第29話

 エレーヌたち一行は、宿屋町で宿泊しながら数日かけて国境の街ノーリモージュへ到着した。移動のために利用した駅馬車の乗り心地は非常に悪かった。馬車の荷台に、椅子とは名ばかりの板が設置されているだけ。おかげで身体中が痛い。


 ノーリモージュは、戦前はザーバーランド王国との貿易で栄えた大きな街だった。しかし、戦争で貿易は途絶えた。それが原因で、街中には多く貿易の仕事に就いていた者は仕事を無くした失業者が多くみられた。みすぼらしい格好をした人々がたちが通りで座ったていたり、何かをするでもなくウロウロしたりしている。物乞いの人数も多い。

 さらに、戦争が終わって退役した元兵士で、職にありつけなかった者たちもそれなりの数がいるようだ。ボロボロの軍服を着た人々が失業者に混ざっているのが目に入った。

 道を進むと、ある建物の前に失業者や退役軍人たちの長い行列ができていた。おそらくそこでは食事を無料で提供しているのであろう。


 現在、ここの街の中心部に位置する城ではレクスリム王国とザーバーランド王国と間の停戦交渉の真っ只中だという。

 7年間の戦争の後半、レクスリムは戦闘では負けが続き、領土の一部をザーバーランドに奪われてしまっている。その結果、この街の少し先にある大きな川が停戦ラインとして暫定的な国境としとして決められた。

 停戦交渉が終わり、本格的に貿易が再会したら、昔のような賑わいを取り戻すことができるのであろう。失業者も減るに違いない。

 そして、停戦交渉をしているレクスリムの交渉団にエレーヌの婚約者ジャン=ポール・マルセルがおり、今は城の中にいるはずだ。

 今のエレーヌの中にいる魂は、その婚約者には全く興味がなかった。それよりも、早く元のエレーヌの魂を呼び寄せて、元の身体に戻してあげたいと考えている。

 なので、今の興味はザーバーランド王国国内の道案内役をしてくれるというボワイエという人物に会うことだ。


 一行は、街の外縁にある停車場で駅馬車から降り、ここからは徒歩で街の中心部に向かう。

 早速、ボワイエがいるという地図はジョアンヌが持っており、彼女が先頭で道を進む。

 道をどんどん進み、街の中心部に来ると人通りはあるが、先ほどのような失業者の姿は見えなくなった。

 さらに一時間程進むと、人通りはかなり少くなった。あたりは高級住宅街のようで、大きめの屋敷が並んでいる。大きめとは言え、エレーヌが住むアレオン家屋敷に比べると若干小ぶりである。


 ジョアンヌは地図を確認する。ようやくボワイエが住むと言われる家までやってきた。

 屋敷の敷地の前に表札がかかっている。ジョアンヌはそれを確認する。


 “ドロワ”


 名前が違う。ジョアンヌは再び地図を確認する。ここで間違いない。

 しかし、武器商人のデュランから聞いていた名前は、“ボワイエ”だ。

 門扉の前で、立ち止まったままのジョアンヌに、背後からエレーヌは声を掛けた。

「どうした?」

「いや、名前が違っている」

「そういえば、デュランは、ボワイエという人物がいたのは “戦争前”と言っていた。もう7年以上前のことになる。もしかしたら、引っ越ししてしまったのかもしれん。もしくは、兵士として徴用されてしまっているのかもしれん。その場合は戦死という可能性もある」

「屋敷の人に尋ねてみれば?」

 トリベールが提案した。

「そうだな」

 ジョアンヌはそう答えると門扉を開けて敷地内に入った。エレーヌとトリベールはそれに続く。

 ジョアンヌは屋敷の扉をノックした。

 しばらくして、扉を開き、中から背の高い身なりの整った初老の人物が姿を現した。おそらくこの屋敷の執事なのだろう。

 その人物は、ジョアンヌとその後ろにいるエレーヌ、トリベールを一瞥してから尋ねた。

「何か御用ですか?」

 ジョアンヌが質問する。

「ここには、ボワイユという商人が住んでいたはずだが」

「ええ。でも、それは、ずいぶん前の話です。今の主人が彼からこの屋敷を購入したのです。戦争が始まって貿易の事業が滞ってしまい、屋敷を売る羽目になったと聞いております」

「そうなのか。今、何処にいるか知らないか?」

「いえ、残念ですが、わかりません」

 その言葉を聞いてジョアンヌは肩を落とした。

「そうか。仕方ないな…。わかった、すまなかったな」

 ジョアンヌはそう言ってエレーヌとトリベールと共に屋敷を後にする。

「困ったな。道案内役がいないと、ザーバーランド領内に入ったら苦労しそうだ」

 ジョアンヌはため息を吐く。

「仕方ない。諦めよう」

 三人は屋敷を後にして、街の中心部へ戻っていく。


 適当な宿屋を見つけて、そこにしばらく滞在することにした。

 秘密裏に国境線を越えるため、警備の状況などの情報を取集するために時間がしばらく必要だからだ。

 当面の宿代や食料などを購入する金は、フンツェルマンにたくさん貰っていたので1ヶ月は滞在可能だろうとジョアンヌは踏んでいいた。

 三人はそれぞれ別の部屋に泊まることになる。

 ジョアンヌは部屋に入る前、宿屋の主人に国境の状況を尋ねてみる。現在、暫定的な国境は川になっていると聞いているが。

 ジョアンヌは尋ねた。

「主人、停戦ラインの川がどうなっているか知っているか?」

「と、言いますと?」

「警備はどうなっている? 軍がいるのか?」

「いえ、停戦ライン付近には軍はおろか国境警備隊もいません。停戦交渉中の間は軍隊などを停戦ラインから離しておくような協定になってるようです。なので、軍は街の外に駐屯地を作っていて、そこに臨時の監視塔が作られており、そこから遠目に監視しているそうですよ」

「夜だと、真っ暗だろ?」

「そうですね、何も見えないと思います」

「なるほど、ありがとう」

 その場を去ろうとしたとき、主人が尋ねてきた。

「ひょっとして、あなた、血のジョアンヌでは?」

「ああ、そうだ」

「へー。お会いできるなんて光栄です」

 そう言って主人は握手を求めてきた。

「もう、軍にはいらっしゃらないのですか?」

「ああ、退役したよ。今は用心棒をやっている」

「そうでしたか」

 ジョアンヌはふと思い立って主人に質問をする。

「そうだ…。ちょっと事情があって、ある人物の所在を捜しているんだが」

「誰ですか?」

「商人のボワイエというのだが」

「さー、私は知りませんね」

「そう言った情報を集めるとしたらどうすればいい?」

「そうですねー。具体的に誰かとはわかりませんが、盛場の適当な酒場に行けば、いろいろ知っている者がいるかもしれません」

「そうか。わかった、ありがとう」

 三人は相談して、夜になったら情報収集に適当な酒場に繰り出そうということになった。

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