第9話ただいま、千尋の国ゾアン⑤
「誠意をもって事情を説明すれば」
「骨の二、三本を犠牲にすれば、セザも話くらいは聞くやも知れぬ」
悲惨な未来しかアスラには見えなかった。
もともとセザは次期獣王と誰もが認めていた獣人だ。それが遠征している間に、元寵姫でしかも半獣のアスラなんぞに獣王の座を掻っ攫われたとなれば、問答無用で殺しにかかってくるだろう。仮になんとかこちらの話に耳を傾けてくれたとして、セザが納得するとも思えない。
「どうして先代は一番面倒な奴に説明しないで死んだんだ。無責任じゃないか」
「不治の病に文句を言うな」
「猫科の獣人は自分の死期を悟ると聞いたぞ」
先代は獅子族だ。猫族の獣人である菖蒲が困った顔をした。
「あいにく死に瀕したことがないので、私にはわかりかねますが……」
アスラは深いため息を吐いた。
先代の訃報がセザに届いたのはひと月前。まさに攻め落としかかるところだったらしく「邪魔だ失せろ」と伝令役はすげなく追い返された。父親の死に動じることなく遠征を続ける胆力は流石というべきか、薄情というべきか判断に迷う。
そしてセザがカルナ山脈の主である大鷲カルサヴィナと戦い始めたのが一週間前、なおも死闘を繰り広げているらしい。相手は空を自由に駆ける鳥だ。手こずりはするだろうが間違いなくセザは勝利をおさめる。戦果をあげての凱旋帰国。そのまま獣王の座へ——それが、獅子族が描く絵図だとアスラは知っていた。
残された時間は少ない。
「セザのことは考えたってどうしようもない。どっちにしろ帰国したら真っ先にこっちに来るだろうし」
アスラは玉座から飛び降りた。
「そんなことより、つがいの候補だった連中は大丈夫なのか? ずいぶんと獅子族に酷い目に遭わされているようだけど」
「兎族と猫族なら心配はない。どちらも今は落ち着いている。問題は行方不明のままの狼族の奴だ」
「獅子族らしくないやり口だね」
つがいの邪魔をしたいのなら、猫族にしたように痛めつけて脅しをかければ済む。サラが言っていたように、獣王のつがい候補は山のようにいる。いちいち誘拐し監禁するという手間を掛けてはいられない。
「俺もそう思う。先ほどサラに探りを入れてみたが、まるで反応がなかった。狼族の件は、獅子族が関与していない可能性が高い」
ファルサーミは視線を流した。心得たように菖蒲は頷いた。
「少々気になりましたもので、お姉様方にもご協力いただいて、ここひと月の各族の様子を調べました」
菖蒲の言う『お姉様』とは先代の寵姫達、通称『千花』のことだ。元は同じ寵姫だったアスラとの親交は深く、新獣王になっても変わらない忠誠を誓っている。不在中も何かと協力してくれている、頼もしいお姉様方だ。
アスラがもしも雄だったのなら、つがい探しに苦労はしなかっただろう。それくらい寵姫達はアスラを可愛がってくれている。
「狼族だけでなく、鹿族、熊族、犬族、兎族にも行方不明者が出ているとのことです」
「ひと月で五人も? その割には騒ぎになっていないな」
「各族で一人だからだ。お前のように気まぐれで森を出る者だっている。一人や二人なら大して騒がないだろう」
頂点に獣王が君臨してはいるが、獣人は基本的に各部族による自治で生活している。部族ごと文化の独自性も強い。他の部族との交流は少なく、情報交換などはしていない。緊急時を除けば、年に数回、獣王の召集で族長会議が開かれる程度だ。
「偶然でないとしたら、誰かが獣人を攫っていることになる。心当たりは?」
「国内では皆無。他国の仕業としか考えられん」
「水妖の可能性は」
自分で口にしておきながら、アスラは嫌な気分になった。水妖。人魚も含めて海に棲む知的生命体の総称だ。人語を解すだけでなく、妖術——いかな道具を用いても起こすことのできない数々の現象を引き起こす超常能力を有しているのが特徴だ。獣人族とは『水門』を巡って長年対立している種族でもあった。
「真っ先に考えた。だが侵入した形跡がない。そもそも海から離れている千尋の森内では、大した妖術は使えないはずだ」
陸上での身体能力は人間程度、つまり獣人には遠く及ばない。水妖が脅威となるのはひとえに妖術が使えるからだ。しかしその妖術も水が豊富にある場所以外では使えなかったりと制約はある。
「水妖でなければ、残るは人間、か……」
「周辺国の調査は進行中です。牡丹お姉様が指揮を取って、小動物達に情報を収集させています。おそらく今日、明日にでもご報告できるでしょう」
側近の対応と連携は完璧で、もはや獣王なんぞお飾りだ。
「頼もしいなあ」
「あぐらをかくな。王はお前だ」
小言を忘れないファルサーミに、アスラはへらりと笑った。
「おかげで心置きなく留守にできるよ」
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