第8話
「んっちわーっ.」
「いらっしゃーい.」
黄色い店名入りエプロンが眩しい.
きっと変わらぬ笑顔で客として迎えてくれてる.
「よお,きぃちゃん.」
白々しい…
だけど,他に言葉を持ち合わせていない.
いつも通りが一番いい。
「スティックがねぇ.
折れたのだよ.」
「練習し過ぎじゃない?
この間もおかしかったし.」
「あっ…
調子良くなくて迷惑かけたよな.」
心配そうに,見つめるきぃちゃんは…
俺の腹を見てる…
「腹じゃない…」
思ったより,言葉効いてんぞっ.
じんの野郎めっ.
あの時,スティックも折れてたら…
俺の心も折れて,
俺も一緒に折れて,
再起不能だったかもしれない.
取り敢えず落ち着いた今で良かったと,
折れた瞬間思った.
初期の初期.
マメが手に出来てて,
きぃちゃんが気が付いてて,
「痛そう.」
と指差しながら呟いた.思い出せないぐらい前.
思い出せるけど,今でも共通の記憶で…有るか無いかは分からない.
確かめた所で何も変わらないし,
共通の記憶で無かった事が分かった瞬間,崩れ落ちそうだ.
「触ってみる?
楽器違うと酷使する場所違うよな.
そのうち,出来なくなるはず.
慣れて強くなって巧くなって.」
ちょっとした出来心だったけど,
きぃちゃんは普通に触れた.
すると,
きぃちゃんの指先が硬くて驚いた.
きぃちゃんは乗り越えてきたんだ.
力の入れ具合って重要だと打ってくうちに分かった。
自分の一生懸命には何とも思わなかったのに,
人の一生懸命に触れると
邪な気持ちが急に恥ずかしくなった.
安全牌が急に危険牌にはならない.
一生懸命,練習するのみだと.
黙ってスティック持ってレジに行けばいいのに,
きぃちゃんが見つけて
「これだよね.」
って笑いながら確認するのを待ってる.
でも,
不自然にならないように…
視線気を付けながら.
もう何をやってるのか
どんな顔してるのか
よく分からない.
「乗り換えてみちゃおうか。」
「はぅっ!?」
おぅふっ何だっ!?
きぃちゃんが,いつものスティックと
同じメーカーの違うロットを持ってた.
心臓に良くねぇわ.
「素材が違うの.」
「あー.
きぃちゃんの、その気持ちも分かる。」
分かるけれども。
何度も試し打ちして最適な1つを選んだ。
そこに自分の信念がある。
例え、合ってようが間違ってようが関係ない。
相棒は、そんなころころ変えられぬ。
「有難う。
今までを信じてるし、
これからも信じてるから。
いつも通りので。」
「分かった。
けもの、そういうとこ、
かっこいいと思うよ。
毎度ありっ。」
きぃちゃんが、にこっと笑って背を向けた。
手の届く事のない.
もう触れる事も許されない.
俺のじゃないミューズ.
願うだけ.
祈るだけ.
それくらい許される。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます