プロローグ②

 職人の話しぶりには、青年を怖がらせようとする意図が透けて見えたが、すべてが噓ではないようにも思われる。ゾッと背筋が寒くなって、青年は小さく身震いした。

(櫛社、て。ホンマに、ここには恨みを残して死んだ女の人が祀られてたんやろか。お社を壊されたこと、やっぱし怒ってるんやろか。いやいや!)

 青年は、心にじんわり湧き上がってきた恐怖を、首を激しく振ることで追い払った。

(そもそも恨むとしても、俺やのうて、その娘婿とかいう奴やろ。俺は赤の他人で、上司の命令で仕事しとるだけや。関係ないない!)

 それでもこのいまいましい仕事を一刻も早く終わらせたい気持ちが募り、青年は改めてショベルに手を掛け、片足を載せて体重をぐっと掛けた。

(あ、行けそうや)

 いちばん中央に置かれた、ひときわ大きく、いっそう土中深く延びている石の先端にようやくショベルが到達したらしい。

 土に刺したままのショベルを揺さぶると、大きな石が、ぐらり、と動いた。

「よっしゃあ!」

 思わず大きな声を出し、てこの原理を使って全体重をショベルの持ち手付近に掛けると、石はゆっくりと……それこそ本当に歯が抜けるときのように地面から離れ、持ち上がってきた。

「よーし、最大の峠を越したで」

 そんな言葉で自分を励ましつつ、青年はいったんショベルを置き、もうフリーになった石を両手でつかんで持ち上げた。

 それを他の石を積み上げてできた小山のてっぺんに誇らしく据え、さて、次の石をと思ったそのとき、青年はさっきの石を取り除いてできた穴の中に、何かがあることに気がついた。

「ん?」

 驚いて地面にりようひざをつき、軍手をはめた両手で土を払いのけてみると、どうやらそれは、淡いサーモンピンク色の、ややザラザラした表面を持つ物体のようだ。

「何やろ、これ」

 好奇心に突き動かされ、青年は土を指先でほじくるようにして掘り進め、やがて手のひらに載るほど小さな、素焼きのつぼを発掘した。

 ちょうど、つくだを入れる瓶くらいのサイズだ。

 じっとり湿っているし、何だかヌメヌメしていてよくわからないが、動物の革のようなものでしっかりふたをしてある。

「軽いな。……うわ、なんやこれ!」

 手のひらに壺を載せ、土を払いながらしげしげと眺めていた青年は、驚きの声を上げた。

 壺の側面には、何やら墨とおぼしき黒々とした筆跡で、奇妙な文字やら模様やらが一面に描かれていたのである。

 それは、よく古風なジャパニーズホラー映画で見かける、いわゆる「お札」に書かれている模様とよく似ている。

「気色悪ッ」

 それに気付くなり、青年は総毛立った。

(これ、ちやちやヤバいやつ違うんか)

 あやうく壺を取り落としそうになって慌てて両手でいやいや包むように保持すると、現場チーフのもとへ駆けていく。

 しかし、顔面そうはくになった青年から壺を見せられたチーフは、いかにも不愉快そうに太いまゆをギュッとひそめた。さほど体格がいいわけではないが、ギョロリとした目には迫力がある。

「それが何やっちゅうねん」

 低い声でとがめられ、青年は身震いしながら、両手で壺を包み、上司に差し出した。

「そやから、石の下から出てきたんです。お社の下に埋められとったもんやし、なんやけったいな模様描いてあるし、ヤバいやつ違うかと思うて」

 チーフはおおめ息をつき、地面につばを吐いた。

「あんなあ、俺はお前に石を掘れ言うたんや。壺掘れとは言うとらんで」

「いや、俺もそんなつもりはなかったですけど、出てきてしもたんです。あの、たぶん古いもんやろし、どっか……確かテレビで、教育委員会とかに届けなあかんて言うとったような気ぃするんですけど」

「そないなこと、しとる場合か! ドアホ!」

 上司に頭ごなしに怒鳴りつけられ、青年はヒュッと身をすくませる。チーフは、軍手の指で空を指した。

「ずっと雨続きやったせいで、ただでさえ工期が遅れとんのや。引き渡しの日ぃは、ビタイチずらされへんのやで?」

「それはわかってますけど」

「そやったら、その壺、どないしたらええかはわかるやろ。役所に届けて、万が一、時代もんやってわかってみぃ。工事止められてえらいことになんねんぞ」

「そ、それは、そうかもですけど。ほな、どうしたらええんですか?」

「どうしたらて、決まっとるやろ」

 そう言うなり、現場チーフは何のちゆうちよも前触れもなく、青年の右手首を上から強くたたいた。

「あっ!」

 不意を突かれた青年はよろめき、その手から、小さな軽い壺はなすすべもなく地面に落ちた。

「ああああ!」

 青年の目には、まるでスローモーションのようにゆっくりと、壺が木っ端じんに砕け散るさまが映る。

 チーフは、満足げに言った。

「なかったことにしたらええねん。そないな壺ひとつに構うより、工期守るほうが大事やろが」

「そんな」

 彼は慌ててその場にしゃがみ込み、破片を拾おうとしたが、それより早く、チーフがごつい作業靴で破片を踏みつけ、さらに破壊してしまう。

「なんぼなんでも乱暴な……」

 しゃがんだままぼうぜんと上司の顔を見上げる青年に、チーフは吐き捨てるように言った。

「見てみい。中に何も入ってへんやないか。こないなもん、ガラクタや、ゴミや。ええから早う仕事に戻れ。今日じゅうに全部の石をどけられへんかったら、お前だけここに置いて引き上げるからな! 次に要らんもん掘り起こしたら、クビやぞ」

 そんな無情な𠮟しつせきを残し、チーフは青年にクルリと背を向けておおまたに立ち去る。

「ああ……せっかく、長いこと無事でおった壺やったやろに」

 中に何も入っていないと知ると、さっきまでの恐怖は消え、どこか気の毒な気持ちが胸に湧いてくる。

 せめて少しでも復元できるピースはないかと足元を見下ろしたが、チーフの重い靴は、もろい壺を完膚なきまでに粉々にしてしまっていた。

「なんか、ゴメンやで。恨まんといてや」

 壺に謝っているのか、櫛社の御祭神に謝っているのか、本人にもよくわからなかったが、青年は手を合わせて頭を下げると、あきらめて立ち上がった。

 もうこの壺にしてやれることは何もない。となれば、チーフにまたどやされる前に、自分の仕事に戻ったほうがいい。

 青年がどうにか気持ちを切り替えて歩き出した、そのとき。

『ようやった。褒美に、お前はわずにおいてやろう』

 突然、一陣の風が吹き抜けたと思った瞬間、ハッキリした男の声が耳元で聞こえた気がして、青年は「えっ?」と足を止め、辺りをキョロキョロ見回した。

「誰もいてへんよな。えっ、さっきの……幻聴? いやいや、ビビりすぎやろ、俺」

 しっかりせえよと自分の頰を軽く叩いて、青年は今度こそ持ち場に戻っていく。

 背後で突然起こったつむじ風が、壺の破片を巻き込んで空高く連れ去ったことなど、青年はついに知ることがなかった……。

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