません」

「それと、マルセル様が行方不明と聞いているが」

 それを聞いて驚きの声を上げたのはラバールだった。

「なんですって?」

「おそらく」衛兵は続けた「外交団によって拉致されたと思われます。そもそもこの部屋はマルセル様が宿泊にお使いになられていた部屋なんです。今、部屋を調べましたが、焼死体がありませんでした」

 バルバストルは言う。

「しかし、いったいどこに行ったというのだ。念のため、城の中をもう一度くまなく調べてくれ」

「わかりました」

「いや」その会話を遮るようにラバールはバルバストルに話しかけた「どうやら本当に城の中にはいないと思います」

 そして、ラバールが指さした床の上には、バルバストルには見覚えのある、幾何学模様が描かれた鈍い銀色で小さな円形の鉄の板があった。

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