329.(幕間)涙じゃないわ、目の端の汗よ

「っ!」


 ぐいと赤ワインを一気に飲み干した。中身を一滴残らず流しきり、グラスを逆さまにして天井を睨む。俯いたら目の端の汗が流れてしまう。こんなの汗よ、涙じゃない。涙なんて流してあげないんだから。


「っ、私の方が先に好きになったのに……振られた私が羨むくらい、幸せになってくれないと、諦められないわ」


 鼻を啜り、トレイにグラスを返した。呆然と立ち尽くす侍従のトレイにはまだワインが並んでいる。また赤ワインを選んで口にする。今度は普通に頂いたけど、このワイン本当に美味しいわね。


 王太女殿下の秘書官を務める赤毛の少女に促され、きゅっと唇を尖らせて外へ出た。酔いに火照った肌に、夜風が心地いい。


「ありがとうございます……えっと、王女殿下?」


「もう王女ではございませんの。エレオノールで構いませんわ」


「はい。ご存じと思いますが、ユーバシャール侯爵家のカトリナと申し……ますっ、ひ、ぐっ……」


 平静を装って挨拶する私だけど、堪えきれなかった。愛する人が別の女性の手を取って、あんなに幸せそう。それが悔しいのに、あの人が幸せになるなら我慢しなきゃって思う。なのに、止まらなかった。


「ごめ……さい」


「構いませんわ。本当にローゼンベルガー王子殿下を愛していらしたのね。カトリナ様」


 愛して? ああ、そうなのね。ただ大好きと表現するだけの、幼稚な私は気付けなかった。愛している……だから悔しくて悲しくて、それ以上に幸せそうなあの人を見て嬉しい。この心が引き裂かれたとしても、あの人の笑顔の方が価値があるわ。


 こくんと頷いた。今、何か言うと溢れてしまいそう。


「私とお友達になっていただけませんか? この国に来たばかりで、お友達がいないのです」


 思わぬ申し出に、涙でぐしゃぐしゃの顔で大きく頷いた。勢いで目の端の汗が落ちた。絶対に涙じゃない。嗚咽を堪えようと噛みしめた唇に、エレオノール様の指先が触れる。花のような香りがした。


 化粧はぐちゃぐちゃ、酷い顔と醜態を見せてしまい……それでも私はエレオノール様の優しさに首を縦に振り続ける。この日から、私には素敵な友人が増えた。









 一年後、私は忙しく王宮内で働いている。縁談を持ち込む父を振り切るため、王宮の端にお部屋を貰った。毎日夜中まで仕事をするけど、お昼寝の時間が用意されている。夕方近くに書類が集中するのがいけないのよ。改善策を出さないと、これが日常になってしまうわ。


「エレオノール様、ちょっと人使いが荒いんじゃありません?」


「だって、カトリナ様が有能なんですもの。頼らない理由はないでしょう」


 笑顔で切り返され、二日目の徹夜を覚悟する。もう恋なんてしたくないけど、いずれは誰かと結婚する。それが貴族令嬢としての未来だと思ってきた。でも、エレオノール様も未婚で過ごすみたいだし……このまま私も彼女と一緒に、次期女王陛下を支える土台になりたいわ。


 ローゼンミュラー王太女殿下の推奨する貴族女性の新しい生き方に、結婚や子育て以外の道があってもいいわよね。

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