343.致命的に下手くそなこともあるわ
ツヴァンツィガー侯爵領に寄り道したカールお兄様達は、帰路についたらしい。報告を受けながら、私はエルフリーデの家具を選んでいた。
カールお兄様はツヴァンツィガー侯爵家に婿に入るのではない。お祖父様との約束で、バルシュミューデ侯爵家を継ぐのよ。その際、王族が臣籍降下するため、公爵位に格上げされる。お兄様の一代限りで、その子ども達は侯爵に戻るんだけど。
面倒なようだけど、体面や格式、地位などを総合的に考えると仕方ないの。王族が侯爵家をそのまま継げば、血の薄い公爵家の下につく形になってしまう。本家である女王の兄が、傍流の公爵家に従う形はまずいわ。
王家の権威が落ちてしまうもの。けれど公爵に格上げして次世代も継承したら、公爵家が増えてしまう。ピラミッド型の貴族構造が壊れたら、貴族社会自体が揺らぐ。だからお兄様が一代限りの公爵となることで決着させた。
これはお母様がお父様を夫に望んだ時からの決まり事よ。唯一の跡取り息子を王家に渡せば、由緒あるバルシュミューデ家は養子をもらって血が薄まってしまう。お父様を渡す代わりに、お祖父様は孫を跡取りに据える約束をした。
賢い選択だと思うわ。その時点でお祖父様は宰相として、外交や内政の最前線にいた。息子を王家に差し出したことで、その権力は揺るぎないものとなる。同時に、跡取りがいない欠点を曝け出した。
プラスとマイナスのバランスが絶妙なのよ。何より、お祖父様は若い頃にお祖母様を亡くされて、他に妻を娶る予定がない。もちろん、婚外子もいなかった。孫が成人するまで待つ余裕がある。
「私が考えても穴がないのよ」
お兄様達の動向を報告したテオドール相手に、ぽつりぽつりと語った。その間、私の手は針と糸を操る。ちくっと刺さり、痛みに溜め息を吐いた。すでに左手は血だらけ。刺繍を施す絹のハンカチは赤い斑点が出来ていた。
「ヒルト様、刺繍は後になさったらいかがですか」
「大丈夫よ。考え事している方が、手を刺さないの」
とても言葉通りに受け取れない惨状を前に、テオドールは眉尻を下げた。困った顔も悪くないわね。
「大公になるあなたの胸ポケットに、紋章を入れたハンカチを差したいのよ。今から準備しないと間に合わないわ。私は刺繍が苦手なんだもの」
苦手を通り越して鬼門に近いけれど、さすがに言わない。テオドールにぼやいたら、代わりに自分で刺してきそうだもの。絶対に彼の方が上手だから、そんな屈辱は味わいたくなかった。
少なくとも私が刺繍をしていたら、あなたは同じものを作らないでしょう?
「左手の手当ては、ぜひ私にお命じください」
「手当ては食事かお風呂の前ね。その時にお願い」
「承知いたしました」
引き下がったテオドールだけど、話をする間、視線が手に集中する。
「カールお兄様のお部屋の家具も選ばなくちゃね」
「はい、お手伝いいたします」
「バッハシュタイン公爵は何を話したの?」
「お仕事の話は禁じられております」
一般的な会話に混ぜたら話すかと思ったのに、ガードが固いわね。もう少し時間をかけて聞き出すしかないわ。
「ツヴァンツィガー侯爵は、跡取りを如何なさるのかしら」
「義弟がおられますので、問題ございません」
「あらそう」
しまった。話題が尽きてしまったわ。適当にプロイセ国の近情や帰還した騎士団の様子を尋ねる。テオドールの答えに頷きながら、さらに引き伸ばした。
「ヒルト様、残念ですが……バッハシュタイン公爵閣下のお話は出来ません」
見透かされて釘を刺されてしまった。ちょうどそのタイミングで、針が左手の人差し指に新しい傷を作る。
「本日はもうおやめください。どうしてもと仰るなら、私を左手代わりにお使いくださいますよう」
「わかったわ……手当しなさい」
消毒して大袈裟なほどに包帯を巻かれてしまい、カトラリーも持てそうにない。これ、刺繍が出来ないようにやったわね?
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