290.(幕間)見事に釣り上げられたか

 肩書などどうでもいい。実質的な支配者であれば、名を売る必要はなかった。じつを取ったと言えば聞こえはいいが、矢面やおもてに立つ危険を回避しただけ。貴族派の事実上の支配権を手に入れ、グーテンベルク侯爵やハーゲンドルフ伯爵に花を持たせる。


 我が領の豊かさを隠すヴェール代わりだ。王族や国に納めるのも、上納金を貴族派の重鎮に納めるのも大差なかった。どうせ奪われる金なら、有効利用すべきだろう。気づかれる筈がない。巧妙に策を弄し、十年以上かけて作り上げた仕組みだった。


 あっさりと見抜いたのは、まだ若い王太女殿下だ。貴族の頂点に立つ王家の血筋を誇る美しい金髪と整った容姿、高貴な紫の瞳……素晴らしい美女だが、雲の上の存在だった。一男爵家の当主が、近寄れる人ではない。夜会が始まってもその考えは変わらなかった。


 ハーゲンドルフ伯爵が愚かにも息子ともども失脚する様子を横目に、ワインを傾ける。酒の肴にするには、後味が悪い。今後の隠れ蓑や盾を選び直さなくては……そう考え始めた矢先、今度はグーテンベルク侯爵も馬脚をあらわした。


 大人しく黙っていればやり過ごせるものを、何故自ら首を突っ込むのか。そのくちばしをへし折ってやりたい。誰が担ぎ上げてやったと思っているのだ。腹立たしく思う反面、王太女殿下に興味が湧いた。もちろん王配なんて狙う気はない。


 あの王太女殿下は、俺の知る王侯貴族とは違う。枠に収まらないだけでなく、他者を積極的に登用して活躍させる才能があった。王族ならば王族派を重用し、中立の文官を使役する。それが当然だと思ってきた。だから一番付け入る隙の残る貴族派に所属したのだ。


 新しく頭角を現す若手は、すべて貴族派だった。王族派は保守的過ぎるのだ。高位貴族が多い影響でどうしても守りに入る。己が持つ権益を減らさぬよう行動した。中立派は淡々と日々の仕事をこなすことで手いっぱい、他の派閥を気にする余裕はない。


 当たり前のように出来上がった貴族の組織構造を崩し、男爵や子爵が中心の中立派を取り込んでしまった。権力はないが実力が高い彼らは、ローゼンミュラー王太女殿下の執務を支える柱となるだろう。

 

「っ! わしが首謀者など! そのようなことはありませぬ!!」


 叫んだグーテンベルク侯爵が連れ出される。ローゼンベルガー王子殿下に踏まれ、騎士に連れ出される姿を見送る王太女殿下は、ちらりと視線を投げた。確実に存在がバレている。おそらく俺が画策したからくりも、彼女は見抜いたはず。


「ローゼンミュラー王太女殿下にお目にかかります。ローヴァイン男爵ラウレンツと申します。少しよろしいでしょうか」


 近づいた時、彼女の口角が僅かに上がった。なるほど、やられた。俺を釣り上げる餌か。ついでに水槽の掃除まで済ませるとは……濁った池はお気に召さないらしい。泥沼に潜んで生きる魚もいるのだがな。


 下っ端貴族の名も間違えずに覚え、きちんと顔を一致させる。地位に関係なく能力で人を判断する。全てにおいて、人の上に立つことを約束された君主の器だった。


 どうやら未来の女王陛下は、俺を遊ばせる気はないようだ。こき使われるであろう今後を思い、なぜか俺の唇は弧を描いた。ああ、そんな生き方も悪くない。


 カッコつけたのも僅かな時間だけ。すぐに思わぬ攻撃にタジタジとなった。ルピナス帝国から引き抜いたエンゲルブレヒト侯爵令嬢クリスティーネ様が、べったりと張り付く。裏切る気はないと伝えても、手を引く様子はなかった。


 愛している? 結婚しよう? 冗談も程々にしなさい。娘ほど歳の離れた令嬢を娶る気はないよ。何度もそう突き放したが、まずいな。この頃は押され気味だった。押し負ける前に、王太女殿下に降参を伝えにいくとしよう。潔いのが、唯一の取り柄なんでね。

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