297.前例は作らなければ存在しないのよ
結婚と出産のお披露目が同時だなんて、過去に事例がない。気取った貴族の文官が苦言を呈しにきた。最後まで話を聞いて、ぴしゃりと一言放つ。
「初めてなのだから、前例がなくて当然でしょう」
貴族はどうしても保守的だ。より守りに入るのは王族派だが、革新的な貴族派でも慣習を大切にする傾向が強い。悪いことではないけれど、新しい改革を行うたびに噛みつかれるのは面倒だった。
相対する意見を排除してしまえば、周囲は同調する者ばかりになり危険だわ。でも考えたのは少しの間だった。忠告に来た貴族を追い返し、私はすぐに若者の上司に当たる男を呼び出す。
「前例がないからダメと言いに来たけれど、どうしたものかしら。私が行えば前例になるわよね」
にっこり笑って、上司に意見を求めた。彼の本心はわかっている。自分で言いにくるのが嫌だから、部下にその役割を押し付けた。もちろん、当の本人である部下は、そんなこと気づきもしないだろう。本心で自らの意見と信じている。
「前例がないことを理由にするなら、先日の改革も中止することになるわ」
貴族派のローヴァイン男爵が提案した、役職の新たな採用方法をチラつかせる。王族派が上位を占める文官や武官の肩書きを解任し、実力で改めて任命し直す。改革は徐々に成果を見せ始めていた。
第二騎士団の団長が王族派から貴族派に代わり、中間管理職である王宮品位管理室の室長は貴族派に宛てがわれた。過去にはなかった人事だ。それを口にすることで、目の前の男の逃げ道を奪った。
もし前例を否定するなら、室長や団長は前例がないのでクビになる。貴族派が実力で勝ち取った地位を、彼の一言が台無しにするのだ。その重責に男は耐えられなかった。
「いえ。前例なき改革は効果を上げ始めたばかりです。否定するなど、恐れ多いことにございます」
「分かってくれたならいいの。下がりなさい」
変化が大きいほど、改革が早いほど、年寄りが騒ぎ始める。この場合の年寄りは、考えが古い連中のことね。実際の年齢じゃないわ。変わることに恐怖を覚えるのは、本能だから仕方ないとして。もう止める気はないし、止まらないのに。
「ブリュンヒルト様、ルピナス帝国の使者が到着いたしました」
入室したクリスティーネの報告に、頬が緩んだ。
「予定通り?」
「はい。アンジェラ王女殿下と婚約者のリッター公爵家のエトムント殿ですわ」
未来の皇帝とその妻、まだ結婚していないが確定だ。来賓の到着が始まったみたいね。過去に経緯があった国や属国ばかりだけど、揚げ足を取られないように気を張って対応する。
ルピナス帝国は皇帝をすげ替えたため、我がシュトルンツ国に対して好意的だった。早めに到着してゆっくり過ごす予定だったわね。
アンジェラ王女は猫耳と尻尾のある獣人だ。そのため国内では、あまり姿を見せなかった。獣人に対する差別が根強い国だから当然ね。我が国は獣人もエルフも関係なく歩き回っている。なんなら定住した魔族もいるわ。
「おもてなしに手を抜かないでね。城外デートも手伝ってあげて」
「ええ、もちろんですわ」
彼女を自由に歩かせてあげたい。並んで手を繋ぎ、誰に後ろ指差されることなく外出したい。エトムントからの手紙は、二ヶ月近く前に届いた。許可をしたのは私、安全を確保するのがエルフリーデ。案内役と王女の補佐にクリスティーネが動く。
これから集まる他国の来賓の反応が楽しみだわ。
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