457.(幕後)マルグリッドの物語

 偶然の事故だった。誰かの作為が絡んでいた方が、父は納得できたのだろう。バッハシュタイン公爵の妻となった私は、いまならそう思える。けれど、出会った頃は母に冷たい父を恨んだ。


 私の家名は四度変わっている。商家の娘マルグリッド・ベルツから、オストヴァルド侯爵令嬢、養女に入ったシュレーゲル侯爵令嬢、最後にバッハシュタイン公爵夫人。どれも私を示すのに、どれも偽物になってしまう。


 オストヴァルド家に嫁いだ母は、侯爵夫人として立派に役目を果たした。女王制のこの国では、男女問わず爵位を継承できる。そのため初子を身籠った時点で、貴族夫人がもっとも重要視する「跡取りの誕生」は目前だった。


 優しい夫、順調な領地の経営、身籠った我が子。何一つ不自由はなかった。出産前最後と決めた夜会の帰り道、その不幸な事故は起きる。崖から転げ落ちた馬車は、隊列の複数の騎士も巻き込んだ。転がった崖の下に壊れた馬車。翌朝発見されるまで、誰も事故に気づけず助けを呼びに行けなかった。


 十人以上の護衛や侍女が犠牲になった現場は、朝日が差し込むまで戦場だったと言う。血の匂いに呼ばれた獣が集まり、狼や熊と戦うことになったのだ。すぐに逃がされたであろう侯爵夫人はその後、発見されなかった。数十日の捜索が打ち切られた後、オストヴァルド家は社交を取りやめて引きこもる。


 愛する妻と、生まれてくるはずだった我が子。両方を一度に失った当主である父の心境を慮るより、実父と思っていた商人と引き離された私は自分の感情で手いっぱいだった。幼かったのだろう。弟と半分しか血が繋がっていないと知った衝撃も大きかった。記憶の戻らぬ母は己を責めるオストヴァルド侯爵と、商会主ベルツの板挟みとなり、気を病んで早世する。


 エドゥアルドに妻に望まれ、最初に望んだのは養子縁組だった。オストヴァルド家の父は、私の母を殺した。そう思うから、彼の娘として嫁ぎたくなかった。夫は別の思惑があり、シュレーゲル侯爵家と縁を繋いだみたい。


 運が悪かった。まるで物語のよう……そう囁かれる噂も耳に入る。私の人生よ、誰の物語でもないわ。己の力で何かを成し遂げてみせる! そう決意しても、エドに守られるだけの妻だった。家計や人事の采配すらさせてもらえない。


 流される私は、きっと悲劇のヒロインだった。そんな私に光を差しかけてくれたのは……ローゼンミュラー王太女殿下。薔薇の名を持つ気高く美しい人。この人のために何かをしたい。それが私に与えられた天命なのだ。そう感じた。


 夫すら駒に見立てるほどに、孤高の道を歩む我が主君。誰に誓いを立てなくてもいい。私が心に決めたただ一人の主君なの。マルグリッド・バッハシュタインの名が世に遺らなくていいけれど、ローゼンミュラー王太女殿下の名は永遠に鳴り響きますように。


 バッハシュタイン公爵家の名で支持を表明し、王家の監視役でありながら信奉者となった。私があの御方のために出来たことなど、たかが知れている。邪魔になる王家をひとつ滅ぼし、内側から食い荒らさせただけ。国内で騒ぐ貴族の経営基盤を揺るがし、没落させた程度。


「マルグリッド、あなたと友人になれたことは私の誇るべき功績のひとつよ」


 皺が増えた手を握る、元女王となったあなた様は今も美しい。ブリュンヒルト・ローゼンミュラー陛下、ええ、退位した今でも私にとって唯一の陛下です。私の人生という物語を肯定してくれた薔薇の女王陛下に、永遠の忠誠を――。

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