第13話ただいま、千尋の国ゾアン⑨
「賛成できかねます」
菖蒲は穏やかだがはっきりとした口調で言った。
「現に行方不明者がいる以上、放っておくわけにはいかない。菖蒲だってそう思ったから色々調べてくれたんだろ?」
「それは陛下の御手を煩わせたくなかったからです」
小言を右から左に受け流しつつ、アスラは荷造りを進めた。とはいっても、ついこの前旅から帰ってきたばかりなので、改めて準備するほどの物はない。
「大丈夫だって。ちょっと人間の国に行って様子見てくるだけなんだから」
「陛下が御自ら赴く必要がございますか?」
「ないね」
アスラはあっさりと認めた。拍子抜けした菖蒲に訊ね返す。
「でも、他に誰かいる?」
菖蒲は表情を曇らせた。
本来ならば、親衛隊や直属の配下が獣王の手足となって動けば済むことだ。
しかしアスラには親衛隊はおろか配下が一人もいなかった。ファルサーミはあくまでも世話役だし、菖蒲や牡丹は寵姫だ。獣王の寵姫『千花』は世界樹と水門を守る使命があるため、森を離れることは許されない。
「案ずるな。私が責任をもってこいつを連れて帰ろう」
「そうそう、ファルサーミの言う、」
アスラは横を向いた。いつの間にか尻尾を消したファルサーミがいそいそと旅支度をしていた。
「え? ファルサーミもついてくるの?」
「当然だ」
答えつつ、ファルサーミはどこかから引っこ抜いたと思しき樹木を丁寧に倒した。その根をまとめて布で包み、紐でくくる。樹木の植え替えを彷彿とさせる作業だった。
「念のためにきくけど、まさかその木を持っていくつもりじゃないよね?」
「俺は貴様とは違って繊細なんだ。いつも枕にする木の根元にもこだわりがある」
「だからって木ごと持っていく奴があるか!」
「仕方なかろう。木が変わると眠れん」
「ファルサーミ、人間は木を持ち歩いたりはしませんし、寝床を変える度に木の植え替えもしませんわ。それでは獣人族だと吹聴しているようなものです」
見かねた菖蒲がたしなめる。ファルサーミは鼻で笑った。
「馬鹿を言うな。木の根元以外でどこで寝るというのだ」
「寝台」とアスラ。追随するように菖蒲が「獣王陛下の寝室にもありますわ」と指摘する。先代の獣王ゼノが使っていた部屋をアスラはそのまま引き継いだ。天蓋付きの大きな寝台も然りだ。
「あんな鳥の巣で寝られるか!」
ファルサーミは地団駄を踏んだ。
「まあ、たしかにふかふかし過ぎて雲の上にいるみたいで落ち着かないけど……先代って結構、人間趣味だよね」
「よく森を抜け出しては人間の国に行かれてましたから、先代陛下も」
菖蒲は深々とため息を吐いた。
実際にゼノがあのふかふかの寝台で寝たのは、数えるほどしかなかったという。興味があって造らせたはいいものの、使ってみたら身体に合わなかったのだろう。先代の部屋には寝台の他にも、用途不明な人間の国産と思しきガラクタがたくさんある。
「お見送りするのはこれっきりですよ」
「水門の鍵を預けようか?」
アスラは腰の帯から鍵の束を取り出した。
「そういう問題ではありません……っ!」
菖蒲の尻尾が太くなった。相当のおかんむりだ。
「たとえ族長達に認められていなくても、臣下が一人もいないとしても、あなたは私にとって唯一の王です」
菖蒲はアスラの手を取ると、自身の胸に当てた。
「我が主にのみ勝利の栄光を。獣王陛下のご帰還を一日千秋の思いでお待ち申し上げます」
「ファルサーミが寝不足でぶっ倒れる前には帰るよ」
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