459.(幕後)守るために恨まれる覚悟を

 後悔はしていないか? 年老いた夫に問われて、私は首を横に振る。目を閉じた瞼の裏に、あの日の決意がよぎった。


 日本で生まれ育ったユイナの記憶を持つ私は、この世界でエルフリーデ・ツヴァンツィガーだった。ユイナが遊んだ『精霊の剣の聖女』という乙女ゲームの悪役令嬢として。愚かな自称聖女に家宝の剣を強請られて拒否し、夜会で断罪される。両親とも話し合って、いざとなれば独立の道も考えていた。


 窮地を救う白馬の王子様ならぬ、隣国の王太女殿下は颯爽と現れて私を攫う。その凛々しい姿に一目惚れした。大使館を攻撃する愚か者を許さず、毅然とした態度で応じる彼女に、一生を捧げようと決めた。


 女だてらに剣を使う。その強さが褒め称えられるほどに、周囲は距離を置く。しかし主君の兄カールハインツ王子は違った。素直に負けを認め、私に求婚すると言い放ったのだ。驚いたけれど、悪くないと思えた。


 軍の指揮権を持ち、騎士団を組織し、王太女殿下を支える。己の剣技も磨いて、いつでも盾になれるよう近くに控えた。私は人の欲を甘く見ていたのだろう。前世の知識があり、精霊の魔法が使えたとしても……平和な日本育ちの考えが染み付いていた。


 軍事力と豊かな領地、財力を兼ね備えた女が、第二王位継承権を持つ王子と結婚する――その姿が、外からどう見えたのか。追い越される男の嫉妬と、憧れを通り越して顔を顰める女の陰口。それらが度を越した時、世界は私に牙を剥いた。


 周辺領地を抜ける荷物が、無駄な足止めを食ったのが最初だ。他の領地から来た兵が不穏な噂を煽り、商人の足が遠のいた。一番簡単な解決は、私がカールと離婚すること。そう考えた私を止めたのは、クリスティーネだった。


「あの人を守り通す覚悟があるなら、誹られても忠義を尽くしなさい」


 私だけでなく、エレオノールも同様だった。宰相として辣腕を振るうほど、外から来たくせにと妬まれる。十年の間に併合された国の王族は、自分達の方が優秀なはずと敵意を露わにした。国外の敵なら討ち滅ぼせばいいが、これは駆除するのに犠牲を伴う。


 こんな醜い感情で、あの人が作り上げる理想の国を滅ぼすわけにいかない。


「私はブリュンヒルト様に恨まれる覚悟を決めたわ」


 エレオノールの決意に、私も同意した。カールもそこに加わる。クリスティーネが持ち込んだ情報は、前女王が企てた計画だった。否定するのではなく、この策を利用する。黒髪の外交官はそう口にして、艶やかに笑った。


 私達の目的はこの断罪によってブリュンヒルト様の権威を高め、シュトルンツに不満を持つ諸国の王族を黙らせること。女王が自らの手足を切り落とした、そう思わせる状況を作れば、愚か者が馬脚を表すと踏んだ。私より策略に長けたカールも渋々頷く。


「恨まれるでしょうね」


「ヒルトは分かってくれるさ」


 呟いた私の茶髪を撫でる夫は、慰めるように囁いた。けれど、エレオノールはまったく逆だった。


「私は構いませんわ。ブリュンヒルト様の気持ちが、今より私達に向くんですもの」


 ぞくっとした。この子も壊れている。ブリュンヒルト様に従う人は、どこかが欠けていた。感情の希薄な私、壊れたエレオノール、自分すら駒として扱うクリスティーネ、リュシアンは人の感情を理解しない。一番壊れているのはテオドールだけれど。


 隣の夫カールも、ブリュンヒルト様に魅了された一人だ。溢れんばかりに放つブリュンヒルト様の輝きを、私達は必死で求める。その甘い蜜のような信頼を啜り、注がれる関心をかき集めた。ええ、そうね。悪くないわ。


 国内貴族の嫉妬を一身に浴びる側近は、すべてブリュンヒルト様が他国から連れてきた。その事実は、どんな功績を重ねても覆らない。ここで護衛隊長と宰相が権力を削がれれば、彼らの溜飲が下がる。その利益は大きかった。


 持ちかけられた前女王の策は、見かけを借りて中身を書き換えた。ブリュンヒルト様へ向かいかねない不満を、すべて私達がこの身に被る。その不利益も罪の痛みすら、あなたの治世を支える礎になるなら本望だった。


「裏切り者? 上等よ。心に嘘をつかないで生きるなら、外側は泥を被ってこそ」


 ようやくバランスが取れるというものよ。胸を張って、あなたを裏切りましょう。私の大切な主君へ、身命を賭して仕えるために。


「羨ましいわ。私もそちら側が良かった」


 クリスティーネは拗ねたように呟く。併合された国を渡り歩く彼女は、羨望や嫉妬の渦から弾き出されていた。仲間外れにされた気分と唇を尖らせる美女に、私は肩をすくめた。


「何を言ってるの。少しの間、ブリュンヒルト様を頼むわ」


 必ずまたお側で、役に立ってみせる。その日まで、大切な主君を任せるんだもの。命懸けで頼むわ。クリスティーネは、大きな目をぱちくりと瞬き、ほわりと笑った。


「もちろんよ、二人とも……早く戻ってきなさいね」


 エレオノールと私は頷き合う。きっと困難で複雑な道を選んだ私達を、ブリュンヒルト様は叱るでしょう。バレたら叱られるのを承知で、私達は激痛を伴ういばらの道を選んだ。













******************

 エルフリーデの独白です。皆様のリクエストが多かった「裏切りの裏側」でした。明日はエレオノールかな_( _*´ ꒳ `*)_

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