第12話ただいま、千尋の国ゾアン⑧
寵姫達の間でもセザの評価が高いのには理由がある。まず、単純に強い。幼くして父親である先代獣王をしのぐほどの格闘の才を持ち、成人すると同時に獅子族の長になった。
獅子族の頂点に立ってからは、森の外に戦いを求めて旅に出て研鑽を積んだ。北の海竜から南の赤毛熊まで、あらゆる化け物や怪獣を倒しては、毛皮や牙、骨肉などの戦利品を後宮に——つまり、寵姫達に贈ったのだ。強い。餌を捕ってきてくれる。ほとんど住処に居着かない。雌にとってこれほど理想的な雄はない。
しかし、それは寵姫達に限ってのこと。寵姫は寵姫でも名前だけの寵姫で、半獣に対しては海の水を煮詰めたくらい塩対応だ。
千花にいた頃も含めて、アスラはセザから戦利品を贈られたことは一度もない。紫苑に贈られたもののおこぼれに預かった程度。本人と顔を合わせれば「半獣」だの「流し子」だの馬鹿にされる。人前だろうがお構いなしで。清々しいまでの嫌われっぷりだった。
「それはそうと、行方不明者が続出しているとか」
アスラは強引に話題を変えた。セザが帰国する前に片を付けなければ、ややこしくなるのは目に見えていた。つがいなど論外だ。
「ファルサーミから報告を受けたんだね。あらかた調査も終わったところだよ」
「見つかったのか?」
「一人だけ」
牡丹は口元に手を当てた。
「見つけたというよりは、帰ってきたんだ」
「帰ってきた? ただの気まぐれで森を出てたってことか」
「いや、れっきとした誘拐だね。逃げ出したんだ。安心してくれ。怪我はない。意識もはっきりしているから色々聞くことができたんだけど」牡丹は困ったように笑った「逃げ出す時に相当暴れたみたいで、屋敷を半壊させてしまったらしい」
アスラは目を瞬いた。
「え……まさか本当に、人間に誘拐されたのか?」
にわかには信じられないことだ。
人間と獣人では生まれながら身体能力に大きな隔たりがある。年月の経過と共にその差は広がるばかりで、剣や銃といった武器を用いても到底埋められない。なにせ獣人族は鎖で拘束されても引きちぎり、弾丸を素手で弾き返すようなことを平然とやってのけるのだ。
人間が束になっても獣人には敵わない。それがこの世界の常識だった。
「どうやって?」
「覚えていなかった。気づいたら牢に入れられ、鎖で繋がれていたと言っていた」
牡丹は小さくため息を吐いた。
「誘拐の手際は見事だけど、捕まえた後はお粗末としか言いようがないね。獣人の、それも熊族が鉄の鎖で拘束できると本気で思っているのかな?」
「熊族じゃなくても、大抵の獣人なら獣化して半獣態になったら一発で引きちぎれるよな」
獣人特有の変身能力を獣化ゾアントロピーと呼ぶ。より獣に近い状態になることで身体能力がさらに向上するのだ。
「自分以外にも行方不明者がいるなんて思ってもいなかったから、とっとと逃げ出して帰ってきたそうだよ。他に有力な手掛かりはない」
詳しく調べる必要がある。問題は誰が調べるのか、だ。寵姫達は王城の守護役を担っている。緊急事態でなければ離れることはない。
そしてアスラはファルサーミや寵姫以外に信頼できて何かを任せられる腹心が一人もいなかった。
「どこの国だ」
「さっきも言ったけど城で大人しくするのも獣王の仕事だよ」
「四人も行方不明なのに? 誰も来ない玉座でふんぞり返るくらいなら、最初から獣王になんかならないよ」
アスラは暇だった。
新たな獣王が誕生した際は、各部族の長がやってきて就任の祝いと贈り物を捧げるのがならわしなのだが、誰も来ない。ご機嫌伺いに訪れる者もいなければ、相談事を寄せられることもない。就任直後はひっきりなしにやってきた挑戦者も途絶えて久しい。
どこをどう見てもお飾りの王だ。理由もわかっている。獅子族を筆頭に大半の獣人が、アスラを王とは認めていないからだ。やがて遠征から戻るセザが獣王になるまでのつなぎだと思われている——致し方ないことだった。承知の上でアスラは先代から獣王の座を受け継いだ。
「で、どこなんだ?」
牡丹は観念したように肩をすくめた。
「南西にある人間の国、ウィンヴィリア」
聞き覚えのある国だ。二度と関わることはない思えば、またしても。
「どうかしたのかい?」
「いや」アスラはかぶりを振った「行ってくるよ。残りの四人を探して、連れ戻してくる」
立ち上がったアスラを牡丹が呼び止める。
「ただ我が主にのみ栄光を」
アスラの手を自身の胸に当て、牡丹は恭しく礼をした。忠誠を込めた臣下の挨拶だ。獣王になって二ヶ月以上が経過しても、数えるほどしかアスラは礼を受けたことがなかった。
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