第13話

 大聖堂で蘇生魔術によりエレーヌは蘇った。しかし、彼女は殺害される前の記憶が全く無いようだった。それどころか、話し口調は老齢の男性で、まるで別人のようになっており、そこに居た者すべてが彼女の状態を正確に把握することができなかった。

 エレーヌ本人も混乱しているようだったが、フンツェルマンたちが何とか説得して、ジータに手伝わせて服を着せ、午後にはアレオン家の屋敷まで連れて来ることができた。そして、屋敷では彼女を二階にある窓の無い来客用の部屋に閉じ込めることにした。エレーヌの行動が全く予想できないからだ。

 このエレーヌの部屋はニコルが使っている部屋の隣なので、廊下ではジョアンヌが同じ場所で椅子に座って監視を始めている。


 ニコル、ジャン=ポールとフンツェルマンの三人が部屋に残り、エレーヌの相手をして落ち着かせようとしている。

 バルバストルとラバールも屋敷まで来て、エレーヌが部屋に入るところまで見送っていた。

「一体どういうことなんでしょうね?」

 ラバールは思わず口にした。

「わからないですね。しかし、彼女が生き返ったことで囮として利用できる」

 その言葉を聞いてラバールは“冷徹だな”、と感じたが、口にすることはなかった。国家保安局はエレーヌ個人やアレオン家の事情はどうでもよく、国家の存続の事しか念頭にない。そういう組織だ。

「彼女の警護はどうしますか?」

「屋敷の中と庭に何人か配置します。敷地の外はこれまで通り警察のほうでお願いします。その前に、エレーヌが死亡していたと思われたがそれは誤診だったということで新聞に情報をリークします。それが、犯人に伝わると動きがあるでしょう」

「なるほど、わかりました」

 新聞は発行される部数が少ないので、一部は人の目に付く馬車の停車場の待合や大きなレストランなどで販売されている。新聞が号外として通りで配られることもあるが、今回のエレーヌは重要人物ではないので、号外になるほどの事件ではないだろう。なので、このことが人々に広がって行くのは少々時間がかかり、犯人の耳に入るのも遅くなると思われた。


 フンツェルマンがエレーヌのいる部屋の扉を開けて廊下に現れた。それに気が付いてラバールが声を掛ける。

「彼女はどうですか?」

 フンツェルマンは未だに困惑しているようで、首を大きく横に振って答えた。

「全くわかりません。今はエレーヌ様は黙り込んでいます。大聖堂で、以前のエレーヌ様とは全くの別人のようになっていたのは、ご覧になった通りです。老人、しかも男の老人ような言動です。本人は女の身体になっていることに困惑しているようなことも言っておりましたし…」

「なるほど」ラバールもうつむいて考える様にして、眉間にしわを寄せた。「うーん…。こういう話があります。人は、あまりにも恐怖を感じた時、その記憶を忘れ去ったり、別の人格で置き換えることによって、自らの精神を守るということがあるらしいです。最近、研究されている精神医学というらしいんですが」

「精神医学……、ですか?」

 フンツェルマンは初めて聞く言葉であった。

「そうです。最近、研究されていると私も聞いただけで詳しくは無いのですが、これで以前は“呪い”とか“憑依”とか言われていたのが、実はそうでもないということらしいのです。今回もそういう事例なのではないかと思っています」

「そうなのでしょうか?」

 フンツェルマンは半信半疑のようだった。

 二人の会話を遮るようにバルバストルが口を挟んできた。

「フンツェルマンさん。ともかく、我々はエレーヌ様の警護のため屋敷内と庭に人員を配置します。今日のところは戻りますが、明日の朝には人員を連れて改めて、ここに来ます」

「わかりました」

 バルバストルは、フンツェルマンの返事を聞くと急いで屋敷を後にした。

「我々警察も、引き続き屋敷周辺の通りを警備をします」

 ラバールもそう言って屋敷を後にした。

 その直後、ジャン=ポールがエレーヌの部屋を出て来た。廊下に居たフンツェルマンに話しかける。

「フンツェルマンさん」

「エレーヌ様はどうですか?」

「あれは全くの別人だ。蘇生魔術が失敗したのではないか?」

「私もそれを疑っておりました。もう一度、大司教に会って、これまでに同じようなことが無かったか確認したいと思います」

「わかった。どうあれ、私は彼女の婚約者だ、よろしく頼む」

「はい」

「交渉団もあまり長く留守にすることができないので、そろそろ国境まで戻らないといけない」

「ジャン=ポール様の事情もわかりました。ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いいたします」

「迷惑などではないよ」

 そう言うと、ジャン=ポールは早足で屋敷を後にした。


 フンツェルマンは再びエレーヌの部屋に入った。

 エレーヌとニコルはベッドに腰かけ、ニコルはしきりにエレーヌに話しかけている。エレーヌはショックを受けたようにじっとしている。ニコルの声は届いているのであろうか?

「お姉様、お姉様の名前はエレーヌです。私の姉です。わかりますか?」

 ニコルの問いかけにエレーヌは返事をせず、じっとして、うつむいている。

 エレーヌが蘇生した直後は、フンツェルマンたちが何者かとか、ここはどこかなどと問いかけていた。そして、聞いたこともない誰かの名前を上げて、その人物はいないのかと言っていたが、その人物が居ないとわかると、諦めたように話すのを止めていた。

 その後は、ニコルがいろいろ話しかけているが、ほとんど返事をしない状況が続いている。

「エレーヌ様、ニコル様」。フンツェルマンは話しかけた。「遅くなってしまいましたが、昼食を取られてはいかがでしょうか?」

「そうですね」。ニコルはわざと明るく答えてみせた。「お姉様もお腹がお空きでしょう。フンツェルマン、ここへ食事を持ってきてくれますか?」

「かしこまりました」

 フンツェルマンは頭を下げて部屋を出た。一階に降りるとメイドたちに指示を出して食事をエレーヌの部屋に運ぶように言った。


 エレーヌの状態はいつまで続くのであろうか? それとも、元に戻ることは無いのだろうか? フンツェルマンは最悪、彼女が元に戻らなかった時のことも考えて、アレオン家の今後を考えなければいけないと感じていた。

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