妖魔と下僕の契約条件

椹野道流/角川文庫 キャラクター文芸

プロローグ①

 京都府京都市きよう区某所。

 使い込まれた重いショベルで土を掘る手を休め、青年は首から掛けたタオルで、額からとめどなく流れ落ちてくる汗をぬぐった。

 まだ六月半ばだというのに、昨日からいきなり、真夏並みの猛暑日になった。

 昨日テレビのニュース番組に出ていた気象予報士の予想によると、この暑さは八月末まで絶え間なく続くらしい。

(なんでこんなときに、俺は外仕事をせなあかんねん。くそ、気象予報士なんぞ、涼しい部屋から他人ひとごとやと思うて暑い暑い言いよってから。何様やねん)

 何の罪もない気象予報士を理不尽にののしりつつ、青年は頭上から容赦なく照りつける太陽を恨めしそうに一にらみしてから、周囲をぐるりと見回した。

 青年が今いるのは、住宅の新築工事現場である。

 昔からあるお屋敷を取り壊し、広大な敷地を細かく分割して建売住宅にするという、バブルがはじけて以来、あまりにもありがちなケースだ。

 と言っても、青年の仕事は「家を建てること」ではない。

 青年が従事しているのは、「外構工事」である。

 外構とは、大雑把にいえば住宅敷地内の、建物の外にある構造物のことだ。

 たとえば門扉、塀やさくや垣根、車庫、門から玄関までのアプローチ、物置、そして庭などがそれにあたる。

 この春、彼が就職した大阪府内の会社は、そうした外構全般を手広く扱っている。

 青年は経理に携わるべく採用されたのだが、人手が足りないからと、研修の名目で現場に駆り出される日々が続いている。

(ホンマやったら、今頃は涼しいオフィスで働いとったはずやのに)

 青年は少し離れた場所にいる同僚たちに視線を向けた。

 皆、フェンスの基礎工事とアプローチのコンクリート打ちの準備に大わらわで、ぽつんと離れた場所にいる青年のことなどすっかり忘れてしまっているようだ。

 そもそも何故、彼だけが別の場所で作業をしているかというと、これがいささか怪しげな話なのである。

 実はお屋敷時代、庭の一角に小さな社があり、建物を取り壊すときに共に撤去された。

 今、青年がやっているのは、社があった場所に敷き詰められていた石の掘り起こし作業である。

 本格的な造園工事に取りかかる前に、邪魔になる社の名残をかんぺきに取り除かなければならないのだが、やはり長年大切にされてきた社があった場所を、重機で無造作に掘り起こすというのは、たとえ外構業者でも気が引ける。

 結局、ろくな技術もないのに現場に送り込まれた青年が、つるはしとショベルを渡され、皆が嫌がる作業を押しつけられたというわけだ。

 石は二十個ほどもあるだろうか。それぞれは大きくないが、しっかりと埋められている上、土が硬くて掘り起こすのにひどく骨が折れる。

「まるで氷山やな。てっぺんだけが地面に出とる、みたいな。て、上手うまいこと、たとえとる場合か」

 きっちり自分にツッコミを入れて独り言を締めくくり、青年は再び石との格闘を始めた。

 彼の独り言のとおり、どの石もパッと見はタイルのように薄く見えるのだが、その実、地中に埋め込まれた部分が驚くほど深く、ガッチリと土に食い込んでいる。

 氷山というより、永久歯にたとえたほうが適切かもしれないほどだ。

(やっぱし、お社を絶対倒さんように、昔の人も基礎に命をかけたんやろかな)

 そう考えると少しは評価できる気がするが、それにしても、午前いっぱいかかって八つしか掘り出せていないという事実がいささかつらい。さっきも現場チーフがやってきて、「まだそんだけかいな」と苦笑いしていった。

(そんなん言うんやったら、つどうてくれたらええねん!)

 相手に直接ぶつけることができない憤りをパワーに変えて、カチカチに詰まった土にショベルのとがった先端を勢いよく潜り込ませる……と。

「お兄ちゃん、ひとりでそんなんやらされて、えらい災難やな。その仕事が無事に終わったら、どっかおはらいに行きや」

 背後、しかも驚くほど近くからそんなだみ声が聞こえて、青年は土に刺さったままのショベルから手を離し、振り返った。

 そこにニヤニヤして立っている小柄な男性には、見覚えがある。一昨日おとといから現場入りした内装業者のひとりだ。

 話すのは初めてだが、丸めた壁紙や脚立、大きなハケや定規が入ったバケツを持って行ったり来たりしているので、おそらくクロス職人なのだろう。

「お祓いて」

 物騒すぎる初対面のあいさつに青年が驚いていると、初老のクロス職人は、底意地の悪い笑みを浮かべ、くわえ煙草でこう言った。

「なんや、知らんのんか。あんたが掘り返しとる石の上に建っとったお社な、何百年もここで大切にされとったいわくつきの奴やったらしいで」

 職人の言うことがみ込めず、青年は吹きかけられる煙草の煙を片手で払いながら応じた。

「いわくつき? そやけどお社を取り壊すとき、神主さんがちゃんとお祓いしたて聞きましたけど」

「そないなもん、気休めや」

「気休めて。ここ、そない怖い神さんがまつられとったんですか?」

 つい真顔になった青年の疑問に、職人は声を低めた。真っ昼間だというのに怪談でもしているような口調で、彼は告げた。

「俺も現場監督に聞いた話やけどな、お社の中は長らく空っぽやったそうや」

 青年は、なんだというように、ショベルの持ち手を軽くたたいた。

「ほな、誰もおらん空き家のお社やないですか。怖いも何も」

「話はここからや。ここいらはな、平安時代はなーんもない野っ原やったんや。そこに、ぽつーんとこのお社だけがあったらしいわ。古い絵巻にわざわざ描かれとるんやて」

「そんなに古いもんやったんですか!」

「そや。まあ、もちろん何度も建て直されたやろけどな。で、その絵巻には、ここにあった小さいお社に『くしやしろ』て添え書きされとったんやて」

「くし?」

「ほれ、髪の毛をかす、あれや」

「ああ! って、櫛のお社ってことは」

「もともとは、櫛がご神体やったんちやうか。きっと木ぃでできたもんやったやろから、早晩朽ちてのうなってしもたんやろなあ。な、怖いやろ」

「いや、櫛とかただの道具やし、むしろ怖ぁないでしょ」

 苦笑いする青年に、職人は短く刈り込んだ自分のごま塩頭に両手を当て、真っ直ぐな長い髪を表現してみせた。

「櫛やで? 昔の女が、長~い髪を梳かすんに使つこうたもんや。女のどえらい情念、いやおんねんがこもったもんやなかったら、お社に祀ったりせんやろ。おお怖」

「じゃあ、祀られてたのは櫛っていうか、持ち主の女の人?」

「そういうことやろ。お屋敷のあるじは代々お社を大事にしてはったらしいけど、先代が亡くなって跡を継いだんが東京もんの娘婿らしいわ。そら、お屋敷もお社もどうでもええわな。あっちゅう間に一切合切取り壊して、金に換えたっちゅう寸法や」

「……はあ」

「誰が祀られとんのかわからんけど、そない粗末に扱われたら、お社の神さんが腹立てて当然や。たたりを恐れてここいらの外構業者は誰も手ぇ挙げんで、何も知らん大阪のあんたらんとこが、ここの仕事を請けたっちゅうわけや。貧乏くじ引いたな、兄ちゃん。ほんま気ぃつけや」

 はようお祓いに行きや、と念を押し、クロス職人は煙突のように煙草をふかしながら去っていった。

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