第8話ただいま、千尋の国ゾアン④

「いや、前から悪いとは思っていたんだ。獣人族でも屈指の力を誇る獅子族の者をつがいの候補として考えていないなんて。仮にも獣人族を統べる王が」

 アスラは手すりに肘をついて傲然とかまえた。

「私の帰還とほぼ同時にサラ殿が獣王城までお越しくださったのも神の思し召しかもしれない。獅子族に適齢の雄はいないか?」

 サラは唇を引き結んだ。隠しようもない激情が、微かに色を失った唇を震わせる。

「あいにくですが、獅子族には適齢の者がおりません」

「サラ殿には御子息が二人いたと記憶しているが」

「一人は既につがいを得ております。もう一人はまだ成人しておりません」

 つがいがいようがいまいが、サラが息子をアスラのつがいにと差し出すことはまずない。獣王の座の件もあるが、純血至上主義者にとって自分の直系に穢れた半獣の血を入れることは、何よりも屈辱的なことだ。

「つがいがなく、成人した殿方……」

 終始沈黙を守っていた菖蒲が呟いた。

「サラ様、これ以上なく相応しい方がいらっしゃるではありませんか」

 菖蒲は目を輝かせた。花が咲いたような可憐な笑顔だった。

「先代の御子息、セザ様です」

「ありえません!」

 激しく拒絶するサラに、菖蒲は小首を傾げた。

「何故でしょう? 獅子族最強と名高いセザ様でしたら獣王のつがいとして申し分ありません。アスラ様と歳もそう変わらないかと」

「セザは我々獅子族の長です。獣王陛下のつがいにはなれません」

 特定の一族を優遇しないための措置だ。獣王本人およびつがいや寵姫、側近は族長を兼任できない。サラの主張は一見もっともらしいが、ファルサーミが間髪入れず穴を指摘する。

「それこそ貴殿の御子息が族長の跡を継げば良いのでは? セザと陛下は幼少の頃から親交がある。お互いの性格もよく知っているだろう」

 その『親交』については異を唱えたいところだが、公の場なのでアスラは黙っていることにした。

「なりません」

 サラは頑として譲らなかった。

「セザには心に決めた者がおります。名は挙げられません。ですがセザ本人の口からたしかに、つがいに決めた者がいると聞いております」

 相手の名前はおろか、どこの一族かすら不明。信憑性は皆無だ。しかし肝心のセザ本人が不在では真偽を確かめようもなかった。

「ではセザが帰還したら訊ねよう。登城するように伝えてくれ」

「かしこまりました」

 苦虫を噛み潰したように承諾すると、サラは下がっていく。厄介者が完全に退場したのを確認してから、アスラは側に控えるファルサーミを軽く睨んだ。

「誰と誰の『親交』があるって?」

 名目上とはいえ寵姫だったアスラと、先代獣王の息子であるセザは面識があった。ファルサーミの言っていることは嘘ではない。肝心の実情を踏まえていないだけで。

「セザとは顔を合わせる度に取っ組み合いの喧嘩をしていたじゃないか。どうやったらそれでつがいの話が出てくるんだ」

 犬と猿の方がまだ仲がいいと周囲に言わしめるほど、アスラとセザは険悪な関係だった。純血種で獅子族であることを誇りに思うセザは、半獣で親なしのアスラを蔑んでいた。馬鹿にされる度にアスラがセザに食ってかかり、ぼこぼこにされるのが日常だった。セザが成人してからは疎遠になり、必然的に喧嘩はなくなったものの、会ってもいないのだから良好な関係になるはずもない。

 当時、城にいたものならば誰もが知っていた。幼いアスラの格闘指南役兼お守り役だったファルサーミならば、尚更だ。

「拳による交流だろう? 挨拶が多少過激になるのは獣人ならばままあることだ」

 ファルサーミはしれっと答えた。

「お前の好きな猫科だぞ。何が不満だ。セザなら他の獣人達も納得する。獅子族は納得しないだろうが表立って反対はできない。つがう相手として不足はないと思うがな」

「そりゃあ猫か犬かどっちかと言われたら猫の方が……って違う。問題はそこじゃない。あのセザが、大人しくつがいになってくれると思うか?」

 ファルサーミと菖蒲が顔を見合わせた。

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